第08/15話 目覚め

 通話開始ボタンをタップし、スマートホンを右耳に当てた。「助けてくれ、救急車を──」

「こちらは奥高尾おくたかおミュージックプロダクションです」紺斗の台詞を遮り、音声が聞こえてきた。「当社の音楽作品のアンケートにご協力ください。番号はメッセージの途中でも入力できます」

(自動音声かよ……! これじゃあ助けを求められない)肩を落とした。(……いや、絶望するのはまだ早い。アンケートに答えていけば、選択肢次第ではオペレーターとの通話ができるようになる可能性がある。諦めるな、粘るんだ!)

「第一問。あなたは普段、音楽を聴きますか? いつも聴く場合は1を、よく聴く場合は2を、しばしば聴く場合は3を、あまり聴かない場合は4を、ほとんど聴かない場合は5を、まったく聴かない場合は6を入力してください」

(相手が求めているであろう内容を回答しておいたほうがいいな。でないとアンケートが途中で打ち切られてしまうかもしれない)

 紺斗は画面にキーパッドを表示すると「1」キーをタップした。

「第二問。あなたは普段、電波ソングを聴きますか? いつも聴く場合は1を、よく聴く場合は2を、しばしば聴く場合は3を、あまり聴かない場合は4を、ほとんど聴かない場合は5を、まったく聴かない場合は6を入力してください」

 紺斗は「1」キーをタップした。

「第三問。次の音楽作品についてご感想をお聞かせください。

『おっぱい♪ おっぱい♪ 満月おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 地球おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 木星おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 太陽おっぱい♪』

 とてもよかった場合は1を、よかった場合は2を、どちらでもない場合は3を、悪かった場合は4を、とても悪かった場合は5を入力してください。もう一度聴く場合は6を──」

 紺斗は「1」キーをタップしようとしたが、その直前に眩暈に襲われた。人差し指が「6」キーに接触した。

「『おっぱい♪ おっぱい♪ 満月おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 地球おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 木星おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 太陽おっぱい♪』

 とてもよかった場合は1を、よかった場合は2を、どちらでもない場合は3を、悪かった場合は4を、とても悪かった場合は5を入力してください。もう一度聴く場合は6を、フルバージョンを聴く場合は7を──」

 紺斗は「1」キーをタップしようとしたが、その直前に眩暈に襲われた。人差し指が「7」キーに接触した。

「『あなたはもうじゅうぶんだと言ったけれど♪ わたしの恋は治まらないの♪ 毎日毎時膨れ上がっていくの♪ いけるとこまでいっちゃおうよ! あそれそれそれそれ!

 おっぱい♪ おっぱい♪ 満月おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 地球おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 木星おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 太陽おっぱい♪

 あなたはもうやめてくれと言ったけれど♪ わたしの愛は治まらないの♪ 毎分毎秒膨れ上がっていくの♪ なれるとこまでなっちゃおうよ! あそれそれそれそれ!

 おっぱい♪ おっぱい♪ 巨星おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 超巨星おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ 銀河系おっぱい♪ おっぱい♪ おっぱい♪ ブラックホールおっぱい♪』

 とてもよか──」

 今度こそ「1」キーをタップした。

「以上でアンケートは終了です。ご協力ありがとうございました」

 スピーカーから、ぶつっ、という音が聞こえてきた。ディスプレイに視線を遣る。「通話終了」と表示されていた。

(付き合わせるだけ付き合わせておいてこれかよ……!)スマートホンをぶん投げたくなった。(……落ち着け、とにかくロックを解除しないと)

 紺斗はディスプレイをパスワード入力画面に切り替えた。「89374000」と打ち込み、「OK」ボタンを押す。「パスワードが違います」という文が出た。

 その後もロックの解除を試み続けた。そして「89374091」と入力したところで、唐突にスピーカーが電子メロディを流し始め、ディスプレイがロック画面から着信画面に切り替わった。発信者名は非通知となっている。

(まさか非通知の着信に感謝することになるとはな。今度こそ助けを求めないと!)

