エピローグ

崩壊した東京






 嘗ての世界が終わりを迎えたのは、九年前のことだ。


 突如として現れ、目に映るもの全てを破壊し始めた、無数のバケモノ。

 年頃の子供なら一度は妄想する展開が現実になったと喜んだ馬鹿も居たけれど、そんなものは一瞬だった。


 バケモノ達にはバットも、包丁も、銃も、ミサイルも、何ひとつ通用しなかった。

 逆に向こうは、ただ手に持った武器を振り下ろしたり、体当たりするだけで、人も物も家もビルも戦車も、何もかも簡単に捻り潰し、吹き飛ばしてしまった。


 ゲームやアニメみたいに特別なチカラに目覚めた奴なんて、誰一人として居なかった。

 俺達人類、延いて動物や自然も含んだ何もかもは、ただただ蹂躙され、たった七日で街も森も山も川も原形を失い、その後はバケモノ達の中でも一際に大きく強かった奴等が挙って姿を消し、ひとまずの静寂と壊れた世界だけが残った。


 …………。

 それでも尚、あの地獄を生き残った僅かな人類は、瓦礫の隙間を這いずるネズミのように、今を過ごしている。


 俺──軍城ぐんじょうアキトと妹のアスナも、そんな中の一人だった。






「居たぞ! あそこだ!」


 背後から突き刺さる怒声。

 俺は使い古されたリュックサックを抱えながら、必死になって入り組んだ路地裏を走っていた。


「大人しく盗んだモンを返しやがれ! ソレが食料何日分になると思ってる!」


 また怒声。併せて投げ付けられた石か何かが、脇を抜けた直後のガラスを叩き割る。


 あいつらは大きな病院やショッピングモールがあったここら辺一帯を縄張りとし、埋まった物資を独占しているグループの下っ端。

 人数が多い上、自衛隊の駐屯地跡から奪った銃も持ってるとかで誰も逆らえず、頭を下げて言いなりになるしかない半グレ達。捕まったらどうなるかは火を見るより明らかだ。


 俺も出来ることなら関わりたくなんてなかったけど、どうしても薬が必要で、しかし奴等の言い値──大量の食料か、若い女──なんて到底用意出来ず、見張りの隙を窺って縄張りに潜り込んだ。

 そして首尾良く目的の物を手に入れ、浮かれていた帰り際にドジを踏み、この始末だ。


 ──狭い道を塞ぐ瓦礫の山を転々と飛び移り、乗り越える。


「このっ、ちょこまかと──うおっ!?」

「バカ、何やってんだ!」


 軽い悲鳴と、コンクリート片が雪崩のように崩れる音。

 あの山は何ヶ所かある重心の据わった足場を正確に踏まなければ、簡単に崩れる。


 俺は奴等が手間取ってる内に、全速力で走った。

 走って、走って、心臓が破れそうになるまで走り続けて──なんとか、逃げ果せることに成功した。






「アスナ!」


 倒れたビルとアスファルトの隙間。

 瓦礫で上手くカモフラージュした出入り口を潜り抜け、ここ暫くの隠れ家へと戻り、ベッド代わりに運び込んだソファで横になるアスナの側まで駆け寄った。


「……アキト、兄さん……お帰りなさい……」


 弱々しく息を切らせ、苦しげに表情を歪めながらも安堵したように笑うアスナ。

 俺は急ぎカセットコンロで湯を沸かし、拾った中でも状態の良かった注射器を煮沸消毒する。

 それから医学書片手に見様見真似、血色の薄れた細い腕に、薬を投与した。


「これで少しは良くなる筈……缶詰も持って来た。食べられそうか?」

「ありがとう……でも、私は大丈夫だから……兄さんが、食べて……」


 ふるふると、力無く首を振るアスナ。

 いつもこうだ。四つ歳下の妹は、どんな時でも自分を後回しにしようとする。

 こいつの病気だって、何週間か前にガラスで脚を深く切って、それを俺に心配かけまいと黙っていたから化膿し、すっかり重くなってしまった。


 俺がもっと頼れる兄貴なら、こんなことにはならなかったかも知れないのに。


「馬鹿。お前は病人なんだぞ、栄養つけなきゃ治るものも治らな──」


 薬が効いたのか、それとも俺が帰って来て緊張の糸が切れたのか。アスナはゆっくりと目を閉じ、寝息を立て始める。

 その姿を見下ろしながら、俺は……血が滲むほど強く、拳を握り締めていた。






 このままじゃダメだ。ここ最近、事ある毎そう考えるようになった。


 恐らく俺が持って来た薬だけじゃ、アスナの病気は治らない。

 それに、安定して物資が手に入ると踏んで東京を訪れ、二十三区内を転々と巡って数年経つけど、流石に最近は収穫も減ってきたし、今日みたいな暴徒まがいの連中もすっかり増えた。


 何より──遠目にの姿を見る頻度も、ここ暫くで増えているように感じる。


 潮時。そろそろ居を移すことも視野に入れなければならない。

 そう思って候補地を考えていたら、よく会う噂好きの爺さんから、こんな話を聞いた。


 ──北海道には楽園がある。


 世界がこうなった当初から、夜も輝く赤い壁で覆われてるだの、金持ちや上級国民達のシェルターになってるだの、色々好き勝手に言われていた北の大地。

 大方、辛い現実から目を背けるための逃避話が広がっただけなんだろうけど……どうせ今のままじゃジリ貧だ。ちょうど梅雨も明けて暑くなる季節だし、北を目指してみるのも悪くないかもしれない。


「もしかしたら……姉さんの手掛かりも、見付かるかもしれないしな」


 …………。

 けど今すぐは無理だ。病気で弱ったアスナに北海道までの長旅なんか耐えられないし、道中の食料も足りていない。


 あと何回か奴等の縄張りを漁って物資をかき集めて、アスナにも栄養のつくものを食べさせてやらなければ。

 アスファルトに敷いた段ボールの上で横になりながら、ああでもないこうでもないと計画を練るうち……気付けば俺は、深い眠りへと就いていた。





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