特異性

 平塚すみれ15歳、東京生まれの名古屋育ち。


 飴細工は作れば作るほど経験値が得られる。

 一つ一つ丁寧に素早く、粗が無く。とんでもなく体力を消耗する仕事。


 作れる花は薔薇だけじゃない。どんな花でも作ろうと思えば作れるし、この世に存在しない花だって作れる。


「はぁはぁ……、おい、10種類、10個、合計100個出来たぞ」


「ふーん、悪くないけど、ここ接着の粗があるわよ。それに花びらが薄すぎてこんなの艶がすぐ飛んじゃうわ! こっちは厚すぎる、野暮ったいわよ」


 駄目だ、悪い癖がでてしまう。必要以上に他人に技量を求めてしまう。

 これじゃあ、中学の頃と一緒じゃない。

 これだけできるなら褒めてあげなくちゃ……。


 でも、こいつを褒めるのはなんかむかつく。


「あんっ? やっぱ粗があったか……。もう十個作っていいか? 今度は完璧に仕上げるぜ」


「はっ?」


 体力があると思っていたが、尋常じゃない。それにあの目は競技者特有にトップを目指そうとしている目だ。なんであんた、笑ってるの? 私の事怖くないの?


 ……口がむずむずする。自分の嫌な癖なのに抑えられない。


「引き飴はここまでよ。やみくもに作るよりも出来なかった箇所をイメージして明日やるわ。あとは流し飴の説明ね。まず、あんたが持ってきたパラチニットを――」


「あ、あの〜、平塚ちゃん、流石にこれ以上は学校に残れないんだよ……。今日はここまでね。帰り道に田中君に流し飴の説明よろしくね!」


「え? また一緒に帰らなきゃいけねえのか!?」

「はっ、嫌よ、こんなヤンキー……、でも、時間がないのも確かね。ヤンキー、とっとと着替えないさいよ!」

「お、おう」



 ***



「なるほど、流し飴ってのは型作りから初めなきゃ行けねえのか。なんか建築みたいだな」


「初めは絵に書いて設計をする人が多いわ」


 帰り道、私は流し飴とモンタージュの説明をしながら歩く。

 ……片付けの時に思った。

 こいつが作業した周りが全然汚くなっていない。素人なのにあり得ない綺麗さだった。

 飴を引く時の作業も一定のリズムで、動きが最小限。その癖、爆発的な力で硬い飴を引く。


 作業が綺麗。


 パティシエ競技者にとって最重要とも言えるファクター。

 雑な作業はそれだけで減点となる。


 中学を卒業したばかりの高校生でこんな技能を持っているのは一握りだ。


 パティシエ競技の公式戦では細工物だけでなく、ケーキを作らなければならない。

 あの地雷女は氷細工に特化していて、ケーキの知識はまったくないと言っていた。

 そこからケーキ作りを教えるのは正直厳しい。


 公式戦のケーキは私一人でチョコ細工と平行して作ればいいと思っていた。

 3つの細工物とプティガトー。


 タイムテーブルを計画的に作って、何度もトライアルをしてタイムを縮める。

 これが一般的なコンクールの練習のやり方だ。



「……ねえ、あんたさ、クッキー作れるっていったじゃない? ちょっと作って見せてよ」


 こいつは簡単なケーキは趣味で作っていると言っていた。でも、ケーキの知識は素人に毛が生えたもの。

 ジェノワーズという単語も知らない。サブレとシュクレの違いもわからない。洋生チョコと普通のチョコとガナッシュの違いも知らなかった。


「……試合に関係してんのか?」


「ええそうよ」


「ならいいぞ、俺の家でやるか」


 簡潔なやり取り。それでも何故か私の口がむずむずしているのは何故だろう?




