第06/15話 アクシデント

 どれほどの時間が経ったかは不明だったが、とにかく砂虎が思い出したように拳銃を紺斗に向けてきた。「忘れてくれ」どことなく気恥ずかしそうだった。「本題に戻ろう。おれについてこい。この店には結束バンドが売っているだろう、あれで拘束させてもらう。大人しく捕まっていてくれればそれ以上の危害は加えねえ」右足を紺斗のほうに差し出した。

 その足は大きく前に滑った。靴底が雪で濡れているせいだ。

 一秒後、砂虎の尻が床に衝突した。〇・五秒後、後頭部が床に激突した。

 〇・一秒後、どおん、という破裂音が鳴り響いた。砂虎が発砲したのだ。誤ってトリガーを引いてしまったに違いなかった。

 紺斗の喉から「おおおお……!?」という困惑の混じった呻き声が噴出した。腹に強烈な苦痛を感じたためだ。

 自分の胴に目を遣る。ジャンパーに穴が開き、そこから流れ出している血が服を赤く染めていた。

「ぐうう……!」

 両手で銃創を押さえた。しかし血は指の間から掌の下からどんどん溢れ出してきた。立っていることもできず、ひざまずき、正座のような姿勢をとった。

(血、血、血をどうにかしないと……! 何か、何かないか、止血に使えるような物は──)

 辺りに視線を巡らせた。薄茶テーブルの上にバスタオルやガムテープが陳列されていることに気づく。

(よし、あれで……!)

 紺斗はバスタオルを胴に巻きつけて銃創を覆うと、ガムテープでジャンパーに貼りつけた。その一連の行為を繰り返し、最終的には三枚のバスタオルを帯にした。

(今できる応急手当てはこのくらいか。と、とにかく救急車を呼ばないと! ……しかし、どうやって? 店の固定電話は通信システムの障害のせいで役に立たない。

 バックヤードには業務用のパソコンがあるが、それを用いるのも無理だ。ログインパスワードを知らされていないんだ、アルバイトのおれには権限がないから)

 辺りに視線を巡らした。周囲の床は成小路の頭から噴き出した血や紺斗の腹から溢れ出した血で真っ赤に染められていた。

(ならスマホを使うか? たしか大切戸コミュニケーションズからのメッセージには「携帯電話サービスは通常どおりに利用できる」と書いてあったはずだ。

 だが、おれのスマホは駄目だ。スープバー装置の四角鍋の中に入ってしまっている。防水機能なんて備わっていない、故障しているに違いない)

 紺斗は砂虎を一瞥した。仰向けに寝転がり、頭を南に、足を北に向けている。打ちつけた後頭部からは血がわずかに流れ出していた。気絶していて、今のところ意識を取り戻す気配はない。床に溜まっている紺斗や成小路の血は、砂虎の靴を少しばかり濡らしたあたりで拡大が止まっていた。

(……そうだ)紺斗は成小路の死体に視線を遣った。(成小路のスマホを利用しよう!)

 紺斗はよろめきながらもなんとか立ち上がった。成小路の死体の元を目指す。腹は絶えることのない強烈な苦痛に襲われていたが、両脚は無傷であるおかげで、移動すること自体は不可能ではなかった。とはいえ、走ったり跳ねたりすることはとうていできない。歩くだけで精一杯で、その速度も平時より遅かった。

 到着するなり成小路の衣服を漁り始めた。そう苦労しないうちにジャンパーの胸ポケットからスマートホンが見つかった。

(……駄目だ、でかい穴が開いていやがる。砂虎の撃った弾のせいだ。スマホを貫通して成小路の胸に飛び込んだんだな)

 諦めきれず、その後も衣服を調べた。だが見つかったのは財布とキーケース、煙草、ライターだけだった。

(どれも役に立たないな)紺斗は財布だのライターだのをその辺に捨てた。(こうなったら外に出ようか? 直接病院に行って……いや、そこまでしなくても、公衆電話を見つけられれば消防に通報できるし、民家や深夜でも営業している店を見つけられれば、そこにいる人に頼んで救急車を呼んでもらえるのでは?)

