一緒に帰る
堤下愛子、17歳、水瓶座。
パティシエとは男性お菓子職人を意味している。パティシエールは女性の事。
正直、日本だとパティシエのくくりでいいと思う。
ホテルで、店で、レストランでお客さんのためにお菓子を作る。
そんなパティシエの世界には盛んにコンクールが行われている。四年に一度の世界大会、アメリカの世界大会、チョコレートの世界大会。
コンクールを率先して行うものは『パティシエ競技者』と呼ばれている。
ライバルとの戦い、時にはライバルとチームを組んで世界を戦う。
日本はその中でもトップランカーとして君臨している。
日本国内のコンクールも熾烈な争いを繰り広げている。
高校の部活になって早20年、歴史は浅いが非常に活発な部活の一つである。
普通の部活のように、地区予選があり、全国大会があり……、さらにジュニアの世界大会がある。
私、堤下愛子はたった一人の三年生だ。
うちの学校はそこまでパティシエ競技に盛んな学校じゃない。
それでも、私が一年生の頃は凄い先輩たちがいた。
全国大会にだって出られた。
でも……、この競技は一人では出来ない。
三人一組で行われるのが公式戦。
今、眼の前で本物のパティシエ競技者を見つけた。
不良の田中君と、問題児として業界で有名な平塚さん。
2人が10個の薔薇を作り終えた時間は同時。
速度の評価が同じなら、精度の評価に移る。
まだ肩で息をしている2人。真剣な顔で私を見ている。
「うん、じゃあ薔薇のチェックするね!」
飴細工、それはパティシエ競技者にとって花形的な部門。
華やかなで繊細な細工物の世界は特殊な才能と根気と努力が必要。
「……ちゃんと10個できたね。……まずは平塚さんの薔薇から。…………凄い、10個全部綺麗に作れてる」
一個だけ接着の際の粗があった。それでも許容範囲だ。
これが試合だったら圧倒的な大差で勝利していただろう。
田中君の飴の審査に移る。
田中君の薔薇を見た時、心がざわついた。
「な、に、これ……? ほ、本当に経験者じゃないの? 競技でた事ないの?」
「はいっす。飴細工はガキの頃親父に遊んでもらっただけっす」
硬い飴を引いた時特有の艶が出ている飴。
そのクオリティは一目瞭然だ。
田中君の圧倒的な握力によって作り出されたものだ。
しかも――
「後半の薔薇も全然崩れていないよ……。ちょ、バケモンだよ……」
平塚さんが田中君の薔薇を見て苦い顔をしていた。薔薇は基本中の基本。技術が非常にわかりやすい種目である。
平塚さんの薔薇は最後の一つだけ粗があった。それは体力と集中力の問題。
高温にさらされながら体力を使い、薔薇を作る。見た目以上に激しく体力が消耗される競技。
「うん、これは……田中君の勝ちだね」
私がそういうと田中君が平塚さんに礼をした。
「ありがとございやした!!」
「くっ、私が、飴で負けた? 全国8位のわたしが……。ひっぐ、ひっぐ、く、悔しい……、悔しい!!!」
平塚さんが机をバンバン叩きながら泣き出した。悔しさで顔が歪んでいる。
すごい、こんな遊びみたいな勝負なのにあそこまで悔しがるなんて私には出来ない……。
平塚さんはパティシエ競技に全力をかけているんだ。
私とは比べ物にならない。
田中君は同年代の高校生のように嬉しがるわけでもなく、ただ目を閉じて心を鎮めていた。
……本当に高校生だよね?
