第140話 虚無の浅瀬






「チッ。五分も無駄に使わせやがって」


 頭部を欠いて倒れた亡骸が、泥のように溶けて行く。


 次いで周囲の景色もまた、振り払われる霧のように掻き消え──本当の二十六階層が、姿を現した。


 やはり俺の記憶を介した幻覚。

 しかも五感全てに訴えかけて来るとは、随分とまあリアリティを追求したもんだ。


 ……数秒、躊躇しちまった。


深化トリガー


 金髪赤瞳三眼四角のナイスガイ過ぎて自分で自分を崇めたくなる形態へと変貌し、爆発的に上がった視力で一帯を見渡す。


 くるぶしまで浸かる程度の浅瀬。

 それが延々と、どこまでも続く赤い海。


「姉貴達は……よし、居た」


 既に幻覚を脱した、或いはレアは俺の指示通り上空を飛び回り、周囲を探ってる。

 姉貴と周防オッサンは、それぞれ少し離れた場所で、虚ろな目で佇んでいた。


「……五感丸ごと持って行かれてたってことは、小突いたぐらいじゃ起きねぇよな」


 自力で正気に戻るのを待つしかない。

 まあ、あの二人なら、あと数分もあれば大丈夫だろう。


 その間に、俺が済ませておくべきことは。


「足使って、色々探すか」






 深化トリガーを発動させた状態の俺は、あらゆる能力が飛躍的に高められたことで、必然的に縮地の最大射程も大きく増している。


 およそ一キロメートル。それを十回前後、連続で使える。

 尤も流石にバテるため、今回のように体力温存を図りたい場合は五回が限度だが。


「──最悪だわ」

「…………」


 俺が幻覚を脱してから三分余りの後に姉貴が、五分経った頃に周防オッサンが覚醒。

 その時点で探索を打ち切り、発砲音でレアを呼び付け、ひとまず全員集合。


「ひどい解釈違い。シドウはあんなこと言わない」

「……厳島一佐……俺は……」


 各々、中々に愉快な夢を見させられた模様。

 ちなみにレアは案の定、幻覚に嵌まっていなかった。


「二十一階層の仕掛けを更に悪辣にした感じだろう。階層内へと踏み入った者の記憶を読み取って都合の良い光景を再現する、みたいな感じだろうな」


 故に、幸福な過去の思い出を一切持たないレアには通用しなかった。

 なんて寂しい奴だ。帰ったら億疋屋でパフェを奢ってやろう。


「しかし厄介な嫌がらせだ。早々に十分以上、時間を使っちまった」

「エレベーターなら見付けたわよ。足の速いガーディアンに乗れば、巡航速度でも三十分で着くんじゃないかしら」


 そいつはグッドインフォメーション。

 が、残念なことに俺からの情報はバッドインフォメーション。


「素通りは無理だな」


 戦わずにこの階層を抜けられるかも知れない、と喜ぶ姉貴達に、心苦しくも水を差す。

 天才かつ最強のナイスガイなもんで、さっきの探索中に気付いてしまったのだ。


「俺達は既にされてる」


 ──すぐ近くの海面が異様に盛り上がったのは、そう告げた直後だった。





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