第98話 兎との再戦






 未だ人類が誰一人踏破に至っていない階層へと繋がる唯一の道とは言え、それそのものは他と特に変わり映えしないエレベーターの中で、ゴリゴリ内臓まで響く耳障りな音と共にボーッと揺られる。


 この先は生きて帰った者の方が少ない死地。

 流石の天才も、今までと同じノリでは痛い目を見るだろう。

 余裕と慢心は全く違うのだ。片や俯瞰、片や視野狭窄。主な差は心構えと心意気。


「うん……うん……ええ、そう……分かっているわ、ロンゴミニアド……」


 レアの奴が自分の槍とお話してる。毎日手入れしてるだけあって愛着たっぷりな模様。

 ケルベロスには未だに名前すら付けてないのに。






 ──揺れと音が、止まった。


 少し軋みを上げた後、石の扉が開き始める。

 たっぷり十秒ほどかけて広がる視界。差し込む光は、沈む間際の夕焼けの色。


「来るのは二度目だけど、相変わらず嫌な場所」


 袖口で顔を、より正しくは鼻を覆った姉貴が顔を顰めさせる。


 錆びた鉄と血の臭いで満ちた峡谷。朽ち果てた骸が何百何千と敷き詰められた戦場跡。

 ただし亡骸の全てが人間のそれではなく、鎧を着て剣や槍を握った猿のような生物達。

 落ち窪んだ眼窩をたまたまこちらに向けていた一体の顔は、まるで「お前もすぐにこうなる」と怨嗟を滲ませているが如し様相だった。


 ──と。どこからか、鐘の音が鳴り響く。


 赤く焼けた空を仰げば、輪郭が霞むほど上空で揺れる、どうやって吊るされているのか見とめることもおぼつかないほど、あまりにも巨大な鐘。


 あれは。この階層への来訪者を告げるもの。

 そして、あれこそが二十一階層の環境を特殊だと称した所以。


〈──キャハハハハハハハハハハハハハハッッ!!〉


 風すら吹かない無音の戦場跡に、甲高く品性の無い笑い声が張り上がった。


 は鐘の音を聞き付けると、飛ぶようにエレベーター付近まで現れる。

 例え階層のどこに居ようとも、必ず。


「チッ」


 声が近い。思わず舌打ちする。


 早急にガーディアン達を展開させたいところだが、ここでは少々手狭が過ぎる。

 俺達の持つCランクはいずれも巨体。全長で言えば優に五十メートルから六十メートル以上。この切り立った岩壁に挟まれた峡谷では、喚び出した瞬間に生き埋めだ。


「レア、崖の上に跳ぶぞ。俺が周防オッサンを運ぶ、お前は姉貴を──」


 頼む、と締め括るよりも先、尻切れトンボとなる台詞。

 最後に名を告げた当の姉貴が剣を抜いて腰だめに振りかぶり、峡谷の骸絨毯を踏み付けて真っ直ぐ突っ切って来る、災害級の暴威と相対した。


深化トリガーァッ!!」


 初っ端からのサードスキル。

 側頭部に捻れた角、背面に甲殻で覆われた強靭な尾を生やし、皮膚は鋼鉄の如く硬化し、爪と同化した十本の指先は鋭く尖り、爬虫類のような縦裂けとなる瞳孔。


 併せてセカンドスキルである豪力も発動させ、渾身で以て横薙ぎを見舞う姉貴。


 中心に立つ一人と一匹以外を半歩退かせるほどの衝撃が、峡谷を奔った。


〈キャハハッ! おひさ、おひさし、久しぶり! しばらくぶりだねピンクちゃん!〉


 夥しい返り血で汚れ、あちこち鉤裂きとなったバニースーツ。

 頭上には長い兎耳。強膜が白黒反転した目玉、その中心で爛々と輝く金色の瞳。

 四肢の一部は髪と同じ真っ白な毛皮で覆われ、その手に握った骨刀で、姉貴の剣と鍔迫り合っている。


「ええ、そうね。二年ぶりってところかしら」


 二十一階層へと降り立ってから、未だ十数秒足らず。

 早々のエンカウントと相成ってしまうも、姉貴は深化トリガーの影響か凶暴に口角を吊り上げ、この階層に存在する唯一のクリーチャー、ボーパルバニーを至近距離から睨み返した。


「前の宣言通り、今度は姉弟総出で借りを返しに来てやったわよ。首狩りウサギ」





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