「くそ、この凶悪ヤンキー……、もう一度勝負よ!!!」
「望む所だデカ女」
「うっさい! 私は平塚すみれよ!!」
「俺も凶悪ヤンキーじゃない。田中竜也だ」
え、ちょ、まって? また始めるの? 体力大丈夫なの? ていうか、10個作ったら疲れ切ってもう帰りたいって思わないの。
2人は子供みたいな顔をして再び飴に触るのであった……。
***
「はい、そこまで〜。もう遅くなっちゃうから部室閉めるわね。あっ、田中くん、入部でいいわよね。これ入部届け。明日には持ってきてね」
「う、うっす」
「ははん、最後は私の勝ちよ!! まああんたも中々すごかったけどね」
「おい、片付けるぞデカ女。……これどうやって片付けるんだ」
「はぁ、そんなものわからないの? いい、片付けが一人前に出来て初めてパティシエ競技者って名乗っていいのよ。あんたはシルパット洗って頂戴」
「おう」
シルパット……、変なゴムみたいな敷物をシンクで洗おうとしたら指先に痛みを感じた。
指の皮が向けて真っ赤になっていた。
アドレナリンが出まくっていて全然気が付かなかった。
そういや、途中で手袋が破けたもんな。
洗い物をしていると、堤下先輩が隣に来た。
「飴細工はね、特殊な技術なの。パティシエ20年やっててもやった事ない人もいる位だし、三年間頑張っても薔薇ひとつうまく作れない人もいるんだ……。田中君、未経験で平塚さんに勝てたのって奇跡に近いほど凄い事なのよ」
「あんまりよくわからないっす。ただ必死に作ってただけで」
「そもそも普通の高校生は薔薇なんて作れないから……。一週間くらいみっちり教え込まないと無理よ。しかもあのクオリティは絶対不可能。田中君才能あるわよ」
「そうなんすか? でも、俺、クッキーとかたまに焦がすし……」
「ぷっ、家でクッキー焼いてる田中君想像つかないね」
なんだろう、嫌な笑い方じゃないな。昔、俺がお菓子を作るのが好きだって周りにいったらバカにされたんだ。
「……あいつすっげえ気合だった。なんか中学の頃のボクシングをマジでやってる奴と同じ顔だった」
「あはは、そうね、あの子は情熱が強すぎて周りと合わなかったのかもね」
平塚はもくもくと飴ランプを片付けて床にモップをかけていた。
少し疲れた顔をしているが、妙に強気な表情がむかつく……。
「あっ、田中くん、平塚さんを送っていってね! もう暗いから絶対一人で帰宅させちゃ駄目だよ。なんか最近この辺りですっごく怖いヤンキーがうろついているって噂だから」
「う、うっす?」
……怖いヤンキー……、なあそれってもしかして俺の事じゃね?
「え、絶対嫌ですよ。先輩何言ってるんですか?」
「平塚さん、部活の先輩の言う事は絶対ですよ! あ、うちの部活は部内恋愛禁止だから気をつけてね!」
「ありえないわね……」
「マジないわ……」
***
私立桜ヶ丘学園。
東京都内にある巨大な学園。
偏差値はそこそこ高い、スポーツが強くて有名だ。
パティシエ競技部というのは聞いたことなかったが、先輩いわく昔は強かったらしい。
今は部員は先輩一人しかいない。
もうずっと公式戦に出場出来ていないみたいだ。
俺と平塚はとりあえず先輩の言う事を聞いて2人で帰る。
同じ電車、同じ駅。……気まずい。
「……あんた何か喋りなさいよ。黙ってたらなんか気まずいでしょ」
「明日からチャリにするか……」
「悪くないわね。あんたはチャリで私は電車、それでこんな関係はおさらばよ」
「負けたみたいでむかつくな」
俺がその言葉を言うと平塚は黙ってしまった。口が凄い方向に尖らせている。器用なデカ女だ。
商店街を歩いていると、いつも通っているお菓子屋さんが見えた。
ショーケースの中には新作のケーキがあった。
この時間まで売れ残っているのは珍しい。
ポケットに手を突っ込んで小銭を確認する。
「俺、ちょっとあそこに寄るからお前先帰れ。ガキじゃねえんだから一人で帰れるだろ」
「ま、待ちなさいよ。私こそ今日はあそこのケーキ屋をチェックしようと思ってたのよ! 引っ越して色んなお店行ったけど、あそこはまだだったのよ」
「……ふん」
「……ふんっ!」
俺たちは我先にとケーキ屋へと入るのであった……。
***
「マルコナ産のアーモンドパウダー使用か、普通のとどう違うんだろうな」
「はっ? あんたそんな事も知らないの? マルコナは超うまいのよ」
「ていうか、ムースとババロアの違うがよくわかんねえんだよな」
「全く違うわ。ムースは泡の意味を持っていて、ジュワっとふわっとしてて、ババロアとは製法が違って――」
なんだこれ?
