第38話 悲喜交交ってやつよ

 頬を染めて嬉しそうにはにかみ、あろうことか衆人環視のなかで婚約について高らかに語る綾音嬢。

 俺はその時点で一旦退却を選択した。そそくさと自分の席に戻って、授業に専念することにしたのだ。いわゆる現実逃避だ。

 

「なんだよ婚約って……俺の姫蔵さんが、なんで婚約を……」

「綾音ちゃん、幸せそう。悪い話じゃないのかな、彼女的には」

「なんでよりによって火宮なんだよ……思いっきりやべー家じゃん」

「毎日魔物と戦ってる、ガチガチの武門なんだろ? 怖えよなあ」

 

 静かに授業が行われ、先生の声とチョークが黒板の上で滑る音が響くなか、どうしてもヒソヒソと小声が耳に入ってくる。

 先程のカミングアウトがよっぽどショックだったんだろう、男も女も関係なし、とにかく綾音嬢を案じつつ俺への不安な恐怖を吐露しているな。

 

 まあ概ねのところこういうことだ──火宮っつう、3500年もの間魔物と相争っている物騒な家に、男装してなお花も恥じらう可憐な乙女な綾音嬢が嫁ぐことは不幸しか呼ばないんじゃないかって不安だな。

 まったくもって正論だ。なんなら俺自身同じ思いだよ、うちに綾音嬢が来たとて果たして馴染んでくれるかどうかってのはある。

 

 みどりちゃんの例が分かりやすいだろう。俺に対してあれこれ言った挙げ句、事実上火宮から離脱させられたような彼女だが、あれだってところ変えればそっちのが正論って扱いを受ける場所だって間違いなくあったろう。

 要は火宮のやり方に適さなかっただけで、主張そのものには良いも悪いもないはずなんだよ、本来は。まあ、言動態度の悪さについてはさすがにどこ行っても通用せんとは思うが。

 

 綾音嬢についても同じで、嫁いでからうちのやり方についていけません馴染みませんだと大変なことになっちまうんだよ。

 俺としては彼女の意志が一番大事だとは思うけど、同時に火宮に適するか適さないかってところも目下の懸念事項なわけだった。

 

「えへへ……えへへへ……えぇっへっへっへぇ……」

「えぇ……?」

 

 そんな不安な綾音嬢なんだが、横目で見ればまあとろけた笑みを浮かべていらっしゃる。背景に花が見えそうなほどだ、お花畑だな。

 一目見て幸せなのが一発で伝わるんだが、そんなに嬉しいもんかねって感じではある。火宮への罪悪感、呪いともいうべき教育の成果なのかもしらんがにしたって心底嬉しそうにされると、ちょっと悪い気もしないな。

 

 まあ、幸せそうな綾音嬢とは裏腹に俺に突き刺さる視線はいよいよ憎悪の色を孕んでいるんだが。こっそりと綾音嬢の後ろの席、時久と兼輝を見る。

 視線で人を殺せるんなら俺はもう万回は死んでそうな、怨念じみた目。そんなに本家の姫を取られるのが嫌かよ、嫌だろうな。

 権力や立場的な問題以上の、好き嫌いも絡んでいるだろうしなあ。

 

「赦せん……許せない……ッ」

「なぜ当主様は縁談などと……! しかも、我らを護衛から外す……!? 意味不明、意味不明意味不明ッ」

 

 おーおー、まさしく呪詛ってやつだなこれは。まるで魔物憑きみたいだ、いや本物はこんなもんじゃねえけど。

 しかもどうやらこの二人、綾音嬢の護衛から外されちまいそうな感じみたいだな。護衛対象の縁談相手を前からボロカスに言ってたりしてたからそのへんが理由なんだろう。


 貞時しかり、三人は三人なりに使命感や熱意をもって使命にあたっていたんだろうが……悲しいかなそれだけじゃあダメで、礼儀とか振る舞いとかも求められているわけで。

 一々主の婚約者に悪態付くようなやつを護衛に引き連れてたら、今後綾音嬢までそんな程度の主とかって言われるかもしれん。言っちゃなんだが今まで好き放題してきたツケってやつかな、こいつは。

 

 こいつはもう一波乱二波乱、起きそうだな。主に姫蔵方面で、火宮に対して文句とかはあるかもしれん。さすがに実力行使はなかろうけどな。

 まったく"天帝勅命"だけやっときたい俺達に、なんでこんな面倒ごとばかり降り掛かってくるのか。綾音嬢が縁談に前向き? っぽいのがせめてもの救いだな。


 これで彼女にまで嫌がられていたら、マジで政治的な部分以外では誰の得にもなっていないとしか言いようがない。

 はあ、と軽く息を吐く。個人的には縁談話は嬉しくないこともないんだが、綾音嬢の好意的な理由が罪悪感由来ってのはなんだか複雑だぜ……

 

「紫音さん……紫音さーん……うふふふえへへへ。幸せだなあ、みゅひゅひゅひゅひゅ」

「おのれ、火宮……!」

「許すまじ、没落当主……ッ」

「……勘弁してくれ……」

 

 もう授業どころじゃねえや、あちこちでヒソヒソとまあ噂話やらなんやらしやがって、畜生。

 そのなかでもやはり、やけに嬉しそうな幸せそうな綾音嬢の笑い声が不思議と耳に入り残るのを、俺は諦め半分微笑ましさ半分で聞き流して頭を抱えていた。

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