第七章 “英雄”VS“剛腕”

第37話 彼が見たモノ

「クソォォオオオオオオオオオオッ!!!」


 芝生広場のベンチに腰掛ける一人の青年が、地面を強く踏みつけた。


 ――坊ちゃま、さようなら……。

 ――バイバ〜イっ♪

 ――――…ペコリ。

 ――――…ペコリ。


 脳裏で流れるのは、メイドではなくなった四人の少女たちが、自分の元を去る姿……。


「クソッ……。あいつだッ……全てあいつのせいだ……ッ!」


 吐き捨てるように呟くと、 髪を乱暴に掻きむしる。


 屈辱以外の何物でもない“あの一戦”で負けて以降、どこにいても居心地が悪く、周りからの視線は冷たいものに変わっていた。


 さらに、自分の醜態しゅうたいを目の当たりにしたメイドたちが学園を去るという非常事態。


 彼はたった一度負けただけで、全てを失ったのだ。


「っ……あいつ覚えてろよ……ッ!! パパに言いつけて――」


 ピピーッ。ピピーッ。ピ――


「お、お父様……っ!」


 丸まっていた背筋を反射的に正すと、『SOUND ONLY』の文字だけが映し出されたスクリーンに向かって頭を下げた。


『お父様ではない、社長だ。何度言ったらわかる?』

「!? も、申し訳ありませんっ!!」

『フンッ』


 社長は一度咳払いをすると、まるで犯人を追い詰めるかのような口調で話を始めた。


『なぜ私が、貴重な時間を割いてお前に電話をしたのか、わかるか?』

「…………はい」


 坊ちゃまは頷くと、奥歯を噛み締めた。


 心当たりが嫌でもあったからだ。


『聞いたぞ? 何処どこぞの名も知らぬ小娘に勝負で負けたと』

「…………っ!!」

『それは事実か?』

「っ……そ、それは……」

『私の質問に答えられないというのか?』

「!? け、決して、そのようなことは……っ」


 その歯切れの悪さに、スクリーンの向こうからため息が聞こえた。


『お前が負けたせいで、私はいい笑い者だ。その責任、どう取ってくれる?』

「いっ、今一度、名誉挽回のチャンスを……っ! あのときは……ちょっと油断しただけで――」

『――油断? 油断だと?』

「あッ! いえ、その……」


 彼は、絶対に避けなければならない地雷を踏んでしまった。


『わかっているのか? お前には、我が社の製品を世界にアピールするという重要な役目があるのだぞ?』

「しょっ、承知しております……っ!!」

『ならば、なぜ負けた? なぜ力を示さなかった? なぜ――』


 ――社長、そろそろお時間です。


 画面の向こうから聞こえてきたのは、秘書の女性の声だった。


『……わかった、すぐに行くと伝えろ』


 ――かしこまりました。


『いいか、また家紋に傷を入れるようなことをしてみろ、そのときは……わかるな?』

「は、はい……ッ! 全身全霊で――」


 言い終える前に、通話がプツリと切れた。


「ッ……ぁああああああああああーーーッ!!!」


 端末を地面に強く叩きつけたが、その怒りが収まる気配はない。


「全部…――あの女の……ッ――――僕から何もかも……ッ!!」


 彼の中で、怒りが憎しみに変わった瞬間だった。


 ――あんな落ちこぼれのクズなんかに……この僕が……負けだと……?


 負けを知らず、勝ちしか知らず、憎悪に飲み込まれるその姿は、なんとみにくいことか。


 ………………。


「――チッ」


 ベンチから立ち上がり、街灯の下に転がった端末を拾うために屈むと、


「…………ん?」


 突然、周囲に影が差し、辺り一帯が暗闇に包まれた。


 ――…なんだ?


 陽が落ちるには、まだ早すぎる。


「…………ッ」


 恐る恐る空を見上げると…――――憎しみの色に染まる瞳が“その存在”を捉えた。


「ぁ……あッ……ああ…………あああああ――――」




 ――――――――――――――――――――――――。




 彼の叫び声をかき消すように、獰猛な咆哮がとどろいた――

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