第108話 たった二人の






「……自分だけ気持ち良く肚の内を語って、勝手に席を外そうとしないで」


 最初は軽く摘み、次いでシワが残りそうなほど強く掴む。

 動くに動けなくなった俺は、取り敢えず肩越しにレアを振り返り、続くアクションを待った。


「ッ……わ……私は……ずっと、孤独だった」


 やがて始まったのは、独白。

 俺のライバルを標榜し続けた女の、無垢な本音。


「どこを見ても、周りに居るのは愚にもつかない猿ばかり。言葉は通じない、足並みも揃わない。毎日毎日、動物園にでも居るみたいな気分だった」


 知能指数があまりにかけ離れた人間同士は会話が成立しない、とは折に触れて聞く話。

 それが通常のIQテストでは測定不能なレベルと来れば、より顕著となるだろう。現に俺も相手に合わせて言葉を選ばなかったら、家族以外の人間と一分以上会話を続けられたことは無い。


 いや。例えオヤジや姉貴であっても、俺の意図を完全には読み取れていないだろう。

 俺の言葉を全て意図通り受け取ることの出来た奴は、後にも先にも一人きりだ。


「崩界の前だろうと後だろうと、最初から檻の中だった私にとっては何も変わらない。周りの誰が死のうと誰が不幸になろうと、猿の顔なんて見分けがつかないから何も感じない。あんなのただの生き地獄よ」


 いっそ死のうと、何度考えたか。

 俯いて言葉を絞り出したレアが、次いで俺を見上げた。


「……だから……私が貴方を見付けた時……貴方に初めて会った時……どんなに嬉しかったか、貴方に分かる?」

「初めて会った時、か」


 覚えてるとも。高校に入学してすぐのことだ。

 ウチの制服はブレザーだってのに、何故か一人だけ黒セーラーの女がいきなり突っ掛かって来て、何事かと思ったもんだ。


「生まれて初めて私以外の人間に出会った。生まれて初めて対等な立場で競い合って、勝っても負けても本当に楽しかった」


 今日までひた隠してきた感情の吐露。

 限りなく俺と近い存在だからだろう。取り繕うことをやめたレアの考えが、想いが、言葉以外からも伝わって来る。


「恋人になりたいとか、結婚したいとか、そういうのじゃないの。ただ一緒に居たいの。貴方の側を離れてもう一度独りになるなんて、そんなの耐えられないの」


 だから諦めることを提示した。

 俺がクリーチャーと戦って死ぬことを予見し、そうなるくらいなら北海道セカイが滅ぶ時まで二人で過ごそう、と。


「…………でも、さっき貴方が自分の我儘だと言ったように、これも私からの貴方への我儘。それに、全てを投げ捨てて私を貪るだけの日々を貴方が選んでいたら、私はきっと失望した」


 立ち上がったレアが、俺の頰へと手を伸ばす。


「猿は嫌いよ。みんな嫌い。でも貴方が救いたいと言うのなら、貴方がまだ諦めないと言うのなら、私はそれを尊重するし、一緒に行く」


 だって、と僅かに言葉を切り、心からの喜びを滲ませるように、微笑んだ。


「貴方と私は、世界でたった二人きりの、同じ人間だもの」






「案?」


 ちょうど夕食時だったので地下街のレストランに入り、シチューとカツを食べながら告げた俺の言葉に、レアが小首を傾げる。


「ああ。お前と話してる間に、ひとつ考えが浮かんだ」

「私の話を片手間に聞いてたの?」


 向け遣られるチベットスナギツネのような眼差し。

 そういうワケじゃないが、まあ許せ。


「……それはそうと、私達一度本当に寝てみない? とても相性が良い気がするの」

「やめろ悍ましい」


 のめり込んで抜け出せなくなる未来しか見えねぇんだよ。

 やはり付き合うならエイハ一択だな。あっちもあっちで奉仕願望の強さが気になるが、少なくともコイツよりは百億倍健全な関係性を築ける。


「で? 案って何?」

「ん。上手く行くかは運ゲー要素も幾つか入る……しかし成功すれば、恐らく残りの猶予は半分以下に目減りするが、二十五階層まで到達可能だ」

「そんな手があるワケ──ッ!」


 否定の言葉を紡ごうとした最中、ふと何かに気付いたように切れ長の双眸を見開かせるレア。

 恐らく俺と同じ可能性へと思い至ったのだろうと確信しつつ、簡潔に結論を述べた。


「──二十二階層と二十三階層を、出来るかも知れねぇ」





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