第155話 ファンブルとクリティカル






 二十三分三十六秒。


 俺達四人が二十六階層へと突入し、そしてBランククリーチャーであるクトゥルフを倒すまでに要した時間。


 エレベーター同士の距離がガーディアンに騎乗して三十分ほどであるため、四十五分という滞在刻限を大幅に超過することになるも、一旦二十五階層まで引き返し、時のねじれをリセットした上で再突入すれば、十二分にリカバーの利く数字。


 四種四枚しか存在しない貴重なCランク召喚符カードを二枚も失う羽目になったものの、懸念だったバハムートの問題も解決し、今後の全面的な協力も取り付けられた。

 あとは一度姉貴を連れて一階まで戻り、オヤジが常駐させている治癒の発現者にスキルを使わせれば、取り敢えずひと段落。


 ──その、筈だった。






「どういう、ことだ」


 死にかけた姉貴とボロボロの周防オッサン、疲労困憊のレアと共にバハムートに乗り、地上時間で約七日半となる三十分きっかりでエレベーターまで辿り着き、巨剣が喪失した分だけ空いたスペースを有難く思いながら下へと降りる。


 二十五階層で乗り換え、一階に飛び出し、明らかに尋常ではない様子の俺達は周りから注目を受けるも、意にすら介さず医務室まで向かう。


 その先にて。顔色を青褪めさせた治癒発現者から告げられた台詞を、俺は即座に理解することが出来なかった。


って、どういうことだ」

「も、申し訳ありません! 数時間前、別の重傷者が運び込まれて……そちらの方に、スキルを使ってしまったんです!」


 眼前で低頭する若い男。

 生まれて初めて、頭の中が真っ白になりそうな感覚を覚えながら、俺は少しずつ状況を理解し、もう殆ど息の音が聞こえなくなった姉貴の眠るベッドを見た。


 ──どうする。どうする、どうする、どうするどうするどうする。どうすればいい。


 今すぐ姉貴を二十六階層まで連れて行き、地上時間で一日が経過する十分少々の後、またここに戻って来る?

 無理だ。エレベーターでの移動を合わせれば三十分はかかる。とても持たない。


「い、今すぐ交代要員と連絡をつけます! もあれば駆け付け──」

「だから! 待てるワケねぇだろうがよォッ!!」


 テーブルに拳を叩き付ける。

 こんなことをしている場合では無いと分かっていながら、感情を全く抑えられなかった。


「姉貴はもう、すぐにでも死ぬ! 死んだ奴に治癒をかけたって生き返ったりはしねぇ! ふざけんなよテメェ、何勝手にスキル使ってやがんだ!? 俺達の治療要員としてオヤジに雇われたんだろうが、いい加減な仕事してんじゃねぇよ!!」

「ひっ……で、ですが、先程の方も放っておけば危険な状態だったんです!」

「じゃあその不注意のグズのせいで姉貴が死ぬってのか!? 今すぐそいつを連れて来やがれ、喉を撃ち抜いて殺してや──」

「落ち着きなさいよシドウ君。貴方らしくもない」


 栄養補給にゼリー飲料の容器を咥えていたレアが、どうでも良さそうに俺を嗜める。


「その猿に怒鳴ったってアウラさんは助からないわ。て言うか、この状況じゃ何をしても助からないわよ」

「ッ……ッッ……」

「だからここは早いところ切り替えて、欠けた人員の穴埋めをどうするか考えるべきじゃない? 周防さんも片脚吹き飛んでリタイア濃厚だし」


 至極いつも通りの振る舞いで、姉貴を諦めろと、平然と言い放つ。


 ……レアは。霧伊レアは、こういう女だ。


 こいつには俺以外に向ける情が、心が、人間性が無い。だから基本的に血も涙も無い。

 故にこそ判断には色眼鏡が掛かっておらず、常に客観的かつ合理的で、こいつが無理だと言えば本当に百パーセント無理であることが大半を占める。


「別にいいじゃない、姉の一人や二人くらい。壊れた物に愛着なんか抱え続けたって仕方ないわよ」


 名前まで付けて毎日のように磨きながらも、砕けた直後には一切間を置かず見切りを付けられていた、コイツの先代の槍を思い出す。

 あの時と全く変わらない感覚で、レアは言葉を紡いでいた。


「いっそ代わりを見付けて来れば? どうせ貴方達、血なんか繋がってないでしょうし」


 ああ。多分そうなんだろう、とは何度も思ってたさ。俺だけ家族の誰にも似てないし。

 恐らく赤ん坊の時にでも、橋の下あたりで拾われたのだ。


 …………。

 関係あるかよ。血縁があろうと無かろうとどうでもいい。俺にとっての姉貴は、後にも先にも雑賀アウラ一人だけだ。

 それを失うなんて認めない。認められない。そんなのはオフクロだけでたくさんだ。


 なのに今──俺の手の中には、姉貴を救える方法が無い。


「くそ……くそっくそっくそっ!」


 何が天才だ。何が最強だ。

 姉一人救えない奴に一体何の価値がある。くだらねぇ、ゴミ以下じゃねぇか。


「珍しく感情的になってるわね。なんでかしら、不思議」


 完全な手詰まり。どうしようもない。

 何も出来ずに目の前で、ただただ姉貴は死んで行く。


「アウラ……ッ!!」


 オフクロも救えない。姉貴も救えない。


 なら。そんな俺に北海道セカイなど、到底──


「──どいて」


 とん、と横合いから押される。

 たたらを踏んで振り返ると、そこに居たのは。


「エイ、ハ?」


 地上時間で八日前、十六階層へと発った筈の姿。


 肩口で斜めに切り揃えられた青い髪は毛先がボサボサで、衣服もくたびれが目立つ。

 本当についさっきまで、ダンジョンに居たかのような風体。


「……ギリギリ間に合ったみたいで、良かった」


 息の根が止まりかけていた姉貴の胸元に添えられた手から、青いオーラが注ぎ込まれる。

 焼け爛れた臓器も、それ以外の全ての負傷も、立ち所に修復されて行く。


 そして。三十秒ほどかけて、光が収まった直後。


「……んっ……あ、れ……?」


 本当に何事も無かったかのように。姉貴は、目を覚ました。





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