 ***



「ちょい待ちな。えっと、この前クッキー作ったから食材はすぐに準備できる。よし、作るぜ」


「ちょ、ちょ、待ちなさいよ!? あんた計量は? それにレシピは?」


「あん? 何回も作ってんだからレシピは覚えてるし秤なんていらねえだろ。あれだろ? プロってそんな感じなんだろ。親父もそうだったぜ」


「……す、好きにやりなさい」


 ケーキ作りの基本は、レシピどおりのきっちりとした計量。

 レシピを記憶するのはよくある事だけど、秤を使わないのはありえない。


 やっぱり素人じゃない……。期待して損したわ。


 田中がクッキーを仕込み始めた。


「えっ……?」


 バターを小さく切り、ミキサーボールにいれる。砂糖を入れて卵を入れ、ふるった小麦粉を入れるだけの簡単なクッキー。


 背筋に寒気が走った。


 速い、躊躇ない、ビーターで撹拌する際のミキサーの操作、ボールから粉が全く落ちていない。

 速いのに作業の所作が熟練のそれだ。


「って、感じで仕込みはオッケーだ。昨日作って冷やしてあるやつ『伸す』ぜ」


「え、ええ、頼むわ」


 冷蔵庫から仕込んだクッキーの塊を取り出した。

 大きなまな板の上に、粉を振り、冷たくて硬いはずのクッキー生地を練り始めた。

 グルテンが出過ぎないように上から押すように混ぜる。


「こんくらいだな。あとはめん棒で――」


 瞬く間にクッキーは平らになり、猫の形をした抜き型で成型していく。

 この間1分もかかっていない?


「あとは焼き上がるまで待ってろよ」


「……あんた他に何ができるの」


「あんっ? ったく偉そうだな。……そうだな、スポンジ焼いてショートケーキも作れるぜ。あとはシュー生地とかムースってやつも親父から教わったぜ」


「あのL字パレット使える?」


「ああ、なんかアーモンドの生地を鉄板にのす時に使うぜ」


「全部、私に見せなさい」


「おう、ちゃんと見てろよ、俺の技を!」



 結論から言うと、田中は技術が一級品のド素人だ。

 きっとお父さんは田中にお菓子の基礎を教えたかったんだろうね。


 基礎技術。

 絞り袋の使い方、パレットの使い方、器具の取り扱い方、卵の割り方。


 田中は黙々と作業を続けている。無駄な言葉は喋らない。お菓子に誠実に向き合っている。


 確か店を閉めたのが数年前よね。厨房も綺麗だからちゃんと掃除しているのね。

 ヤンキーの見た目に惑わされていた。


 こいつは……本当にお菓子にまっすぐだ。


 ふと、店の棚に立てかけられている写真が目についた。

 私は近づいてそれを見る。

 二枚の写真。

 小学生くらいの田中、目つきが悪いからすぐわかった。お父さんも随分と人相が悪い。でも、二人共笑顔だ。

 もう一枚の写真は、田中がボクシングの賞状を持っている写真だ。

 中学生ボクシング全国大会……優勝? 全国は事故ででれなかったんじゃないの?


「……んっ? その写真の親父マジで犯罪者だろ? 超目つき悪いんだ」


「えっと、あんたボクシングで全国優勝したの?」


「ああ、中学一年の頃にな。二連覇目指してたんだけど事故で駄目だった」


「あっそ……、あんた25キロある砂糖袋を平気で担いでたわよね。普通に運動できるんじゃないの?」


「マジで目が悪いんだ。もう出来ねえよ。それに、トップはそんなに甘いもんじゃねえ。仮にボクシングが出来たとしても……ほんの少しの差で負けちまうと思う」


 私も全国大会に出たから言っている意味はすごく理解できる。

 周りは全員本気なんだ。

 だからこっちも本気でやらないと勝てないんだ。


 やるからには勝たなきゃ駄目なんだ。


「あんた、パティシエ競技で全国行きたいの?」


「はっ? おめえが俺の火を付けたんだ。やるなら優勝だろ」


「……ていうか、まずは計量しなさいよ! さっきから気になるのよ!!」


 なんだか気恥ずかしくなったんだ。バカでヤンキーだけどこいつとならもしかしたら……。


 私は田中が目分量で用意している食材を見つめる。

 ……ん? 別に変な量じゃない? そういえばクッキーもちゃんと出来てた。もしも計量がおかしかったらまともに成型できないはず。


「田中、あんたが適当に計量したものを図らせて」


「あん? 面倒だな……」


 田中は文句を言いながらも計量をしてくれた。

 シュー生地のバター112.5g……。え、小数点?