俺達は無事にケーキを買って再び帰路につく。
始まりは俺の独り言だった。ケーキの疑問をつぶやくと、平塚が速攻答えを言ってくる。
いつの間にかそんなやり取りをしながら歩いていた。
「ていうか、あんたってマジで素人なわけ? あんな飴細工ができるのに?」
「……さっきはデカい口を叩いたけど俺の技術と知識は素人と変わんねえだろな。ただケーキが好きなだけで、親父から教わってって言っても、店の雑用が多かったしな」
「ふーん、ケーキ屋の息子なんだ」
「もう潰れちまったけどな」
「あっそ、そんなもんでしょ。あんたパティシエ競技部に入るなら本気でやりなさいよ。てか、あんたのガタイだと運動部じゃないの?」
運動部か……。中学の頃のトラウマを思い出してしまう。
「いや、運動は出来ねえんだ」
俺は平塚に顔を近づけた。
「ちょ、むさいわよ! キモいわよ!」
「このくらいの近さじゃねえと、顔がわかんねえんだよ。事故で目の手術した。それに膝も爆弾かかえてる。お前が中学の時に全国行ったみたいに、俺もボクシングで全国行ってんだよ」
……俺はなんでこんな事喋っているんだ? 周りから不良呼ばわりされて誰からも信じられず嫌われて、親父はいなくなって……人生の目標なんてなくなっていた。
「あっそ、ならメガネして競技者になりなさいよ」
「あん? お前入るなっていっただろ」
「あんたのケーキを作る技術は知らないけど、あんたはパティシエ競技者としての適正があるわ。っていうか、多分あんたバケモンよ」
「はっ?」
いつの言われている『バケモノ』という言葉の響きとは違う。人を蔑む言葉の感情の乗り方じゃない。
ふと気がつくと自分の家の前に着いていた。
シャッターが閉まった店舗兼自宅のケーキ屋。
「くそ、家に着いちまったぞ。個人情報ダダ漏れだ」
「ふーん、あんたちょっと見せなよ。ケーキ屋だったんでしょ?」
「あ、こら、待ちやがれ!! おま、強引に開けようとするんじゃねえよ!? お前はゴリラか!?」
「ご、ゴリラ!? こ、こんな可愛い女の子捕まえて」
「ま、まて、殴るんじゃねえ。ほら、開けてやるから……」
玄関から家に入る、店舗につながっている扉の鍵を開く。
俺達は店の中へと入る。
あの頃のままだ、親父が死んだ時と。
もちろん掃除はしている。
「ふーん、結構小綺麗にしてるわね。機材も質が良いのを使ってるわ。……食材も残ってるの?」
平塚の口がむずむずと動いていた。……こいつ結構顔に出やすいタイプか。
親父が褒められているみたいで悪い気はしねえ。
「ああ、乾物系はこっちの倉庫にある。俺がクッキー焼くっていっても、少量だから家のキッチンで作ってんだよ。あんまあちこち触るんじゃねえぞ」
俺が倉庫を開いた瞬間、平塚は感嘆のため息をした。
「はぁぁ……、これ、凄いわね……」
「ん、何いってんかわかんねえな」
「……あんたってあれでしょ、思った事口に出て嫌われるタイプでしょ。まあいいわ、この私が説明してあげるわ」
平塚が偉そうな顔をしながら砂糖袋を指差す。
「あれはパラチニットって呼ばれている砂糖に近いもので、飴細工に使うものよ。それが数袋もあるのよ? 学校にも置いてないわよ。他にもピエスモンテに使うものや、あれはシュガークラフトの道具ね」
