第179話 霧伊レア






 物心ついた時から、私はずっと独りだった。

 八歳で今の家に引き取られるまでの間、何件もの孤児院をたらい回しにされていた。


『レアちゃん、周りの子達と遊ぼうとしなくて……どうも顔の見分けがついてないみたいなの。一度病院で診て貰った方が……』

『気味が悪いのよね、あの子。ちっとも笑わないし』


 極度の相貌失認症。私は生まれつき他人の顔が判別出来ない。アウラさんやエイハみたいに奇抜な髪色でもなければ、殆ど個人を見分けられない。

 だから話しかけられても誰が誰だか分からず、長く接した相手ほど色々な部分で食い違いが生じて、いつしか誰であろうと適当にあしらい、深く関わらない癖がついた。


 それが私の、最初の孤独。






『知能指数測定不可能……!? 凄い、この子は天才だ!』

『ウチでは手に負えませんな……能力が高過ぎる上に自分勝手で、他の子供達がすっかりやる気を失くしてしまって……』


 何件目の孤児院だったか忘れたけど、IQテストを受けさせられた時、私は自分の知能が常軌を逸して高いことを知った。


 他人とのやり取りが噛み合わなかったり、何をするにも足並みが揃わない理由だった。

 誰も私の言葉をちゃんと理解出来なくて、私にとっては簡単なこともグズグズと時間がかかって。そのうち周りの全員が、愚にもつかない猿としか認識出来なくなった。


 それが私の、第二の孤独。






『な……なんだ、あの壁……!?』

『北海道から出られない!? 外との連絡も取れないなんて、そんな……!』


 十歳の誕生日を迎えてすぐに崩界が起こって、周りの猿共が慌てふためいても、私は何も変わらなかった。

 誰が誰だか分からない奴等が周りで何人死んでも、何も感じなかった。


 何故なら私は、そもそも閉じ込められているのも同じだったから。

 私が居るのは、猿しか居ない動物園めいたせかいの中だったから。


 だから。セカイがどう移り変わったところで何も気にせず、ただ息を繰り返していた。






『────え?』


 シドウ君を見付けたのは、高校に進学してすぐ。

 どう死ねば一番綺麗に終われるだろうと、毎日考えていた頃のこと。


 誰も彼も同じにしか見えない猿山で、唯一違って見えた人。

 たった一人、私と同じ人間に出会ったのだと確信した瞬間の感情は、とても言葉では表しきれないものだった。


『雑賀シドウ君、よね? 私は霧伊レア。突然だけど、今から私と勝負しない?』

『ああ? なんだよ藪から棒に。つーかウチの制服ブレザーなのに、なんで黒セーラー着てんだお前……生憎と相手をしてやる暇は無い、俺は今どうやったら札幌競馬場を運営再開まで持って行けるかプランを立てるのに忙し──』

『あら、負けるのが怖いの? ふふっ、見た目の割に小さい男ね』

『──初対面でいきなりチクチク言葉を向けてくるとは大した度胸だ。良いだろう、この天才かつ最強のナイスガイが世間様を舐めきった稚児にひとつ灸を据えてやる。あと女子高生が男に小さいとか言うな、死人が出る』


 一秒でも早く確信を確証にしたかった私は、会っていきなり彼に勝負を持ちかけた。


 記念すべき一戦目の種目は囲碁・将棋・チェスの同時目隠し打ち。結果は接戦の末に私が囲碁で勝ち、シドウ君が将棋とチェスで勝った一勝二敗。

 生まれて初めて真剣勝負に敗けた私は、楽しくて、嬉しくて、悔しくて、頭がどうにかなりそうだった。


『ふっ。これに懲りたら育ちを疑われるようなビッグマウスは控えるんだな霧伊レア……っぶねー、なんだアイツ。危うく敗けるところだったわ。またコソ練しとかねぇと……』


 ちなみに翌日も勝負を挑んで、二戦目のトランプ対決は私が勝った。シドウ君は素直に負けを認めたけど、後で床をのたうち回って悔しがってた。


 以降、私はシドウ君をライバルと呼び、口先では色々言ってきた彼も内心ではそれを認めてくれて、一緒に時間を過ごすようになった。


 この日から、ようやく私は満たされた。






 数日に一度はシドウ君に勝負を挑んで、時々一緒に遊んだりして過ごす日々は、今までの無味乾燥とした毎日が嘘だったみたいに楽しかった。


『レア。お前も分かってるとは思うが、このまま行けば北海道セカイはあと二年ほどで滅ぶ』

『そうね』


 ──ただ。ひとつだけ、無性に気に入らないこともあった。


『白い塔の三十階層。恐らくそこに赤い壁をどうにかする手掛かりがある』


 他者をどのように見ているか。

 彼とはその一点だけ、いつも気が合わなかった。


『俺は壁の外に出たい。そして出来ることなら、この北海道セカイの全員を救いたい。ついでに言うとカッコいいガーディアンも使役してみたい。ワイバーンとかいいよな』


 シドウ君にとって、私以外の他者とは猿ではなく幼子だった。

 道端で泣いていれば手を差し伸べる、そういう対象だった。


 私はそれが嫌だった。

 シドウ君の価値を十分の一も理解出来ない猿共が、当たり前のように彼に助けられる光景を見る度、ずっとずっとイライラしてた。


 認めるのは癪だけど、そこには多分も混ざっていたんだと思う。

 シドウ君は私を世界で唯一対等の存在だと認めているからこそ、私には滅多に手を貸そうとしないから。


『つーワケで俺は来年、探索者になる。お前も付き合うだろ?』


 …………。

 だけど。本当は、心のどこかでシドウ君を羨ましくも感じていた。


 たとえ傲慢さの透けて見える形であったとしても、自分より遥かに劣る他者を愛せる、そんな彼の在り方が。

 あんな風に生きられれば、私も苛立たずに済むのだろうか、と。


『そうね。じゃあ一緒に行ってあげる』


 シドウ君の誘いに乗ったのは、そうした考えもあってのことだった。

 彼のように誰かのために動いてみれば、私も少しは変われるのかもしれない、と。

 あと探索者って、ちょっと面白そうだったし。


 ……でも、駄目だった。


 他者を見下すことが当たり前の私にとって、猿はいつまでも猿のまま。


 だって──どいつもこいつも私より馬鹿で、弱くて、何もかも劣ってるんだもの。


 ………………………………。

 ……………………。

 …………。


 もし。もし私が。

 あり得ないとは思うけど。もしもシドウ君以外の誰かに、どんな形であっても、敗れることがあったならば。


 その時は──ひと人間ひとだと見られるように、なるのだろうか。





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