第1章:悪夢のような夜会

第3話:肩身の狭い夜会と友人とのひと時

この日最後の予定である夜会の場にアンジェが乗る馬車が到着した時には、既にかいが始まってから一時間ほどが経過していた。予定していた公務はおおむねそつがなく進んだのだが、道中遭遇した小規模な魔物の群れに対処したり、その過程で発生した怪我人を治療したりといくつもの想定外に直面した結果、完全に大遅刻である。


本来であれば一度身を清めてドレスに召し返るところだが、そのような時間的余裕はない。幸い聖女のローブは正装としても用いることができるため、アンジェは最低限のメイク直しをメリッサに施してもらった後、会場へと足を踏み入れた。


立食形式のパーティ会場では、アンジェと同世代の男女数十人が小さな集団を作って思い思いに歓談していた。彼ら彼女らは、アンジェが通う魔法学校の生徒。それも一定以上の家格を持った、いわゆる貴族令息やら令嬢やらの集まりである。


この国における『貴族』とは、即ち『魔法を扱える者』と読み替えて良い。建国物語において初代国王が振るったとされる強大な魔法は、最早それそのものが一種の信奉対象となっている。魔法そのものが大きな力をもたらす上にそのような背景まで重なれば、富が集中するのも無理もない話だと言えるだろう。


そして、魔法を扱う能力は一般的に血によって受け継がれるとされている。そのため、魔法学校には貴族家の者が圧倒的に多く、そのほとんどが将来的に国の要職に就くことを約束されているのだ。……一部、アンジェのようなイレギュラーも存在してはいるが。


表向き、魔法学校に身分の格差はない。とはいえ貴族が大部分を占めるような学生比率では、自然と貴族社会の習わしが日ごろの生活に取り入れられることとなる。今行われているような社交パーティもその一つ、というわけだ。


遅れて入ってきたアンジェに気づいた何組かのグループが、ちらりと目線を向けてはひそひそと何事かしゃべっている。大方、「遅れてきて何様のつもり」だとか、「聖女様なのにドレスも買えないのかしら」だとかそんなことでも言いあっているのだろう。アンジェは目立たないように、そっと壁際へと身を寄せた。


体感では、元平民であるアンジェへの風当たりは、身分が高くなればなるほどに強くなる。自分の家系や出自に誇りを持っている彼らからすると、そうしたものが何もない平民が突然自分たちと同じ力を持つことが許せないのだろう。アンジェからすれば理不尽極まりない話だ。


アンジェが魔法学校に通う目的の一つには、将来国を支える存在になる彼らとのコネクションを形成することもあった。何しろ、アンジェは次期国王であるこの国の第一王子と婚約関係にあるのだ。つまるところ、ここにいる者はほとんどが未来の部下、のようなものになるのである。


しかしながら、数年間にわたって彼らとの関係構築を模索したところで進展はほぼなし。そうこうしている間にアンジェの職務も増え、どうにもならなくなってしまった。今はただ、極力刺激しないように対応するのが精いっぱいである。


今日、こうして夜会に顔を出しているのだって、全く姿を見せないほうが余計に心証を悪くするから、という後ろ向きな理由に他ならない。アンジェは暗い気持ちを紛らわすかのように、入り口で渡されたウェルカムドリンクのグラスを傾けた。


ただでさえ幾度となく聖女の力を行使したことで疲れている体が、一段と重たくなるような感覚。アンジェは正直なところ、もうだいぶ帰りたくなっていた。


と、そこへ。


「ごきげんよう、アンジェ様。今日もお仕事だったのですか?」


頭の両側で縦に巻いた、明るい金色の髪が美しい一人の女性が、柔らかな微笑みを湛えてアンジェに声をかけてきた。その姿を認めたアンジェは、知らず強張っていた頬を緩める。


「ごきげんよう、シャル様。はい、少々南西のほうまで」


「南西といいますと、あの耕作地のあたりかしら? 一日で往復するにはギリギリの距離ですわね。毎度のことながら、国の皆様はアンジェ様をこき使いすぎではなくて?」


「あはは……頼っていただけるのは嬉しいことなので」


侍女と同じように心配してくれる数少ない友人の言葉に、アンジェは苦笑いするしかなかった。


彼女はシャルロット・ヴノワ。この国の生まれではなく、隣国からの留学生だ。アンジェの同級生にあたるが、アンジェが見た目十歳程度なのに対して彼女は平均よりやや高い身長と、何より起伏に富んだ実に女性らしい体つきをしている。


魔法学校に入ったばかりのころ。貴族社会の洗礼を受けて少々落ち込んでいたアンジェにシャルロットが声をかけてきたことから、二人の関係は始まった。依頼、どちらもこの国の貴族とは縁遠いこと、ベクトルは違うもののお互いにとびぬけた魔法の才能を持っていることなどから意気投合し、今日に至る。


「本当に、アンジェ様はお優しいのですから……でも、きちんとご自身のことも大事にしてあげませんと。ほら、お腹は空いてらして? わたくしお料理を取ってまいりますわ!」


「あ、ちょっ、じ、自分で取りますから!」


意気揚々と近くのテーブルに向かって歩き出すシャルロットを慌てて追いかける。


出会いの時からそうだが、彼女は何かとアンジェの世話を焼きたがるのだ。その厚意は嬉しいのだが、正直侍女に世話を焼かれるのですらそわそわするような元平民のアンジェからすると、詳細な身分まではわからないものの明らかにいいところのお嬢様感が漂うシャルロットにあれやこれやとやられるのは余計に落ち着かない。


「ほら、このサンドイッチが大変美味ですのよ。ぜひお食べになって! ……あ、それよりわたくしが食べさせてさしあげたら良いのかしら?」


「じ、じ、じ、自分で食べられますから! 恥ずかしいのでやめてください……!」


そんなアンジェの内心など知る由もないシャルロットがご機嫌で料理をとりわけ、アンジェがあわあわしているという、見た目だけ見ると姉妹のような同級生のやり取り。


しかし、そこに水を差すように、


「おい、アンジェ・バール」


どこか怒気を孕んだような荒々しい声色とともに、一人の男が現われた。


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