第96話 出立






 感覚を慣らすために義手を取り払った状態で二日過ごし、概ね違和感を消した。

 やはり左右対称ではない気持ち悪さは否めないが、少なくとも微妙なバランスの狂いで動きが損なわれるという微粒子レベルで存在する懸念は摘まれた。天才に手ぬかりは無い。


「隻腕の俺も良い」

「……こう、ポジティブだと……人生、楽しいこと、ばかりだろうな……羨ましい」

「讃えるならもっとデカい声で讃えてくれ周防オッサン


 さて。今回の代理政府主導である二十一階層以降への進出は、現状まだ一般に周知されていない。


 何せクリア出来て当然なだけの能力があり、必要な情報も余さず出揃っていた、天才にとってはお遊びに等しかった二十階層までとは違う、ようやくのだ。


 試算から弾き出した成功率は非常に高いと言えるが、今までと比べてデータそのものが圧倒的に乏しいため、入力出来ていない変数も多い。

 正直この天才にも、いや天才だからこそ、明確なコメントは差し控えざるを得ない。


 尤も、最強でもある俺の視座から言わせて貰えば──百パー勝つ、だが。


 閑話休題。

 秘蔵のCランク召喚符カードという、協会発足以降初となる事実上の最高戦力の投入。代理政府も情報公開のタイミングには神経質になっており、に大々的に執り行う流れだ。


 なのでこうして二十階層行きエレベーターの前で出発間近の俺達を見送らんとする野次馬などは居ない。


「王子様……」

「エイハか」


 臨時メンテナンスと称し、三十分間だけ立入制限が敷かれたエレベータールーム。

 オヤジ含む代理政府のお偉方が数人集まった場に、遠慮がちな様子で現れたエイハ。


 わざわざ来る必要は無いと言っておいたのに。まあ、もし来たら通してやってくれと職員さんに頼んでもおいたんだが。


「……ボクなんかに出来ることは無いかもしれないけど……どんなに酷い怪我をしても、帰って来てさえくれたら、治してみせるから……!」

「そいつは助かる。天才かつ最強の俺は兎も角、鈍臭いのが居るからな」


 そう言って姉貴を見ると、中指を立てられた。

 変に気負ったり意気込んではいないようで結構。競馬も入れ込み過ぎるとスタートで出遅れるしな。


 ところで俺は、この北海道セカイから脱出したら馬主になりたい。

 体格が良過ぎて騎手にはなれないからな。持ち過ぎてるってのも時に悩みものだ。


 将来買う競走馬第一号の名前も、既に候補を考えてある。

 テンサイナイスガイ、或いはテンサイサイキョウ。サイキョウナイスガイは文字数制限に引っ掛かるから泣く泣く断念した。


 …………。

 だからこそ、こんなところで躓いていられないのだ。





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