「ふーん、そっか興味なかったから放置してたわ。……お、おい、怒るんじゃねえよ! 俺だって今日初めてパティシエ競技なんて知ったんだから」
平塚は鬼のような形相で俺を見ていた。
「ねえ、あんた、本気でパティシエ競技するんでしょ」
「おう、やるからにはガチだ」
平塚は目を閉じて何か考えていた。
思考がまとまったのか、まとっている空気が変わった。
「さっき言ったでしょ、あんたはバケモノだって。あれは比喩でもなんでもない。少し説明するわよ」
平塚がカバンからノートを取り出す。……その猫のシールはどこで買った? すごく……気になる……。
「店のパティシエとパティシエ競技者は別物。そこまではいい?」
「ああ」
店のパティシエってのはお客さんのためにケーキ作ったりクッキー焼いたりして売るって事だよな。
「パティシエ競技、高校生の公式戦。8時間で『飴細工』『チョコレート細工』『氷細工』『プティガトー』『アシェットデセール』を完成させる必要があるわ」
「え? さっきの薔薇の競争じゃねえのか?」
「あれはただの小さな試合でやるものよ。ていうか、私が喋ってんだから口挟まないで」
「ていうか、プティガトーは小さなケーキだろ、それは意味がわかる。アシェットデセールってなんだ?」
「デセール。……レストランで出てくる皿盛りのデザートの意味よ。あんたフランス語はわかる?」
「高校生にわかるわけねえよ」
「そっ、説明を続けるわ。この公式戦で配点が高いものがあるわ。『飴細工』『チョコ細工』『氷細工』の3つよ。もちろんケーキの味も重要だけど、アシェットとプティガトーの合計点が、飴細工と同じ点数だわ」
「……細工ものが重要って事か」
「そうよ。公式戦に出場する競技者は三人。分担して作業をするわ。例えば、私が全国8位になった時、私はオールラウンドプレイヤーで、全部作っていたわ」
「お、おう、意味わかんねえけどすげえな」
「……今、うちの部活には何人部員がいる?」
「見た限り、先輩と俺とお前? 丁度三人だう」
「ううん、先輩はマネージャーよ。主に補佐をするわ。初日に確認したからこれは確定事項よ。細工物がうまく出来ないのよ」
「えっ……? ていうことは俺とお前?」
「ええ、ド素人のあんたと天才のわたしよ。……一人足りないわ。本来なら10人ほどのチームを形成して全国大会に挑むのに……」
平塚が小さなため息を漏らした。が、目には強い意志の力を感じる。
「正直、こんな学校に入って無理だと思ってたけど、あと一人見つかれば全国行けるわ」
「はっ? 俺素人だろ?」
平塚の口がむずむずしていた。しかも口を尖らせている。一体どんな感情なんだっての……。
「……あんたの飴は教え込めば最強の武器になるわ。ふんっ」
俺の、飴細工が最強の武器?
「バケモノの素人ね。明日から三人目探すわよ。朝、部室に来なさいよ」
平塚はスタスタと出口へと向かった。
「おい、お前の事送んねえと先輩に怒られるだろ!? ていうか怖いヤンキーが出るんだろ?」
平塚はうちの隣のアパートの前で立ち止まった。
親指でアパートを指す。
「はっ? ここがうちだからミッションはクリアしてるわよ。ていうか、怖いヤンキーってあんたしかいないでしょ。明日、遅れるんじゃないわよ!!」
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