 通話開始ボタンをタップし、スマートホンを右耳に当てた。声を発しようとしたが、その直前に眩暈に襲われた。目と口を閉じて俯き、気分が楽になるのを待った。

「ねえ……きみ……」息の荒い男の声が聞こえてきた。「どんな靴下穿いてんの……?」

(変態の悪戯電話かよ……!)顔を苦らせた。(いや、この際変態でも何でもいい、とにかく助けを求めないと)

「ねえ……教えてよ……どんな靴下……? ルーズソックス……? レッグウォーマー……? あっ……もっもしかしてぇ……アンクレットソックス……?」

 ようやく眩暈が治まった。口を開き、喋り始める。「た、助けてく──」

 スピーカーから、ぶつっ、という音が聞こえてきた。ディスプレイに視線を遣る。「通話終了」と表示されていた。

(変態の野郎、切りやがった……!)スマートホンを潰さんばかりに握り締めた。(相手が男だとわかったからか……?)

 いらついている時間も惜しく、気をとりなおして再びロックの解除を試みだした。「89374092」と打ち込み、「OK」ボタンをタップする。

 認証成功のメッセージが表示され、ホーム画面に切り替わった。メールアプリや電話アプリ、録音アプリなどのアイコンが現れた。

(やった、やった、やった……!)万歳でもしたくなった。(早く消防に通報──)

 突然、「うう……」という唸り声が背後から聞こえてきた。

 紺斗は後ろを振り返った。またしても「うううう……」という唸り声が聞こえてきた。

 その時、砂虎が、口をもぐもぐと動かしたり、眉をくいくいと上げ下げしたり、手をぴくぴくと震えさせたりしていることに気づいた。

(こいつ、起きようとしているのか……!?)目をみはった。(不味いぞ……。強盗犯が救急車を呼んでくれるなんて思えない。トドメを刺される可能性が高い。

 仮に殺されなかったとしても、スマホは没収され、おれは余計なことができないように縛られるだろう。強盗犯が金庫から金を盗んだ後、わざわざ拘束を解いてくれるとは考えにくい。放置され、そのまま死んでしまうに違いない。

 なんとか、なんとかしないと……!)

 周りを見回した。床の上、砂虎の足から北に十数センチ離れたあたりに拳銃が転がっているのが目に留まった。

(あれだ……! あれで砂虎に「おれや妃乃に危害を加えるな」「早く店から出て行け」と命令──いや、ちょっと待て。

 おれは大怪我を負い、妃乃は気絶している。二人ともベストコンディションならともかく、こんな状態では砂虎が指示に従わない可能性が低くない。例えば、妃乃を人質にとられるとか隙をついて反撃されるとか、そういう事態が発生するかもしれない……)

 紺斗はスマートホンをスラックスのポケットにしまうと、四つん這いで拳銃の転がっている所に向かった。血溜まりに手やスラックスを浸ける羽目になったが、気にしている余裕はなかった。到着するなり拳銃を拾い、グリップを右手で掴んだ。

(もういっそのこと殺してしまおう……! 罪悪感なんて後回しだ、やらなきゃこっちがやられてしまうんだぞ!)

 四つん這いのままターンし、砂虎の上半身に向かった。砂虎はいつの間にやら両手を動かし、後頭部と床の間に挿し込んでいた。「ううーん……」という弱々しい唸り声を上げている。まぶたが四分の一ほど開いていた。

(間に合え……!)

 紺斗は砂虎の胴の左横で止まると、上半身を起こして膝立ちになった。拳銃のグリップを両手で握り締めると、銃身を垂直にした状態で、銃口を砂虎の胸に押しつけた。

 砂虎の左右のまぶたが、ばちっ、と全開になった。

(くたばりやがれ!)

 トリガーを引いた。しかし引けたのは数ミリメートルだけだった。弾が発射されるより前に、砂虎が右手を頭の後ろから引っこ抜き、紺斗の左手首を打ったためだ。

 紺斗の手は大きく右へ振れた。拳銃がすっぽ抜け、いずこへと吹っ飛んでいった。腕時計も、ベルトの留め具が壊れて外れ、同様に吹っ飛んでいった。

 紺斗自身も膝立ちの姿勢を維持できなくなった。体が、右に捻られつつ左斜め前に傾いていく。数秒も経たないうちに、左半身を床──砂虎の体の左横──にぶつけた。

 急いで起きようとしたが、腹がいっそうの苦痛に見舞われ、できなかった。手足を動かすことも忘れ、「ぐうう……」という唸り声を漏らす。紺斗は今、頭を南に、足を北に向けた状態で仰向けに寝転がっていた。

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