第04/15話 アルバイト

 新北野紺斗は床に置いてあるプラスチック製のかごから鉛筆のダース箱を取り出すと、陳列棚の二段目に並べた。箱には「ステーショナリーガールズ」というソーシャルゲームに登場する美少女キャラクターのイラストが描かれていた。

(本当、大人気だよな、ステーショナリーガールズ……コラボキャンペーンの景品の補充、これで二回目だぞ。おかげで、景品を獲得するために購入する必要のある菓子パンやら栄養ドリンクやらが飛ぶように売れているよ。まあ、売り上げなんてアルバイトのおれには関係ないだろうけれど。ボーナスを出してくれるようなところじゃないし)

 紺斗はコンフォートストアというコンビニの金内かねうち店にいた。売り場はやや東西に伸びた長方形をしている。精算カウンターは西の壁の手前にあり、南北に細長いL字形をしていた。玄関は南の壁、真南と南西の間に設けられていた。

(例の和風ポテトチップスなんて在庫がなくなったからな。初めてだよ。いつもはぜんぜん売れなくて、準北東にある陳列棚のスナック菓子コーナーにたくさん余っているのに)

 売り場の陳列棚は東西に長く、四行二列、つまり八台が置かれていた。紺斗は棚の位置を、一行目の物は北西・北東、二行目の物は準北西・準北東、三行目の物は準南西・準南東、四行目の物は南西・南東と呼んでいた。北の壁と東の壁はドリンク類やサンドイッチ類などのショーケースで覆われている。南の壁の手前には、コピー機やマルチメディア端末などさまざまな設備が置かれていた。

(こんなに人気なら万引きされないだろうか? この店は被害が少ないほうだがな。いろいろと対策が講じられているし)

 視線を壁の上部や天井に向けた。あちこちに防犯ミラーだの防犯カメラだのが設けられていた。

(おれもステーショナリーガールズをプレイしてみようか? たしかこれって「文房具を擬人化した美少女キャラクターたちを率いてモンスターたちと戦う育成シミュレーション」だったよな。ぜんぜん遊んだことのないジャンルだから、自分の好みに合うかわからないんだよなあ。一か月前から放送されている深夜アニメは面白いんだけれど)

 紺斗は深緑色の長袖ジャンパーを羽織っていた。店員の制服だ。ボトムスは以前と同じく黄緑色のスラックスで、左手首には腕時計をはめていた。

(そうだ、後で腕時計のアラームを無効化しておかないと)

 腕時計を一瞥した。時刻の欄には「23:57」という値が、天気の欄には雪だるまのアイコンが表示されていた。

(いつもはステーショナリーガールズのアニメをリアルタイムで視聴するために有効化しているんだが、今日はアルバイトだからな。録画したものを見るしかない)

 紺斗は作業を進めていった。陳列棚の最上段には文鎮の入った厚紙の箱を置き、最下段にはカッターナイフの入ったプラスチックのパッケージを置いた。

 すべての陳列棚は東西の端にも棚板が設けられ、商品を並べられるようになっていた。コラボキャンペーンの景品がまとめられているのは、南西にある棚の西端だ。

(最近、録画したテレビ番組をほとんど視聴できていないんだよな……かなり忙しかったから。三日前の拳銃殺人事件に関して警察に事情を聴かれたり、マスメディアに取材を申し込まれたり。

 というか、おれにインタビューされてもな。ネタになる情報なんて持ち合わせていないんだけど。犯人とも、被害者の西之堀にしのほり埴典はにのりとも、面識は皆無だし、事件の詳細もニュースでしか知らないし)

 埴典は二人の友人とつるみ、女性を拉致・暴行したり違法薬物を製造・密売したりと、さまざまな凶悪犯罪に手を染めていたらしい。そしてある時、拳銃殺人事件の犯人の妹が毒牙にかかり、一週間後に焼身自殺した。その復讐として埴典は撃たれたそうだ。

(それにしても最近は物騒だよなあ。ニュースによれば、銃火器の密売グループがここら辺で盛んに活動しているそうじゃないか。神津大学の事件の犯人もそこから拳銃を調達したらしいし……今朝も短機関銃によるバスジャック未遂事件が起きていたし)

 かごが空になった。紺斗は屈していた膝を伸ばした。

(次はどの作業をしようか? 何もしないでいるのはちょっと後ろめたいしな)

 カウンターに視線を遣った。レジは北と南の二か所に設けられていて、間にはホットスナックのショーケースが置かれている。出入口は二か所、北の壁の手前と西の壁の手前だ。

(カウンターの上はまあまあ綺麗で、すぐに掃除するほどではないな)

 辺りを見回し、北の壁に目を留めた。カウンター端の右横にはアルバイト募集のポスターが貼られ、そのさらに右横にはトイレの扉が取りつけられていた。扉には「故障中 使用不可」と書かれた紙が磁石で留められている。

(そうだ、便所のペーパータオルが残り少なくなっていたんじゃないか? どうせ明日の修理まで使われないから、ただちに補充する必要はないんだが……他に仕事もないし、やっておくか。……おっと、その前にかごを片づけないと)

