第176話 矛と盾
「っが……!?」
後方にのけぞり、そのまま弧を描いて数メートル吹っ飛ぶレア。
背中を引きずられるように仰向けに倒れ、その後はピクリとも動かなくなった。
「……え? 嘘、勝った? て言うか、レアちゃん生きてる……?」
呆然と姉貴が呟く。
まあ、そう思うのも無理からぬ光景か。何せこれが総合格闘技の試合なら確実にノックアウト、下手すれば死人が出るだろう威力の蹴りを、まともに顔面に食らったのだ。
であれば、純粋な身体能力はFランククリーチャーにすら及ばないエイハの蹴りであっても、技量次第では結構飛ぶ。
…………。
ちょっとマズいな。
「少し離れよう」
姉貴の手を引き、レアとエイハから距離を取る。
この後の展開を予想すると、今の倍は空けておきたい。
「え、ま、待ってシドウ! レアちゃんの手当てをしないと──」
「対人戦だからって感覚バグってんのか姉貴。
魔甲は形を得るほど強く肉体に吸着したエネルギー。殆ど外に向かって働かないため、防御力こそ高いが攻撃性能は低い。
「けど一撃は一撃だ。舐めてかかって顔に一発。レアにとっちゃ赤っ恥もいいとこだろ」
つまり、簡潔に述べると、だ。
「アイツ──ブチ切れるぞ」
多分俺も初めて見る。
レアが本気で怒り狂ったところなど。
適度に離れた頃合、再び二人を注視する。
近過ぎず遠過ぎず、状況判断が容易く、いざとなれば縮地で割って入れる間合い。
エイハを死なせる気は、毛頭無いからな。
「……………………ったぁ」
やがて、仰向けに倒れたまま動かなかったレアが、右手で顔面を撫ぜる。
その掌についた血を見とめ、暫しそれを眺めた後、ゆっくりと立ち上がった。
「…………ふっ、ふふっ、ふふふっ」
幾許かの間を挟み、肩を震わせ、堪えきれないとばかりに、笑い声が溢れ始める。
「あははははははは、あはははははははははははっ!!」
やがて大きく響き渡る哄笑。
レアがあんなに大笑いする姿など、これも恐らく初めて見る。
ちょっとどころか、相当マズいな。
「────ふざけてるのかしら? この、猿が」
ぴたりと止む笑い声。
能面のような無表情で、瞳孔が引き絞られた双眸で、真っ直ぐエイハを射抜くレア。
「私の手を煩わせるばかりか、血まで流させるなんて。あまり調子に乗ってると、長生き出来ないわよ」
きつく握り締めた槍の柄が軋み、カタカタと穂先が鳴っている。
理性を残した、静かな激昂。怒鳴り散らすようなキレ方より余程厄介だ。
「でも、天才儚げ美少女の私は優しいからチャンスをあげる。今ここで地べたに頭を擦り付けて謝るなら、命までは取らないわ」
「シドウに嫌われたくないから、の間違いじやないかな」
対するエイハにも尻込みする様子は微塵も無い。
半端な覚悟でレアの前に立ち塞がることを決めたワケではないのだと、そう断じさせる佇まいで淡々と言葉を返す。
「恋人とも友達とも違うように思えるキミ達の間柄をボクが正しく推し量れているのかは分からないけど……執着してるのは明らかにキミの方だ。だからこそダンジョンに居る」
「…………」
「シドウの隣に居続けたキミが今になって対立を選んだのも、彼を案じればこそ。シドウのことだけを思うのなら、ボクもそっち側に立つべきなのかもしれない」
だけど、とエイハは続けて口にした。
「さっきのやり取りを聞いて分かった。シドウ以外を尊重出来ないキミのやり方じゃ、寄り添ったところで彼を堕落させるだけだって」
「……何が言いたいの?」
次に放たれたのは、決定的な着火剤。
「キミみたいな女を、世間一般じゃサゲマンって呼ぶらしいよ」
「────あ?」
あからさまな挑発。しかし、ただでさえ苛立っていたレアへの効果は、てき面。
石突きを足元に叩き付ける甲高い音。
溢れた怒気が、ちりっと首の後ろを焼いた。
「……いいわ。そこまで私の神経を逆撫でしたいなら、望み通りその五体を引きちぎってあげる」
「ッやめ──」
跳躍のため深く屈み込んだレアの姿に、ここまでだと止めに入ろうとする。
成程。エイハにとって唯一の勝ち筋は、レアの大技を耐え切った上での向こうの消耗による自滅だろう。
だが、あまりにも危険過ぎる。あのバリアとて無限に張れるワケではない。堅牢強固な鎧だって、繰り返し攻撃を受ければ綻んで行く。
否。そもそも賭けが成立しない。
あらゆる能力の飛躍的向上、並びに各々の適性に合わせて特化した形態を得る
防御特化、或いはスキル特化。その護りはD+ランク相当どころか、Cランクにさえ迫るだろう。
けれどもレアの全力投擲は、小柄さゆえにCランクの中でも随一のエネルギー密度を誇ったボーパルバニーの外套すら貫いた一投。
側面を弾く回避方法だって、あんなもの俺にしか出来ない芸当だ。
死ぬ。確実にエイハは死ぬ。
レアに殺される。アイツを人殺しにさせてしまう。
「──シドウ」
頭を下げてでも中止を訴えようとした。
けれど縮地を発動させる寸前。エイハの澄んだ碧眼に、じっと見つめられる。
「大丈夫だから。安心して見てて。何があっても」
俺は躊躇し、咄嗟に動けなかった。
その瞳に宿る決意の色が、あまりに気高く、美しく、尊かったから。
それを踏み躙るような真似は出来ないと、思ってしまったのだ。
「一刺確殺。一投鏖殺」
我に返った頃には、既に手遅れ。
飛べない代わりに跳び上がったレアが、槍を逆手に構える。
サードスキルを発動させただけでグラつく今の俺では、アレには対処出来ない。
──エイハのスキルスロットが異様な輝きを帯びたのは、その時だった。
「ノワール! やるよ!」
〈御意のままに〉
この場に居ない筈のエイハのガーディアン、ノーライフキングの声。
まさか、と思考が凍り付く。
「 塵 と 化 せ ぇぇぇぇッ!!」
「──
最強の矛と最強の盾が、炸裂音を伴って衝突した。
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