チーム結成
「はい、じゃあ大人しく聞いてね。絶対喧嘩しないでね」
堤下先輩がホワイトボードの前に立ち、俺達をジト目で見つめる。
俺達は一応大人しく席に座るのであった。
『全国大会までの流れ』
とホワイトボードには書かれてある。
「田中君と真島さんは未経験者だから一から説明するね。まずは普通のスポーツのインターハイと同じで、パティシエ競技も地区予選があるの」
『書類選考→地区予選』
『地区予選→全国大会』
『全国大会』
「書類選考。地区予選に出るための初めの難関。ほとんどの学校はここで落とされるよ。全国大会が10月――」
俺は手を上げた。
「うっす。10月ってずいぶん遅くね? インターハイだと中途半端な時期じゃねのか」
「うん、お菓子は湿度とか気温が影響されるからね。だから比較的涼しい秋や冬にコンクールが盛んに行われるんだ」
「ちょっとあんたそんなの常識でしょ?」
「うっせ、俺達は素人なんだよ。わりい、話し止めちまって。続けてくれ……っす」
「……無理して敬語使わなくていいよ。ごほん、書類選考は地区予選で作る作品の写真とケーキのレシピの提出。締切は6月。結果はすぐにでるよ。1ヶ月後の7月初めに地区予選があって、えっと、東京は三分割されて、三校まで全国大会に行けるの」
「へー、他のスポーツみたいだな。東京は生徒に人数多いもんな」
「うん、そう。東京は激戦区。でもね、優勝校はは違うんだ。……今、高校パティシエ界隈では『名古屋』が最強って言われているよ」
名古屋? その言葉が先輩の口から出ると、平塚が鬼のような形相になった。
喚き散らすわけでもねえ。静かな怒りというか、威圧というか……。
「あのハゲ頭たち……ぶちのめすわ」
「ハゲ?」
「うん、名古屋のパティシエ競技の生徒たちは何故か坊主頭が多いんだ」
「名古屋だけじゃないよ。京都、兵庫、福岡、埼玉、川崎、そこら辺も強豪校が多いね。話がそれちゃうから他の高校の話はここまで。でね、競技内容だけど――」
それは平塚から聞いたから知っている。
『飴細工』『チョコ細工』『氷細工』『プティガトー』『アシェットデセール』
ただ、予選は全国大会よりも競技時間が短く、作品の大きさの違い、『アシェットデセール』はつくらない。との事だ。
「正直、プロでも作り上げるのは難しい競技内容だけど、今、うちの部には平塚さんがいる。平塚さんは天才って呼ばれているほどの競技者なんだよ」
平塚は口をむずむずさせながら胸を張って偉そうに鼻を鳴らす。
「ふふんっ、私は経験者なのよ! あんたたち私の言う事聞きなさいよ!」
「……態度もでかい。友達、いなさそう」
「おい、真島! 本当の事言うんじゃねえ! 心の中で思っておけよ」
「あんたたち喧嘩売ってんの!!」
「……静かにして、ね?」
堤下先輩は笑って注意しているが、こめかみに青筋が立っていた。あっ、このひとは怒らせちゃ駄目な人だ。
平塚もそれを察したのか、俺達は静かになった。
「はい、静かになるまで30秒かかりました。次は二秒で静かになってね」
そういいながらもホワイトボードに書き込む。
『チームリーダ』平塚すみれ
『飴細工』コンフィズール、田中竜也。
『チョコ細工』ショコラティエ、平塚すみれ。
『氷細工』グラシエ、真島エリ。
『プティガトー』平塚すみれ、田中竜也。
「はい、これが各セクションの担当ね。コンフィズールとかの言葉は飴細工職人っていうフランス語の意味だからあんまり気にしなくていいよ」
「え? マジで素人にやらせるんだ」
「なによ、あんたビビってんの?」
「はっ? うる――」
堤下先輩の目が瞳孔を開いて俺達を射抜く……。すみません……。
「飴細工は、この前薔薇作ったでしょ? あれは引き飴って言って色んな形の造形の『パーツ』を作れるんだ。流し飴で土台の『パーツ』を作って、他のも色々技法があるけど、その全部の『パーツ』を組み立てる『モンタージュ』っていう作業が一番難しいの。……大丈夫、田中君ならきっとやれるよ」
「ってことはあれか。薔薇は基本中の基本のジャブみてえなもんか。ステップ、コンビネーション、フットワーク、ディフェンスを覚えなきゃいけねえんだな。うわ、マジで覚える事沢山あんな」
「……イマイチ何言ってるかわからないけど、覚える事は沢山あるよ。でね、審査基準なんだけど――」
『飴細工→センス、パーツの完成度、艶、独自性』
「なんか、ふわっとした審査基準だな」
「うん、美術の世界と一緒だけど、確実に違うのは飴の艶とか、パーツの質がはっきりわかる所かな。一位の作品は見ただけで完成度が凄いもん。去年は神龍を作ったんだっけ」
「え? そんなもんも作れんのか」
「あとで過去の作品集を見て勉強してもいいかもね、チョコ細工は……説明いらないかな、平塚さん?」
平塚はブツブツと何が呟いていた。
「デギュスタシオン(試食審査)が問題。チョコ細工も本職には勝てない。私がピエスモンテ(飴細工などの工芸品)の設計図を書いて……」
「おい、変な呪文唱えてんじゃねえよ。先輩が聞いてるぞ怒られっぞ」
「あっ、堤下先輩ごめんなさい。えっと、ちょっと質問いいですか? あの、私達、全国で優勝するっていう目標でいいですか?」
堤下先輩が苦笑いをする。
「あははっ……、できるならね。最大限私もサポートするけど、難しいよね」
平塚はまた口をむずむずさせて尖らせた。
「こいつらが私の言う事を全部聞いてくれたら優勝できます」
「うわ、お前すげえ自信だな。っていうか、『姫様』って呼ばれてただけあんな」
「はっ? あいつらがついていけなかっただけよ。……わたしは、悪くないわよ……」
なんだ? こいつ口調に覇気がねえぞ? ていうか涙目になってんぞ?
