第09/15話 取っ組み合い
「この野郎、ぶっ殺してやる!」
砂虎が視界の左側から現れた。紺斗の体の上、胸のあたりに馬乗りになる。腹の銃創を攻撃しないのは血で衣服が汚れることを避けるためだろう。両手を紺斗の首に伸ばしてくると、ぎゅううう、と絞め始めた。
紺斗は砂虎の手首を掴んだ。懸命にどかそうとしたが、びくともしなかった。砂虎の力は強く、そもそも自分の体力が残り少なくなっていた。
(何か、何かないか──武器とか道具とか──)
崖に身を投げるような気分で手を砂虎の両手首から離した。腕を左右にめいっぱいに伸ばし、ばたばたばた、と激しく、というよりは自暴自棄気味に動かした。
右手が、床から突き出ている小さな出っ張りのような物に触れた。正体を確認している暇もなく、すがるように掴む。あらん限りの力を込め、手前に引っ張った。
(──!? 視界の右端で何かが揺れたぞ──!)
それは南西にある陳列棚の西端だった。ステーショナリーガールズのコラボキャンペーン景品が並べられているのが見える。どうやら、最下段に位置する棚板の手前の端──商品がずり動いたとしても簡単には落ちないように小さく出っ張っている辺──を掴んだようだった。
紺斗はその端を再び引っ張った。一秒後、何かが棚の最上段から飛び出してきた。キャンペーン景品のうちの一つ、文鎮の入った厚紙の箱だ。
箱は砂虎の後頭部に衝突した。ごん、という鈍い音が鳴り響いた。
「がああ……!?」
砂虎は手を紺斗の首から離し、頭の後ろを押さえた。ひどく苦痛そうで、紺斗の存在など忘れたかのように目をつむり、表情を歪めた。頭を床に打ちつけた時の傷に命中したに違いなかった。
(なんとかして、こいつを、どかさないと……!)咳き込みながら必死に考えを巡らせた。(他に、何か、ないか……!?)
首を右に動かし、陳列棚の最下段に視線を遣った。カッターナイフの入ったプラスチックのパッケージを見つける。
(あれだ!)
右手を伸ばし、その商品を掴んだ。顔の前に持ってくると、両手を使ってパッケージを破り捨てる。カッターナイフを取り出し、右手に握った。
スライダーを、ちきちきちきっ、と一気に滑らせて刃を出した。音に気づいたらしい砂虎がまぶたを開けた。
(どりゃあっ!)
紺斗は右手を横に振った。とうてい届かなかったが、じゅうぶん威嚇になった。砂虎は慌てて体の上からどくと、床についた尻を滑らせるようにして北東に後退した。準北西にある陳列棚の南側に背をつける。
しばらくの間、二人は睨み合った。お互い、はあはあ、ぜえぜえ、ふうふう、と荒いながらも多種多様な呼吸を繰り返していた。
(このままじゃ膠着状態、というより怪我が重い分おれのほうが不利だ……なんとかして──)
突然、売り場の北西から、びりりり、という電子音が聞こえてき始めた。思わずそちらに視線を遣る。
成小路の死体の手前に紺斗の腕時計が落ちていた。音の正体は、深夜アニメを見るために設定していたアラームだ。
しかしそんなことはどうでもよかった。
(あれは──拳銃!? 薄茶テーブルの前、北東にある脚の近くに……!)
紺斗は先んじて行動を開始した。拳銃の転がっている所に向かうため、眩暈だの激痛だのに襲われながらも強引に四つん這いの姿勢をとった。
いっぽう砂虎のほうはというと、行動開始こそ遅れをとったものの、その後が早かった。立ち上がる時間も惜しいらしく、半ば四足歩行で拳銃めがけて駆けだした。
(このままじゃ間に合わない、取られてしまう……!)