 紺斗はかごを抱えると、南西にある陳列棚と南の壁に挟まれた通路に入り、東に向かった。すでに右足首の捻挫は完治していて、力を込めたり動かしたりしてもまったく問題なかった。

 東の壁のショーケースは南東の隅の手前で途切れ、そこにはバックヤードへの出入口が設けられていた。紺斗はバックヤードに入ると、かごを元の場所に置いた。売り場に戻り、トイレに行く。

 扉の取っ手を掴み、左にスライドさせて開けた。中に入ってから手を離すと、扉は独りでに閉まった。西の壁に洗面台が、東の壁の手前に洋式便器が設けられていた。

(ペーパータオルは……あれ、思ったより多く残っているな。これなら補充不要だ。うーん、じゃあ何の作業をしようか?)

 紺斗はトイレから出るとカウンターに視線を遣った。その手前、北のレジと南のレジの間には、南北に長い薄茶色のテーブルが据えられている。その上の北半分にはスープバー装置が置かれ、南半分には高級バスタオルや高級ハンカチ、高級ガムテープといった商品が陳列されていた。

(そういえばコンソメスープの量が少なくなっていたはずだ。補充しておこう)

 紺斗はカウンターの北の出入口を通り抜けた。西の壁、北西の隅付近に設けられているキッチンへの出入口に向かう。その手前には円い柱がそびえ、通行の邪魔になっていた。さいわいキッチンへの出入口には扉はない。

 キッチンに入った途端、顔が渋くなった。アルバイトの中年男、成小路なるしょうじの姿を視界に捉えたためだ。今、店には紺斗と成小路の二人しかいなかった。

 成小路はパイプ椅子に座り、テーブルに突っ伏して眠りこけていた。があああ、だの、ぐおおお、だの、耳にするだけで不快ないびきをかいている。売り場にも響いていて、ある種のBGMのようになっていた。

(まったく、ろくに仕事しないんだもんな。まさに給料泥棒だ。かといって起こすわけにもいかない……自分のことは棚に上げて怒鳴り散らしてくるし、最悪の場合手当たり次第に物を投げてくるからな)

 紺斗は冷蔵庫からコンソメスープのボトルを出した。中身を両手鍋に注いで蓋をし、電子レンジで温め始める。

(昨日なんて売り物の害獣忌避剤のボトルを投げてきたからな。それがアルバイト募集のポスターに当たって、キャップが外れて、内容物が床にぶちまけられて……。本当、掃除が大変だったよ。臭いも強烈だったし)

 電子レンジの動作が終わった。取り出した鍋を持ち、薄茶テーブルの前に行く。

 スープバー装置は直方体の形をしていた。上面は四角鍋が埋め込まれ、透明な蓋で覆われている。鍋は縦横の仕切りで二行四列に分けられ、それぞれの区画にはミネストローネだのクラムチャウダーだのが入れられていた。いわゆるセルフサービス方式で、装置の左横にはカップだのお玉だのが並べられていた。

 紺斗は両手鍋を薄茶テーブルに置き、スープバー装置の蓋を開けた。とても美味しそうな匂いに鼻をくすぐられ、胃袋が小さく鳴った。

(腹が減ったなあ。がっつり食べたいわけじゃないが、何か──パンを一個でいいから口に放り込みたいな。

 ……どうせなら肉まんがいいなあ。いつもアルバイトが終わってから買っているやつ)

 紺斗は南のほうに視線を遣った。肉まんのショーケースは南の壁の手前、紺斗から見て玄関の左横に設置されていた。

(……まあ、仕事中に食べるわけにはいかないな。我慢しないと)

 紺斗は蓋を外した両手鍋を持ち上げ、コンソメスープを該当区画に注ぎ始めた。どのスープもとても熱く、湯気に当たっているだけで火傷を負ってしまうのではないか、と思えるほどだった。

 数秒後、スラックスのポケットに入れているスマートホンのバイブレーションを感じた。

(何だ? 後で確認しよう)

 紺斗は空になった両手鍋を薄茶テーブルに置くと、スマートホンを取り出した。ロック画面にはSMSアプリのメッセージ受信通知が表示されていた。

 機器を操作し、アプリを起動した。メッセージは大切戸だいきれとコミュニケーションズという電話会社からのものだった。紺斗はこの会社の携帯電話サービスを契約し、スマートホンを利用していた。

 メッセージの本文を閲覧する。「大雪の影響により通信システムに障害が発生している」「固定電話サービスが利用できなくなっている」「携帯電話サービスは通常どおり利用できる」という旨が書かれていた。

(通信システムに障害ねえ……まあ、こんな天候じゃあな)

 紺斗は南のほうに視線を遣った。南の壁はガラス張りで、外の景色が見えるようになっている。大量の雪が降っている最中で、風も合わさり、身の危険を感じるほどではないにしろ、吹雪となっていた。地面には雪が積もり、どこもかしこも真っ白だった。

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