第4話 見てくれているということ
コツ……コツ……
地面を叩くヒールの音が学生寮の廊下に響き渡る。
「………………」
ツヤのある長い漆黒の髪を揺らしながら歩く女性は、ある部屋の前で止まった。
「……ここか」
扉をコンコンとノックすると、十秒ほど待った後、扉が中から開けられた。
「どちら様です…か…――」
「具合はどうだ? ハーヴァン」
「――っ!!
予想外だったのか、アイラは目を見開いて担任の城崎を見る。
「ハーヴァン、お前……」
特徴的な紅い髪が鳥の巣のようになっていることにも驚いたが、それよりも爪先の血の跡に目が止まった。
――頭を掻きむしったのか。
『アイラ・ハーヴァンです! よろしくお願いしますっ!!!』
――自己紹介のときの……お前はどこに行ったんだ?
「……立ち話もなんだ、中に入らせてもらうぞ」
「あ、どうぞ……」
部屋に入ると、大きな白いベッドが目に入った。シーツは乱れ、上にあるはずの掛け布団が床に落ちている。
恐らく、急に訪問者が来たため慌てて飛び起きた、と言ったところか。
――…いや。
「起きていたんだな」
「…………っ!!」
飲みかけなら
「どうなんだ?」
「……そ、そうですけど。先生は、元探偵かなにかですか……?」
「ふっ、それほどでもないっ」
「いや、
アイラが顔の前で手を横に振ると、城崎は一度咳払いを挟み、教師の顔に戻した。
「今後は自身の体調管理に気をつけることだ。一流のナイトになりたいのならな」
「すみません……。あ、明日には授業に――」
「いや、明日も休め。とても大丈夫なようには見えないからな」
「え……体はなんとも……」
「私が言っているのは、そっちの方ではない」
「え?」
城崎はアイラをベッドに座らせると、話を続けた。
「ハーヴァン。私はこの二週間、お前の様子をずっと見ていた」
「せ、先生が……?」
目を丸くするアイラに、城崎は真っすぐな目で答えた。
「入学したばかりで浮ついている他の新入生とは違い、お前の目はやる気に満ち溢れていたからな。……寮に入った日からトレーニングをするほどに」
「……っ!! 先生も、見ていたんですか……?」
「ああ」
「…………っ」
すると、アイラが徐に顔を俯かせた。
「どうした?」
「叔母さんが……言っていました……。一生懸命に努力していれば、必ず誰かが見てくれているって……っ」
肩を小刻みに震わせながら、テーピングが巻かれた手で目を覆った。
「……そうか」
この二週間の間にクラス内で起きた“異変”については、既に把握している。
その中心にいるのが、この……ボロボロの少女だということも……。
「……この学園には、お前のように純粋な気持ちでナイトになりたい者から、企業の“広告塔”になるためにナイトを目指す者など、様々な事情の者たちがいる」
「広告塔……?」
「魔具産業は需要が高く、成長著しい。そうなると、自分たちの魔具製品をアピールしようとする企業が出てくるのは必然と言える」
「あ、あの……」
「まあいいから聞け。二十年以上前とは違い、今ではナイト個人にスポンサーが付く時代だ。将来有望なナイトになる可能性の高い候補生と、今のうちに契約を結ぼうとする企業の人間が、毎日のようにここへやってくる」
「えっと……どうして、そんなことを……?」
「授業を休んだ生徒への特別授業だ」
そう言って城崎はアイラの肩に手を置くと、優しい声色で伝えた。
「ハーヴァン、プライドが高い奴もいれば、平気に他人を見下す奴だっている。だがな、お前のことをちゃんと見ている人がいるということを、どうか忘れないでほしい」
「っ…………はい」
小さい声だが、しっかりとした返事だった。
……。
…………。
………………。
「私は戻るが、どうしてもトレーニングがしたいのなら部屋でしろ。外でやると他の生徒に見られるかもしれないからな」
「は、はい……あの、先生……」
「ん? なんだ」
「どうして、アタシに……そこまでしてくれるんですか?」
と尋ねられると、城崎は顎に手を当て考える素振りを見せたが、返事は即答だった。
「そんなの、しごき甲斐があるからに決まっているだろ。特に“問題児”のお前はな」
「へっ?」
「ふっ。じゃあな」
城崎は部屋を出て扉を閉めると、「はぁ……」と息を吐いた。
「思っていた以上に重症だな……」
扉にもたれかかり、ポツリと呟くと、
――このままでは……
天井を見上げた城崎は、“あの男”の名前を口ずさんだ。
「お前の力が必要だ――――――…クゥール」
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