第105話 時のねじれ
俺達にとっては一時間少々、しかし地上にとっては十日間という乖離した認識を携えての帰還。
急遽オヤジの待つ政庁まで向かい、様々な情報共有と考察を重ねた結果……頭の痛い事実が発覚するに至った。
「別段、突拍子も無いと考えるほどのことじゃねぇ。時間ってものを特別視しすぎだ」
資料片手、代表執務室の壁に寄りかかりながら、俺は集まった面子である特級探索者全員とオヤジ、そして放っておくのもしのびなくて連れて来たエイハに、ひとまずの結論を述べる。
「ダンジョンの中は空間が歪んでいて、外から見たより何十倍何百倍と広大なこともザラ。なんなら空があったり吹雪いてたり、環境も何もかも階層毎によって滅茶苦茶だ。だとすれば時間の流れ方だってその範疇に組み込まれてても不思議じゃないだろ?」
しかも、ごく軽度ではあるが、そうした現象は既に幾度と観測されている。
ちょっと調べたら、そういう話はゴロゴロ出て来た。
「何日もダンジョンに滞在してた探索者の時計が、一階に戻ったら五分近くズレ込んでいた。またある者は十分、十五分てな具合にな。活動期間の短かった姉貴は兎も角、
「……ああ……単なる故障、ダンジョンで電子機器が使えないのと、同じ理由だと……」
頷く
つーか、この人まだ三十歳なのに妙に老け顔なのは、そこら辺に原因なり遠因があるんじゃなかろうか。
単なる気苦労って線も捨て難いけど。
「確かにデジタル式だの電池式の時計なら本当にタダの故障かもしれねぇが、ゼンマイで動いてる手巻き時計まで同じ理屈でズレるワケねぇだろ。どこに電子機器要素あるんだ」
まあそれは置いといて、本題はここから。
「天才過ぎる俺は体内時計も秒単位で正確だ。しかし俺は今まで一度たりとも時間感覚のズレを感じたことはない」
つまり。
「この『時のねじれ』は人間が連続で一定時間以上、五階層や十階層のような安全地帯を除いた同じ階層に滞在し続けることで始まり、そこから段々と歪みが大きくなる。闇金融からの借金が雪だるま式に膨れ上がってくみたいにな」
「なんて嫌な例えなの……でも、それだと別々のタイミングで階層に入った人達が接触した時どうなるのよ」
「人の話ちゃんと聞いてたか姉貴。俺はズレを感じたことが無い。このねじれは分断された空間、要は各階層を一個の区切りとしてその内側で時間の速度を均一化し、それぞれの階層に居る探索者達のうち一番ねじれが少ない、つまり最も正常に近い奴が常に優先して反映されるってことだ。さっき言った五分十分ってのも、後から来た連中に自分のねじれを引っ張られて伸びたり縮んだりの繰り返しを重ねた結果であって、もしずっと適当な階層に一人きりで丸一日過ごしたなら、三十分以上はズレる筈だ。例えば姉貴がサードスキル発現のため、或いはその下準備であるルート開拓のために十六階層以降のどっかで何日も足止め食らった時、地上に戻ったら時計が数時間近くズレてなかったか?」
「……っ……確かに、あの時は妙だと……って、この件が発覚してまだ六時間も経ってないのに、なんでそこまで分かるのよ」
「そう言うお前こそ何年俺の姉貴やってんだ、天才だからに決まってんだろ。最低限必要な情報が記載された資料はさっき読み終わったから、あとは意識を複数に分けて思考実験した。流石に面倒なんで
「にゃーん」
振り返ってみれば、俺もレアも安全地帯以外の階層に六時間以上留まったことが一度も無い。なんなら連続三十時間以上ダンジョンに居たことも無い。
つまり二十階層以下の場合、ねじれ始めるタイミングは少なくともそれ以降ってことになる。各階層によって多少の差異は出るだろうが。
尤も、丸一日の滞在であってもズレは最大三十分程度、何日もかけてようやく数時間に届くかどうかという微々たるもの。
溜め込めば相当な重量となるコインのことや、安全地帯まで足を運べば寝床も食料もシャワーも備わってることなどを鑑みれば、基本的に複数日間切れ間なく同じ階層に籠り続ける者は皆無と断言して構わないため、さほどの問題は無い。
──ただし、二十一階層以降は別。
「この一件の発覚がこうも遅れたのは、下層は時間のねじれ方が緩やか過ぎるからってのが一点。あとは二十一階層の特殊な環境と、ボーパルバニーの性質だな」
手中の資料、二十一階層から生還した探索者達に関する可能な限り正確な記録を流し見で読み終え、オヤジのデスクに投げ出す。
「ボーパルバニーは気まぐれで飽き性、しかも本来の自分の階層じゃなかったからか非常に疲れやすい。三分以上戦闘を継続したって話は皆無だ」
そして。
「あの階層は誰かがエレベーターで上がって来ると、空の馬鹿でかい鐘が鳴って侵入を報せる。レアとラーズグリーズが上空から目視で確認した総面積とボーパルバニーのスピードを照らし合わせたところ、どこに居ようと五分以内で駆け付けられると計算結果が出ている。知っての通り、奴は殺戮を行うために自らの階層を下って来たほど交戦的だ。人が現れたら必ず最速で仕掛けていただろう」
接敵に最大五分。戦闘に最大三分。
で、エレベーター付近で戦い終えた際の撤退にかかる時間が最長二分弱だとすれば──
「──二十一階層に十分間以上滞在した前例は、一度として存在しない」
今回を除いて。
「シドウ。概ねの数字で構わん、滞在時間あたりの速度差を割り出せるか」
「式の構築なら、もう終わってる。今計算中」
データも少ないためざっくりした概算だが、現状で必要なのは大まかな数字だ。レアとのすり合わせも要らないだろう。
不必要に正確性を求めて時間を無駄に使うのも馬鹿らしい。天才は状況毎の取捨選択能力にも長けているのだ。
「俺の体内時計によれば、今回俺達が二十一階層に滞在したのは約八十分。戻った時の経過時間は御存じ十日」
この時点で内外の速度差、百八十倍前後。
あとは階層突入から十分ないし十五分後にねじれが始まると仮定した上で、計算式を当て嵌めて行けばいい。
余談だが二十一階層以降では飢えも渇きも感じなくなるのは、この極端な時間の速度差が何らかの形で肉体に作用しているためだろう。
そこら辺まで突っ込み始めると時間がいくらあっても足りなくなるから、割愛するが。
「先に言っとくが、三十分も経つ頃には時の速度差は最低でも四十倍、地上では二十時間が流れてる。そのタイミング以降で別の人間が階層内まで踏み入って、急激にねじれの均一化が行われようものなら、時の慣性でどんな影響を受けるかと言うと……いや。そもそも二十一階層以降に連続で人間を送り込むこと自体避けるべきだな。ちなみに俺達が二十階層に降りた時に何の影響も無かったのは、恐らくエレベーターに時のねじれを安全に解消させる機能があるんだろう……よし計算終わり。こんなもんだな」
六時間で約一ヶ月。
十二時間で約四ヶ月。
「──二十四時間でおよそ一年半。三日も居れば百年ズレる」
更に、赤い壁の光が尽きるまで、地上時間であと十ヶ月少々。
それまでに俺とレアの最終目標、三十階層までの登頂を果たさなければならない、と。
…………。
割とって言うか普通に詰んでね?
オシマイじゃねーか人類。
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