 水125g、牛乳125g???


「間違ってない、というか、正確過ぎて気持ち悪い……」


「気持ち悪いって失礼なデカ女だな……。なんか大体わかるんだ。ほれ、このホイッパーは84g、ボールは243g。こんなの普通だろ?」


 ――異常だ。特別な才能に決まっている。それがわかっていない田中は……特大の大馬鹿野郎だ。


 口元がむずむずする。

 なんだこいつは、圧倒的な『センス』の持ち主だ。


「気持ちわりいな、お前すっげえ顔してんぞ。――痛っ!?」


 思わず田中の背中を叩いてしまった。


「あんた良いわよ。その負けん気、やる気、卓越したセンス、バカみたいな吸収力、アホみたいな体力……」


「アホとバカは余計だこの野郎!」


「うるさい、クソヤンキー」


 言葉とは裏腹に私の心は高揚に包まれていた。




 ***




「練習試合はない、だと?」


 結局、遅くまでお菓子を作りそのままご飯にすることにした。

 私はコンビニ弁当を食べると言ったら――


『馬鹿野郎!! もっと健康バランスの良いもん食べやがれ!! お前一人暮らしだろ? もしかして飯作れねえのか! おい、すぐに飯作るから待ってろ』


 というわけで、私達はお店の椅子に座って田中が作ったご飯を食べている。

 一汁三菜……。


 時間がもったいないから今後の予定を話す。


「そうよ、練習試合なんてお金と時間の無駄よ。パティシエ競技は自分との戦い。大会までいかに自分の技量を高められるかにかかているわ」


「でもよ、対戦しなきゃ張り合いがねえだろ」


「あんたの言いたいことはよく分かるわ。練習試合はない、でもね、公式戦ならそこら中で開催してんのよ。1ヶ月後、川崎で『大型工芸』の高校生部門の大会があるからあんた出るわよ」


「……はっ? いきなり大会かよ!?」


「正直、一ヶ月で準備は難しいけど、そこで勝てないようなら全国は遠いわ」


 田中はご飯を食べながら考えている。お箸の使い方や食べ方が非常に綺麗だ。ほんと意味分かんないわこいつ……。


「川崎の高校の奴らが出るわ。アイツラは正直強豪よ。特に『鶴が丘高校』は全国にも出場している。同世代のライバルと戦うのは刺激になるわよ」


 大会の経験値を詰めば積むほど作品の質は上がる。

 今のこいつは経験値が絶対的に足りない。それに私以外のパティシエ競技者を見てもらいたい。


「少し驚いちまったけど、いいじゃねえか。やってやるよ! ぶっ潰すぜ!」


「ちなみに川崎の大会は『大型工芸持ち込み』よ。予め作品を作ってショーケースに入れて車で運ぶのよ」


「へー、現地で作るだけが大会じゃねえのか。色々あって面白えな」


「持ち込みは搬入の時に壊れる可能性もあるからね。この搬入作業が一番難しいのよ。まあ私がいるから問題ないけどね!」


「……やっぱむかつくな。……ていうかデカ女、お前人参残してんじゃねえよ!? 食えねえのか? 農家の人に謝れよ!!」


「べ、別に食べられないわけなじゃいわよ! ちょ、ちょっと苦手なだけよ!!」


 人参……食べられないのよね……。ん、頑張って食べなきゃ失礼ね。


「や、無理して嫌いなもん食おうとすんな」


 田中が私の人参を奪い取った。


「……今食べようとしたのに。このヤンキーめ!!」


「いやいや、全然食う気配なかったし!?」


 なんだろう、こんな風に誰かとご飯食べるの、すごく久しぶりな気がする。

 いつもよりもご飯が美味しく感じられる。




















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