第162話 三十階層
石同士が擦れる音を立てて開き始めた扉の隙間から、冷たい風が吹き込んで来る。
やがて覆いを取り払われた視界に映ったのは、真っ白な床が続くだけの何も無い場所。
そんな殺風景へと踏み出し、おもむろに頭上を望む。
三日月を戴く、雲ひとつ浮かばぬ満天の星空が、どこまでも広がっていた。
「……星に……月」
白い吐息越しにそれを眺めながら、なんとはなし理解する。
ダンジョンが作り出したものではない、本物の空だと。
つまり俺達が立っているのは、紛れもなく白い塔の頂上。
赤い壁を突き抜けた先の──外の世界。
「ッ……ぅ、あっ……あぁっ」
俺と同じ結論に達したらしい姉貴が、小さく嗚咽を上げ始めた。
八年ぶりの外界に、星空に、わけも分からず感情が堰を切ったのだろう。
その肩を抱きつつ、周囲を見渡す。
東の空が、僅かに白み始めていた。
「……日の出の三十分前ってところか」
久しく忘れていた夜。星明かりと月明かりだけを光源とする静寂の時間。果たして、こんなにも暗いものだったろうか。
やたら冷える上、ちょっとばかり呼吸もし辛い。
恐らく高度六千メートルから七千メートル地点。人間が順応可能なギリギリの高さ。
「端に行けば、外界の様子を見られるか……?」
乗ってきたエレベーターは、直径一キロメートルを超える円柱の中央付近に据えられていた。
とは言え、数分も歩けば外縁部まで着ける筈。
「シドウ君。あれ」
歩き始めようとした間際、ふとレアが俺の背中を叩き、エレベーターの出入り口と反対方向を指差す。
やや見辛かったが、百メートルほど先で、小さく光が瞬いていた。
更に目を凝らすと、建造物らしき輪郭。
見た感じ、ちょうどこの場所の中心。
どうやらあそこが、俺達の目指すべき終点らしい。
「行こうぜ。姉貴」
「っん……ええっ……」
四人連れ立ち、向かった先。
そこに在ったのは、一本の大きな柱。
「こいつは……」
ひとつの石から削り出されたと思しき、先端部が七角錐となっている七角柱。
俺の知識の中から近いものを挙げるならば、オベリスクあたりか。古代に於いて神殿や競技場などに立てられた、一種の
「脈打ってるみたいね。気持ち悪い」
レアの言う通り、オベリスクは表面に血管のような光の筋を無数に奔らせ、鼓動を想起させる規則的な感覚で明滅を繰り返していた。
無機物でありながら、やけに生物的な印象。そのミスマッチを不気味と評したくなるのも、よく分かる。
取り敢えず触れてみようと、手を伸ばした。
〈──妾の脳髄を捕まえて気持ち悪いとは、礼儀知らずに育ったものよ〉
指先が届く寸前。そんな呆れを孕んだ呟きが、どこからか響いた。
〈じゃが妾の淡い期待通り、ここまで辿り着いたことは評価する〉
剣を抜く姉貴。魔甲で鎧うエイハ。
が、俺とレアは何故か身構える気にならず、棒立ちのまま視線だけ四方に這わせる。
〈どこを見ておる。こっちじゃ〉
やがて声の主を見付けたのは、寸前まで何も居なかった筈のオベリスクの先端部。
七角錐を椅子がわりに腰掛ける、豊かな赤い髪で裸身を覆った、妙齢の女のような姿。
ような、と評した理由は、外套を纏っていたからだ。
〈……ひとまずは武器を収めよ。妾には交戦の意思も無ければ、そもそも戦えるチカラも無い。まあ、こういうことなら出来るが〉
「っ!?」
「え……!?」
赤髪女が指を鳴らした瞬間、姉貴の魔剣とエイハの魔甲が霧散する。
二人が驚愕に固まり、一方でレアはただ赤髪女を見上げる中……俺はその正体へと行き着き、ひとつ息を吐いてから口を開く。
「お前が、この塔の知性か」
〈然り。パンドラの壁、バベルの塔は妾の骨肉。降り注ぐ光輝は妾の血。即ち妾こそが、パンドラ・バベルそのものである〉
受け止めよ、と言って女がオベリスクの一番近くに居た俺目掛けて飛び降りる。
俺は──ひょいと身を躱すと、女は思いっきり着地に失敗し、潰れたカエルのような声を上げ、うつ伏せに床へと倒れ込んだ。
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