第154話 対するものと与するもの






〈オオオオォォォォォォォォッッ!!〉


 裂帛と共に、バハムートが拳を振り上げる。


 竜でありながら霊長類に近い骨格ゆえ、繰り出すことが可能な

 異形の存在でありながら、やけにフォルムが人間的なクトゥルフも、同様に拳で迎撃する。


 けれども、差は歴然だった。


〈ぐ、おぉぉッ〉


 衝突と同時、一方的に弾け飛ぶ、再生したばかりのクトゥルフの左腕。

 続けてバハムートは残った右腕を掴み、力任せに引きちぎる。


〈居眠るばかりでロクに運動もしない貴様に、肉弾戦は分が悪いようだな!〉

〈ぐっ……雌竜が、あまり調子に乗るなァッ!!〉


 怒声を張り、大きく開かれたクトゥルフの口腔に収斂する熱量。


 今までで最も多い蓄積量。

 恐らくあれこそが、Bランククリーチャーの最大出力。


〈消し飛ぶがいい!〉

〈──ルォォオオオオオオオオッッ!〉


 しかし、それが撃ち放たれるよりも先、バハムートのによって光と熱が散らされる。

 バンシィの泣き声すら可愛く感じる夥しい声量を間近で受けたクトゥルフは、両腕を欠いてバランスが取れなかったことも合わさり、水面へと仰向けにひっくり返った。


〈ぐ、くっ。おのれ、おのれ……外套さえ剥がされていなければ、このような……!!〉


 たった数秒で、クトゥルフは追い詰められていた。


 元々同ランクのクリーチャーとガーディアンでは後者が少しだけ力量で勝る上、今のクトゥルフは鉄壁の護りを喪った状態。

 俺がこの階層を訪れる前に組み上げていたプラン通りの光景が、遅ればせながら今この瞬間、ほぼ完璧に再現されつつあった。


〈ッ……だが! 追っては来られまい!〉


 更なる追撃を図ろうとしたバハムートに先んじ、クトゥルフが水中に潜る。


 最初は浅瀬と思った赤い海の下に広がる、奴以外を受け容れない、黒い水。

 少なくともクトゥルフの巨体が浸かりきるほどの深海。そもそも入れないと来れば、追随する手立ては無い。


 けれどもバハムートの様子に焦りの色は浮かんでおらず、寧ろ淡々と俺に尋ねてきた。


〈サイカの子よ。数秒ほど空中に居られるか?〉


 可能だと答えれば、頼むと返される。


 直後。


〈──ロォォォォオオオオオオオオオオオオッッ!!〉


 直径数十メートルはあろう拳を、水面へと思いっきり叩き付けた。


「っ、こいつは……」


 邪視を封じられたクトゥルフもやっていた、腕力と質量任せの振り下ろし。

 が、空中まで伝わる衝撃の勢いは優に奴を凌ぎ、咄嗟の判断で数百メートル上空へと跳んだ俺の身体すら大きく揺さぶる。


 僅か数センチの赤い海など何の緩衝材にもならず、大きく黒い水面。

 そして何秒か経ち──ぐったりしたクトゥルフの巨体が、浮かび上がってきた。


「石打漁かよ……」


 ガチン漁などとも呼ばれる、水中で石と石をぶつけ合わせた際の音響や振動などを利用して魚を気絶させるという、日本の河川では概ね禁止されている漁法。

 水は空気より遥かに振動が伝わりやすい。俺が打点から大きく離れた空中で受けた衝撃を鑑みれば、すぐ近くの水中に潜んでいたクトゥルフを襲った揺さぶりは想像を絶する筈。


〈捕まえたぞ。さあ、幕引きと行こうか〉


 その澄んだ女声とは裏腹にマッシブな、下手なビルよりも太いだろう巨腕でクトゥルフを掴み上げ、今度はバハムートが口腔に熱量を収斂させ始める。

 それを食らった己の未来を予見したのか、衝撃による麻痺が抜けていない身体で、クトゥルフは必死の抵抗を行っていた。


〈ぐっ……離せ……我を殺めたところで無駄なことと、何故分からん……!? 人は……人の未来など、とうに──〉


 聞く耳持たずとばかり、天高くまで走り抜けて行く極光。

 姉貴を焼いたものより更に強烈な光と熱に飲み込まれ、数十秒間晒され続けた後、瞼すら貫く眩さが収まると……ヒトガタにタコを混ぜ合わせたような禍々しい化け物の姿は跡形もなく消滅し、数千枚にも及ぼうコインが黒い水面へと散らばっていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る