***
私、平塚すみれは子どもの頃にテレビでみたお菓子のコンクールに目を奪われた。
それ以来、私の夢はパティシエ競技者になることだった。
幸い、自分には才能があり、有り余る情熱のおかげでぐんぐんと実力を伸ばす事が出来た。
ただ……、人の心だけはわからなかった。
クラスメイトから嫌われても、部活仲間からハブられても、パティシエ競技さえできればあとはどうでも良かった。
最高の作品をコンクールで作り上げ、並み居るライバルをぶちのめす。
それがとても快感だった。
でも、事件は中学パティシエ競技全国大会で起こった。
会心の出来のチョコ細工が完成した時、誰かに背中を押された。
疲弊しきった身体で必死に抵抗したけど……、私は作品に向かって倒れてしまった。
競技中に作品を全壊する、これは競技者にとって一番の屈辱。
振り向いてもチームのみんなは笑っているだけ。
そこに背中を押した事実などない、と目で語っていた。
私は怒り狂ったけど、私のせいで優勝を逃す事なんて出来ない。だから、泣きながら必死にチョコ細工の修復作業に取り掛かった。
でも、競技はそんな甘いものじゃない。
全国大会で壊れた私の作品。評価対象外として記録に残った。
その後、私はチームメイトと大喧嘩をして……、停学になり、名古屋の名門校への推薦も取り消され……、失意の中、叔母がいる東京の高校に通う選択肢を取った。
だから私はチームが怖い。私のせいで作品を壊したら……、私のせいで、チームが崩壊したら……。
初めはパティシエ競技部に入るつもりはなかった。
勝手に足が体験入部に向かっていた。
堤下先輩とおしゃべりをしていたら、緩くお菓子を作るのもいいかなって、思えた。
なのに、あの男が入ってきた。
凶悪な犯罪者のような面をした田中竜也。
私よりも背が高くガタイが良く、手は熊みたいでパティシエ競技者としては最適な手。
彼を見ていたらムカムカした。飴細工ができるって言った。あれはそんな生易しいものじゃない。
だから、打ちのめそうとしたのに――
身体が震えた。ただの素人のはずが、経験者の私よりも高速で作り上げる飴の薔薇。
何よりも最後まで保っていた集中力。
私にはもっていないものを彼は持っていた。
悔しさがこみ上げてきて泣いてしまった。
薔薇対決が終わった後、堤下先輩と2人で着替えている時――
『平塚ちゃん、過去の事なんてどうでもいいんだよ。平塚ちゃんの噂は色々あるけど、多分田中君はバカだから全然気にしないよ。だからさ、私もサポートするからさ、全国目指してみない?』
私は、その時、人と初めてコミュニケーションを取ったような気がした。
二個しか違わない堤下先輩がとっても大人に思えた。
私は泣きながら頷いたような気がした。
「ていうか、マジでお前の言う事聞いたら全国勝てんのか? なら、ガチでやろうぜ。燃えるじゃねかよ。おい、デカ女、俺は何すりゃいいんだ!」
やっぱり田中はバカだ。
……でも、競技者はバカくらいが丁度いい。
「今から一週間で一つの作品を作るわよ!! 超厳しいから振り落とされないでね!!」
「おう、望む所だ!」
それに、真島エリ。この子が何で入ってくれたかわからないけど、静かな気合を感じられる。
「……僕は氷細工できる場所にいるから、何かあったら連絡して。……これ、連絡先」
妙に田中と距離感が近いけど、恋愛は禁止だからね。
男女混合だと結構面倒な事態になりえるのよ……、マジで。
リーゼント頭の田中の顔を見る。
……凶悪な面してるけど、よく見ると整って入る。ぶっちゃけどうでもいいわ。競技に本気なら。
「ていうか、田中、あんたはまず髪切ってきなさいよ! その頭だからヤンキーって言われるのよ! 他の生徒が怖がって部活に入ってくれないでしょ、このバカ!」
「……な、なんだと? か、髪型のせいだったのか!?」
「え、わからなかったの……マジでバカなんだ……」
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