やがて砂虎は到着し、拳銃を拾った。その時、紺斗は薄茶テーブルの前、南東にある脚の近くにいた。
砂虎は四つん這いのまま体を右に曲げ、紺斗を睨みつけてきた。「くたばりやがれ!」銃口を向けてきた。
どばっしゃあん、という音が響き渡った。砂虎の頭や体に大量の熱湯が降り注いだためだ。
正確にはお湯ではなくスープだ。紺斗は、先に拳銃を取られてしまうと判断すると、薄茶テーブルの東の辺を掴み、思いきり手前に傾けて横転させた。それにより、上に置かれていたスープバー装置がひっくり返り、中のスープが降り注いだというわけだ。
「ぐおお……!?」
砂虎の呻き声に混じって、どおん、という音が轟いた。突然の熱湯に驚いた拍子にトリガーを引いたに違いなかった。
紺斗は本能的に目をつむりたくなったが、歯を食い縛り、必死にまぶたを開き続けた。体じゅうの神経すべてを集中させるような気持ちで、眼前の光景を凝視した。
拳銃は発砲の反動により砂虎の手からすっぽ抜け、宙を吹っ飛んだ。砂虎の足の手前に落ちる。
(チャンスだ!)
紺斗は四つん這いで拳銃のある所に向かった。到着するなり拾い、グリップを握り締める。熱いスープに塗れているせいで高温だったが、我慢できないほどではなかった。
首を上げ、砂虎の様子を観察した。砂虎は腹這いになり、顔面を床に押しつけていた。びしょ濡れの衣服や辺りに広がるスープからは濃い湯気がもうもうと立っている。スキンヘッドの頭や手の皮膚にはいかにも深刻そうな火傷がいくつも出来ていた。
そこまで確認したところで、砂虎が日本語では表現できないような呻き声を漏らしながら頭を上げた。顔の肌の大部分が、べろん、と剥がれたのが見えた。
舌にも火傷を負ったらしく、呂律の回らない口で言った。「たしゅけてくれ」
紺斗は砂虎に銃口を向け、トリガーを引いた。どおん、という音が鳴り響いた。発砲の反動により拳銃がすっぽ抜け、いずこへと吹っ飛んでいった。
砂虎の頭に大穴が開いた。体勢が崩れ、顔面が床に衝突した。それ以降はぴくりとも動かなくなった。
(やったぞ! ついにやっつけ──)
世界が傾いたかのような強烈な眩暈に襲われた。四つん這いの姿勢すら保てず、崩れ落ちて腹這いになった。
(あ──!?)
さきほどの体勢に戻ろうとした。しかし手足を思うように扱えなかった。意識を振り絞り、指先から肩口まで爪先から股間まで、渾身の力を込める。
数十秒後、ようやく四つん這いになれた。だが一秒も経たないうちに維持できなくなり、またしても崩れ落ちた。
(さっき一瞬だけ見えたぞ……右の腿にでかい銃創が出来ていやがる……! 砂虎がスープを浴びた拍子に撃った弾が……当たったに違いない……今までやつを倒すことに集中していたせいで……気づかなかった……)もはや悔しがる仕草すらできなかった。(傷口からは……血が勢いよく流れ出していやがった……。動脈を損傷してしまったんだろう……)
意識にもやがかかり始めた。強烈な睡魔に襲われた。眠ろうものなら二度と目覚めないことは明白だ。
(救急車を呼んだところで……間に合わない……)出血のせいか絶望のせいかどんどん気分が悪くなっていった。(どうすれば……どうすれば……どうす──)
スラックスのポケットから電子音が聞こえてきた。妃乃のスマートホンのメール受信音だ。
(……そうだ……)
紺斗は右手に渾身の力を入れた。スマートホンをポケットから取り出し、床に置く。パスワードを入力し、ロックを解除した。
(よし……後は……)
録音アプリを起動すると、スタートボタンをタップした。口や喉、肺などにあらん限りの力を込める。数秒後、なんとか「…………妃乃…………」と言うことができた。「…………愛して──」意識が途絶えた。
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