第141話 クトゥルフ






 あまりにも、巨大。


 単純な大きさが、ではない。

 いや、それ自体も十二分に巨躯。何せ見えてる部分だけで確実に百五十メートル以上だ。

 どうやらこの浅瀬、である深さ数センチの赤い水の下は、人間が立って走り回れるほど比重の重い液体で満たされているらしく、コイツはその底に沈んでいた模様。


 まあそこら辺はひとまず置いとくとして、俺が巨大と称したのはコイツの発する気配、チカラの多寡を表す熱量だ。

 今の今まで気付かなかったことが不思議でならない、唐突に周りの空気が深海にでもなったかのような、迫力とか威圧感とかそういう陳腐な表現など遥か突き抜けた次元。

 コイツと比べたら、ボーパルバニーなど単なる子ウサギだ。


「……な……あ……」

「ッッ──」


 巨大な熱量から醸し出される圧にアてられた姉貴と周防オッサンが、息の根すら凍らせてクリーチャーの姿を見上げる。

 恐慌に陥る寸前の精神状態。俺はトランペットケースを宙へと放り、その間に山のような巨体めがけてリボルバーを十発ほど乱れ撃に、再びホルスターへと収めた後、落ちて来たケースを受け取った。


「当たらねぇ」

「本当に天才的なセンスの無さよね」


 黙らっしゃいレア。


「姉貴も周防オッサンも、息止めの世界記録に挑戦中か? チャレンジ精神は結構だが、そういうのは正式な審査員の居る場でやるもんだぜ」


 すぐ近くでの銃声と俺の軽口によって呼吸を再開し、併せて武器を取る二人。

 そうそう。折角どっちもカッコいい得物もん持って来たんだから、使わないまま潰れちまうなんて勿体なさ杉謙信だろ。


 ──そんな頃合。遠近感のバグりそうなデカブツが、小さく動いた。


〈哀れなり〉


 ファフニールの十倍近い質量があろう馬鹿げた巨体から発せられる、まるで地響きのような声。

 タコを頭としてくっつけたみたいな顔、こっちを見下ろす双眸に灯る感情の色は──多くのクリーチャーが抱えていた敵意ではなく、憐憫。


〈哀れなり、哀れなり。大人しく甘き幻想を享受し、何も気付かぬまま朽ちていれば、恐怖そのものである我の姿など見ずに済んだものを〉


 声デカ過ぎて、逆に何言ってるか聞き取り辛くてしょうがねぇ。


〈我が名は『クトゥルフ』……否、そうあれかしと造られしもの。貴様等人間が思い描いた空想の一片を模った、単なるチカラの塊〉


 はあ。


〈なれども、ここにて立ち塞がるは我が意思によるもの。我等は産まれ落ちる時、人間に与するか対するかを選び取り、姿形とその形態に相応しき智慧を得る。そして我は対すると決めた側。未来なき存在もの達に味方したところで、苦しみを長引かせるだけなのだから〉


 はあ。


〈哀れではあるが、我が寝所に土足で踏み入った不届き者となれば生かしては帰さん。しかし嘆くことはない。どのみち貴様等人間の命運など、とうの昔に尽きて──〉

「話が長げぇ」


 こっちはハードスケジュール背負ってんだよ。

 余裕ある振る舞いと無益な時間の浪費は違うのだと、一体何度言わせるのやら。


「忙しいアピールなんてする気は無いが、妙な仕掛けのせいで少しばかり時間が押してるのも確かなんでな。手早くスマートに片付けさせて貰う」


 懐から召喚符カードの束を取り出す。

 二十五階層到達から今日に至る約一ヶ月の間にオヤジがかき集めた──の、D+ランク召喚符カードを。





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