 しかし、いろいろと検討した結果、その案は却下した。

(第一に、大雪が降っている……そんな中を歩くだなんて、時間も体力もいちじるしく消費してしまう。ただでさえ腹に銃創を負っているというのに。

 第二に、おれはこのあたりの地理にぜんぜん明るくない。かろうじて覚えているのも、田とか畑とか、公園とかコインパーキングとか、空き家とか廃屋とか……そんな所に行ったって助からない)

 紺斗は南の壁の外に視線を遣った。駐車場の北の辺に沿うようにして、駐車スペースの白枠が東西に並んでいる。そのうち東端にあるものには橙色のクーペが停められていた。砂虎の車だろう。

(やっぱりこの店から助けを呼ばないと。しかし、どうしたら……)

 藁にもすがる思いで周囲を見回した。砂虎の姿が目に留まる。

(そうだ、砂虎のスマホを借りよう!)

 紺斗は砂虎の元へ移動すると衣服を調べ始めた。ズボンの後ろポケットにスマートホンが収められているのを見つけ、取り出す。

 真っ暗なディスプレイには大きなひびが入り、機器の側面はあちこちが凹んだり一部が欠けたりしていた。砂虎が尻を床に打ちつけた時、下敷きになったせいだろう。

 紺斗は祈るような気持ちでホームボタンを押した。画面が明るくなった。

(やった! ええと、OSは……おれのスマホと同じか。なら使い方はわかる。緊急電話機能で救急車を呼ぼう。ロックがかかっている状態でも利用できるようになっているはずだ)

 スマートホンを操作し、緊急電話機能を起動した。画面にいくつかのボタンが表示される。その中に「119番緊急通報 消防救急無線」というものがあった。

(よし、これだ……!)紺斗はそのボタンに右手の人差し指を近づけていった。

 唐突にディスプレイが真っ暗になった。

(ちょっ、何!?)

 紺斗は目を見開いた。ホームボタンを連打する。黒一色の画面の中央にバッテリー切れを意味するアイコンが現れた。

(い、いや、まだだ……まだ絶望するのは早い……!)奥歯を強く噛み締めた。(充電すればいいんだ。ここはコンビニ、モバイルバッテリーだってケーブルだって販売しているからな)

 紺斗は砂虎のスマートホンを持って売り場の電子機器コーナーに移動した。準南西にある陳列棚の南側、西端の手前だ。

 モバイルバッテリーとケーブルを取り、床に座り込む。背を陳列棚の南側にもたれさせ、脚を前に伸ばした。それぞれの商品の包装を破くと、中身を出す。ケーブルのコネクターを摘まみ、スマートホンのポートに挿し込み始めた。

 コネクターは途中で止まった。ポートに入りきらないのだ。

(なんだと……!?)

 思わず何度も挿し込もうとした。しかしそのたびに途中で止まった。

(どういうことだ……)

 紺斗はポートをよく観察した。その枠が大きく歪んでいることに気づいた。砂虎が尻を床に打ちつけた時、下敷きになったせいだろう。

(これじゃあ充電できない……)手を下ろしつつ、半ば放り捨てるようにしてスマートホンやケーブルを離した。全身から力を抜いた、というより抜けた。(……それにしても、バッテリーが切れる前に見た、あのロック画面……)

 ロック画面には写真が設定されていた。砂虎と、同年代の男二人、合計三人が写っていた。みな満足げに笑い、手にはSFじみたデザインの銃の玩具を携えていた。三人の横には蛸をデフォルメしたキャラクターの着ぐるみが立っていた。

 写真の上部には3Dゴシック体の文字が浮かび、「SCORE 991 EXCELLENT!」という文を形作っていた。その文字は三人の頭上にも浮かんでいた。砂虎のものは「砂虎」「スナトラ」、他の男のうち一人のものは「辰晴」「タツハル」、もう一人のものは「埴典」「ハニノリ」だった。

(最後の男の顔には見覚えがあった──西之堀埴典だ。ということは埴典の犯罪仲間とは、砂虎と、あの辰晴というやつのことなのか?

 ……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。なんとかして助けを呼ばないと。しかしどうすれば──)

 その時、ぶろろろろ、という音が外から聞こえてきていることに気づいた。音はどんどん大きくなっていた。

(車だ……!)紺斗は半分ほど下げていたまぶたを全開にした。(あの車のドライバーに頼んで消防に通報してもらおう! そうと決まれば、通り過ぎる前に外に出て助けを求めないと……!)急いで立ち上がろうとした。

 全身から力を抜いていたところ、唐突に動こうとしたせいか、腹が激痛に襲われた。「うぐう……!」という呻き声が漏れる。立ち上がるのは一時的に断念せざるを得なかった。さきほどまでと同じ姿勢で座り込み続ける。

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