第40話 火宮紫音、許すまじ

 何が起こったのか理解ができなかった。ここに至るまでも、今しがたも。

 ただ視界に入るのは、我が愛しの姫君の冷たい睥睨と、間男風情のあざ笑うかの如き視線と表情のみ。

 私──中小路時久は、屈辱に燃える心と裏腹に凍てついた体のまま、それらをただ受けるしかなかった。

 

「ちっ……ちくしょう……!! ちくしょう、ちくしょう……!!」

 

 隣で兼輝が、涙すら流して悔しがっている。正しいことが踏みにじられた、正義が敗北した悲しみと義憤の涙だ。

 私も同じ思いだった……このような理不尽があっていいのか、この世に? 天を仰ぎたくとも仰げない。


 完全に身体を、火宮の没落当主に乗っ取られてしまっていた。度重なる無礼にもはや、この男を生かしておけぬと始末するために懐の武器へ手を伸ばした矢先、何かされてしまったのだ。

 まったく体の自由が利かない。そればかりか勝手に腕が動き、くないを手にしたままその手を差し出してしまう始末だ。


「紫音さん! そ、それが火宮に伝わる……貞時を止めるのにも使った!」

「ああ。天象術式ってな。霊力を駆使して戦う俺ら火宮の、対魔物用戦闘技法だ。本来人間に使うようなものじゃないが、まあ3500年もありゃあ多少そっちにも明るくなるってな」

 

 これが、天象術式。火宮家に代々伝わるとかいう霊力なる特殊なエネルギーを駆使した妖術。

 魔物と戦う"天帝勅命"における火宮側の武器であり、その当主である目の前の男がはとりわけ、3500年もの歴史の中でも随一の使い手だという話らしい。


 とんだ眉唾だ、馬鹿馬鹿しいファンタジーだ。何が霊力だ、何が術式だ。

 火宮一族の使命とやらは天象で知らぬ者もいない常識だが、そもそも魔物などというものは本当にいるのか? 子どもの妄想のような内容の"天帝勅命"など、あり得るのか?


 ましてや今や天象を統べる支配者たる我ら姫蔵にすら……かの勅命を下す天帝陛下が会いに来られたことなどないと言うのに。

 このような没落した薄汚い下郎の血筋には毎年、わざわざ会いに来られるというのだ。明らかにこれは、何かおかしい。

 

 そう、おかしい。このような、人を操ることに躊躇しない外道にわざわざ天帝がお会いに来るなどあり得ないことだ。

 不自然さに気づいたのは私だけでなく兼輝も同じ様子だった。泣きながら、火宮のクズを睨み叫ぶ。

 

「……分かったぞ!! お前はこの妖術で、姫様を操ってるんだなっ!!」

「はぁ?」

「一体何を……馬鹿なことを……」

「姫様はやはり操られていた! いや当主様もだ、どうやってか知らないけどどうせ卑劣な手を使ったんだろうさ、洗脳なんてとんでもないことをする!! そこまでして姫蔵の地位と名誉を望むのか、没落貴族ゥゥゥッ!!」

「望んどらんわ、そんなもん」

 

 決死にも似た訴え! それを鼻で笑う火宮のクズはもはや人間にさえ見えない。

 かつてはきっと我々の味方をしてくださっていただろう姫様が、やつにまるで売女のごとく寄り添い兼輝を見下す姿などもってのほかだ。

 

 天象においてはもはや天帝にも匹敵するだろう姫蔵の、麗しき姫君をかくも手懐けておいて地位と名誉を望まない? そんなことがあるはずがない!

 この男は寄生虫だ。"天帝勅命"を笠に着て姫蔵に擦り寄り、世間知らずの姫君を誑かして当主もろとも妖術にて操って……終いには姫蔵そのものを食い尽くすつもりなのだ。

 

 なんということだ。こんなところに恐るべき、そしておぞましい敵がいたとは……!

 しかもすでにその野心は王手に近く、綾音姫は手中に収められたに等しくまた、当主たる和也様もどうしたことか誑し込まれている始末。


 それに、貞時とて怪しい。そもそも先日の乱心からして、魔物憑きなどと言っているが目の前のこの悪魔が何かしでかしたのではないか?

 かつては我ら同様、姫蔵本家への真の忠誠を掲げていた彼が今やすっかりこのクズに敬意を示しているのだ。疑問は尽きない。



『時久、兼輝……俺は目が覚めた。お前達も目を覚ますべきだ』

『天象を護ってきた一族の力、姿。たしかにあの方こそは火宮のご当主様だ。幼い頃から聞かされていた御伽噺を、現代に受け継ぐ神話の継承だ』

『後悔する前に、早くそのことに気づいてくれ。悪魔憑きになって初めて気付いた俺よりも、お前たちのほうがずっと聡明だと信じているぞ。友よ』

 

 

 ──などと。あの貞時がここまで言うなど、これもまたどうしようもなく不自然な話でしかない。

 おそらくは学園内にてやつに何か仕込まれ、姫蔵本家を襲うなどという暴挙をさせられたのだろう。そしてその鎮圧を他ならぬやつめが成すことにより、姫蔵に取り入る一手と為す。

 

 間違いなくマッチポンプといえるものだろう、これは。そのために貞時は利用され、洗脳され操られている。今もまだ、やつに屈服しているようでさえある。

 許せん……! ありったけの憎悪を込めて、火宮紫音を睨む。

 

「おのれ、火宮……!!」

「はぁ……ごめんね紫音さん。もう数日したら彼らの姿を見ることはなくなると思うから、それまでどうかご寛恕くださいませ。もちろん謝罪と賠償は後日、きっちりとさせていただきますので……」

「あー、まあさすがにこれはなあ。一応俺も家に持ち帰って家臣と話するわ。っていうかな、微妙に怖いぜ綾音嬢?」

「え? 何が?」

「無自覚だよ……」

 

 紛れもなく忠義の士と言えよう我ら二人の言葉を、まるで気にしない姫様の姿がひどく哀しい。反比例して、火宮への怒りと憎しみが炎となってこの心を焼き尽くす。

 もはや、もはやすべてを擲ってでもこの男を排除しなければなるまい。とぼけた面をしているやつの、命をこの手で誅するべきなのだ。

 

 兼輝と二人、小さく視線を交わす。

 姫蔵と天象を真に想う我らの、決意はここに揺るぎないものとなっていた。

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