第55話 あのとき、なにが起きたのか

 アイラとルナはラボを出ると、クゥールの部屋の前にやってきた。


「えへへへっ……」


 腰のホルダーのアグナをニヤけた顔で撫で続けるアイラ。


 ここに来るまでにすれ違った人たち全員が振り返るくらいに、その表情は緩み切っていた。


「あははは……」


 隣のルナがいつもの手順で扉を開けると、


「……クゥール、入るよー」

「まさか、まだ寝てるんじゃないでしょうね~?♪」


 すると、部屋の奥から寝起きのかすれた声が返ってきた。


「んー……? あぁー……起きてるぞー……起きてる……」


 二人に向かって振られた手が、すぐにパタンッと落ちた。


「いや、絶対に寝てたでしょ……」


 ぐぅううう~~~。


「あ」


 アイラの腹からけたましいサイレンのような音が鳴ると、半開きの瞳がじっとアイラを見つめる。


「……俺を食うなよ……?」

「たっ、食べないわよっ! バカじゃないの!? …………ん?」


 徐にアイラがクンクンと嗅ぐと、いい匂いが鼻孔をくすぐった。


 ――この美味しそうな匂いは……。


 その匂いを辿っていくと、簡易キッチンに置かれた大きな鍋の前で止まった。蓋がしてあるため中を見ることはできないが、これは……食欲をそそる匂いだ。


「ルナちゃん、これって……」

「えへへっ。実はクゥールが眠っている間にカレーを作ったんだよ♪」

「なにっ、カレーだと~!? よっしゃ~!!」


 子供のように大はしゃぎするクゥールとは対照的に、


「? カレー?」


 アイラはポカーンとした顔で首を傾げた。


「舐めるなよ〜? ルナの作るカレーは世界一美味いんだからな!」

「お、大袈裟だよ……っ。ルーは市販のものだから、誰でも同じものを作れるよ……っ」


 クゥールに褒められ、ルナは照れた顔で指をモジモジしている。


「ふーん」

「お、お前……まさかカレーを食べたことないのか?」

「!! ……た、食べたことくらいありますが!?」

「なんでケンカ腰なんだよ」

「…………っ」

「はぁ。じゃあ、どんな料理か説明してみろよ。ちゃんと言えたら信じてやるから」

「いいわよ、アンタにお教えてあげるわ……!!」


 ……。

 …………。

 ………………。


「カレー、楽しみだな」

「えぇ、そうね……」


 ――カレーって、そんなに奥深いものなんだ……。


 二人はコタツを囲い、カレーが温まるのを待った。


 だが先ほどから、ルナがお玉でカレーを混ぜるたびに香ばしい匂いが空きっ腹をくすぐってきてしょうがない。


 ぐぅううう~~~。


 ――うっ……。


 クゥールの説明に耳を傾けている間も、空腹のサインが鳴り止むことはなかった。


「…………っ」


 アイラの中の食欲という名の猛獣が、今にも暴れ出しそうだ。


 ――我慢……我慢……っ。


 腹を撫でながら食欲を抑え込む。


 ――もう少しだけ耐えるのよ……っ。『空腹』が最高の調味料なら、『我慢』は最強のスパイスなんだから……っ!


「っ……あ。これ、修理が終わったからアンタに渡してって言われたんだけど」


 ハテナから預かっていたモノ<黒き剣>のことを思い出し、手渡すと、


「おっ、サンキュー」


 クゥールは礼の一言を挟んでそれを左腰のホルダーにしまった。


「これがねぇーとなかなか落ち着かなくてさー」

「……あと、それから……っ」

「ん? まだあるのか?」

「えっと……これ……っ」


 と言って腰のホルダーから出したアグナをコタツの上に置いた。


「どうだ、気に入っただろ?」

「っ……う、うんっ……と…とっても……っ」


 嬉しさと恥ずかしさが入り交じった結果、ついたどたどしい口調になってしまった。


 こういうときに照れてしまうのもどうかと思うが、今はこれが精一杯だった。


「それから……あ、ありがと……っ。助けてくれて……アンタが助けてくれなかったら、アタシ……」

「ふっ。あれでわかっただろ? 自分が、“誰”の弟子になったのかってことが」

「っ……えぇ。認めたくはないけど……認めるしかないわね……っ」


 二人の闘いを目の当たりにして、アイラは格の違いを見せつけられた。


 ――それに……この男が“本物”だってこともわからされた。


 魔力値が約二十万もあるガラードと互角にやり合っていたのだ。その強さに、疑う余地などあるはずがない。


「……そういえば、アンタの魔力値、まだ聞いてなかったわよね?」

「そうだっけ? ……あぁー、五十万だ」

「さあ教えてもら……ご、五十……万っ!!?」


 ――なにサラッと答えてんのよ!? ……ん? ちょっと待って……


「確か、先生が半年前のアンタなら一瞬で倒せるって言っていたけど。どうしてあんなに苦戦したのよ?」

「魔力っていうのは不思議なものでさ、体力と精神力が耐えられる限界までしか使うことができないんだ」

「へぇー。だから、アタシにリラックスするように言ったのね」

「まぁー、そーゆーことだな」


 半年間もの間、この部屋に閉じ込められていたことで、体力がガクッと落ち、精神的なダメージを受けたことが魔力値の低下に繋がったのだ。


「減った分の魔力は、体が治れば自然と元の数値まで戻るだろ」

「そっか。よかったじゃない……」

「? どうした?」


 ………………。


 三秒の間の後、アイラの閉じられた口からポツリと声がこぼれる。


「……どうしたら、アタシも……あんな風に……」

「誰よりもたくさん練習して、一人でも多くの候補生たちと模擬戦を積み重ねていくしかない」


 闘えば闘うほどに魔力の色は濃くなり、その強さを増していくのだから。


「そうよね……」


 ガラードのような“絶対の一撃”が通用しない敵とまた戦うことになったときに、“自分”に絶望しないためにも……。


 ――もっと特訓を頑張らなきゃ……っ。


「アイラ」


 ポンッと肩に手を置くと、真剣な顔でアイラを見つめる。


「な、なによ……っ」

「いざとなったら、お前には『脳筋戦法』っていうバカの一つ覚えみたいな――」

「バ、バカ……ッ!? あんたねぇッ!!!」

「そういうすぐカッとなるところがお前の悪い癖だけど、負けず嫌いな性格は嫌いじゃないぜ」


 ――えっ……。


「あ、気をつけろよ」

「?」


 クゥールが指さしたのは、コタツの布団に入りかけているアイラの膝だった。


「あのときみたいにまた気絶されると面倒だからな」

「気絶? ……あ」


 ふと頭に浮かんだのは、この部屋で勉強会を開いたときのことだ。


 ――そういえば、アタシ……気を失って倒れちゃったんだ……。


「お前、あのときコタツに手か足を入れただろ?」

「そ、そんなのいちいち覚えていないわよ。……たぶん、膝が入ったと思うけど」

「だから気絶したんだよ」

「? どういうこと?」

「あのとき、コタツがお前の魔力を吸い取ったから魔力切れが起こったんだ」

「あ、なーんだ、そうだったのねー」


 理解した顔のアイラがポンッと手を叩く。


 ――この感じだと、また同じことを繰り返すんだろうな……。


 自分の中の直感がそう囁くのだった。

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