第144話 Bランク






 まるで泡立つように、クトゥルフを穿った風穴の内側から新たな骨肉が盛り上がる。

 穴を埋め立て、傷を塞ぎ、三度も瞬きを重ねる頃には、何十本も落とした触手含め、何もかも元通りとなっていた。


〈言っただろう、我は恐怖そのものだと。恐怖は尽きぬ、恐怖は枯れぬ。一時の激情にて振り払ったところで、消え失せるなどありえぬのだ〉


 ぎょろりとクトゥルフの目が見開かれる。

 今までは透明な瞬膜で覆っていたらしい多瞳の肉眼で以て、麒麟を


〈ッがぁ……!? ば、馬鹿な……ここまでのチカラ、とは……!!〉


 たったそれだけで麒麟の肉体は四散し、強制休眠状態となって召喚符カードに戻され──そのまま、焼け落ちた。


「な……ッ」


 絶句する姉貴。

 無理からぬ話だ。先程まで背に乗っていた、故にこそ強大さも肌で感じていた存在が、ああも呆気なく消失するとは。


 しかしながら、呆けている暇は無い。

 よもや視線だけでCランクガーディアンを蹴散らした挙句、召喚符カードまで消滅させるとは。こっちが少なからぬ体力というリソースを費やして与えた傷を容易く帳消しにした回復力といい、想定以上の性能。


〈次〉

「グルゥアァッ!?」

「周防!!」

 

 爆散するイフリートの手から零れ落ちる周防オッサン

 水面へと叩き付けられる間際、我に返った姉貴が飛び出して受け止めたが……遠目にも軽傷では済まなかったとハッキリ分かる程度には酷い有様だ。


〈精霊め、咄嗟に主を庇ったか。そのような忠節を示したところで、苦しみを長引かせるだけだと言うのに……哀れなり〉


 開いたままだと目が乾くのか瞬膜を閉じ、再び空間を揺らさんばかりに溜息を吐くクトゥルフ。

 Cランクガーディアンが、まるで吹けば飛ぶ埃扱い。戦いにすらなってねぇ。


「チィッ……!」


 これがBランククリーチャー。やはり事前の計算だけでは不十分も甚だしい。

 なまじ外套の強度が計算通りだっただけに、などという欲が出た。


 ……いや、言い訳だな。単なるか。


 姉貴の背後に、縮地で移動する。


周防オッサンの様子は……聞くまでもねぇか」


 意識を失ったことで強制的に深化トリガーが解除され、あちこちに重度の火傷を負った身体。

 特に右脚が深刻で、膝から下にかけて残らず消し飛んでる。しかし断面が焼け焦げてる影響で出血は少ない。こういう表現を使うのは気が引けるが、不幸中の幸いってやつか。


「……ひとまず息はあるし、心臓も動いてる。人工呼吸の必要は無さそうね」

「ハッ、そいつは本人が聞いたら残念がるだろうよ」


 多少傷や亀裂が入った程度で奇跡的に形を留めている得物共々、黒い液体の表面へと横たえられた周防オッサン

 その姿を見下ろしながら、俺はグリップが軋むほど強く力を篭めていたことに気付き、小さく吐息しつつそれを緩めた。

 落ち着け。天才は焦らない。


「ラーズグリーズに離れたところまで運ばせる。どうせアイツも、もうロクに戦えねぇしな。あんな化け物相手じゃ、どこまで意味があるか分かったもんじゃないが」


 ツェリスカを足元に落とし、懐に残った最後の召喚符カードを取り出す。

 裏面に六角形の紋様が刻まれた、Bランク召喚符カードを。


「悪い、姉貴。やはり外套を剥がし終えたタイミングでコレを使うべきだった」


 俺のその言葉に何を察したのか、こんな状況だってのに姉貴は目を伏せる。

 またも瞬膜を開いたクトゥルフが俺達を視ようとし──二度目となるレアの投げ槍に、目玉を貫かれた。


「ッは、ぁ……シドウ君、早くして!」


 先代の槍よりも遥かに威力が増す分、消耗も激しいらしく、深化トリガーを発動させて能力が増しているにも拘らず、息の上がり始めたレアが叫ぶ。


 俺は呼び寄せたラーズグリーズが周防オッサンと銃を抱えて重そうに飛び上がる姿を確認した後、召喚符カードを掲げる。


「来い。バハムート」






 唐突に吹き始めた風が、召喚符カードを基点に逆巻く。

 ただ出てこようとしているだけで、夥しいエネルギーが荒れ狂っている。


 嘗ての所有者はこの余波に吹き飛ばされ意識を失い、それがあの事故の発端となった。

 同じ轍は踏むまいと召喚符カードを投げ、その先でひとつ鼓動が波紋し、空間が爆ぜる。


〈……我と同格の札を持ち合わせていたか。真っ先に切れば良かったものを、哀れなり〉


 暴風と共に喚び出されたのは、足元が黒い液体に沈んだクトゥルフを一回り凌ぐ輪郭。


 それだけの質量でありながら、爪の先ほども水面下に沈み込む様子は窺えなかった。

 もしかすると黒い液体は、クトゥルフ以外の存在を受け容れないのかも知れない。


「ッ……」


 召喚符カードの絵柄に映し出された通りの姿。


 銀色の鱗で覆われた総身。

 系統としては霊長類に近い、マッシブな骨格と体型。

 背面から無数に突き出す、一本一本が数十メートルもある棘。

 頭部を筆頭に、竜を想起させる各パーツの造形。


 Bランクガーディアン『バハムート』。

 俺や姉貴の故郷を滅ぼした元凶であるそいつは、も聞いた、空気を破り裂くような咆哮を──上げなかった。


 それどころか、目を閉じたまま微塵も動かず、ただ静かに息だけ繰り返していた。

 恐らく召喚されたこと自体、気付いてすらいない。本能的に応じただけなのだろう。


「──ああ、くそ」


 その姿を三眼全てで見とめた俺は、奥歯を軋ませながら、小さく悪態を吐く。






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