第20話 まさしく英雄のような、その御姿(綾音視点)

 様子のおかしい貞時を前に、僕達姫蔵本家の者はただ寄り添いながら護衛に囲まれるしかなかった。

 姫宮本家屋敷、食事を終えていつもの広いリビングでの歓談時。やけに表が騒がしいと思っていたら、いつも僕の護衛を担当している小金井貞時が殴り込み同然に飛び込んできたんだ。

 

 ……剥き出しの刃、刀を持って。

 紛うことない憎悪と悪意、殺意を込めて、彼は僕達を睨みつけていた。

 

「なんのつもりだ、小金井貞時! 貴様、よもや本家への謀反とでも言うか!?」

「止めて、貞時! 一体どうしちゃったの!?」

「ぐ、ぅ、うううう……っ!!」

 

 兄様や僕の呼びかけに、貞時は苦しげに呻きながら震える身体で刀を構える。

 明らかに尋常の様子じゃない。貞時自身も抑えが効いてないみたいな、そんな感じさえ受ける。

 

 一体何が……怨恨というには唐突だけど、心当たりはなくもない。今日の学校終わり、まさしくそのことについて僕は貞時含めた護衛三人と話し合ったのだから。

 すなわち紫音さんへの態度や言葉遣いのことだ。僕は彼らに呼び止められて、直談判を受けていたんだ。


 

『もう我慢できません! 姫様! あのような没落貴族に謙るのをやめてくださいませ、なんという情けなさ、恥ずかしさ! これでは姫蔵の名が廃ります!』

『綾音様自身の風評にも被害が及びましょう! あれなるは所詮下等貧乏貴族もどき、"天帝勅命"ありきでどうにか貴族の末席にしがみついているだけの、実質下民賤民の類!!』

『我ら選ばれし血族、姫蔵の尊き身分! なればこそ付き合う者は選ぶべきなのです! そも天象学園などという平民どもの学び舎に通うこと自体が間違っていたとさえ言えましょう!!』



 などと。はっきり言って下衆の物言いでしかない、聞くに堪えない愚かな主張を延々と受けたのだ。

 これには同席してくれた姫蔵分家の養護教諭、花野先生や生徒指導の伊佐野先生も呆れ返るやら怒り心頭やらで言葉を失うほどにひどい有り様だった。


 そもそも他所様の家を、身分をそこまで悪しざまに論うのがまずどうかしている。

 たしかに貴族や平民と言った立場の違いはあるけれど、昔の封建制度じゃあるまいに今じゃお互いに支え合っての関係性が当たり前の世になっているのに。


 下民だとか、賤民だとか……同じ学び舎の素晴らしいクラスメイトや先生達まで含めて見下すその姿勢は、僕からすればそちらのほうがよほどおぞましくて醜い。

 ましてや紫音さん、いいや火宮当主たる紫音様にそのようなことを言うなんて、かつて御方の一族に助けられた姫蔵の本家筋として、これは断じて許せないことだ。

 だから僕はカッとなって、言い返したのだ。



『────一体、なんのつもりでそんな口を叩いているの? 姫蔵として僕は、君達三人こそが恥ずかしくて情けないよ』

『貴族だから平民より偉いとかいつの話をしているのさ。僕達は立場や担った責任、分野、仕事が違うけれど誰もが等しく価値がある存在でしょ。少なくとも姫蔵本家はそう考えているよ』

『あまつさえ火宮家を、姫蔵を助けてくださった大恩人の家系を悪く言うだなんて!! 恥知らずにもほどがある、それでも貴族なの!? 恩知らずの姫蔵なんてただでさえ蔑まれるべき立場なのを、自分達から受け入れてどうするんだ!!』

『頭冷やすべきだね、三人とも……今のままだと、貴族として相応しくないと僕は見做すよ』

 

 

 ……って。我を忘れて怒鳴りつけたところはあるけど、間違ったことは言ってないと信じている。

 三人はそれはもう悔しげに、憎々しげに唇を噛んでいたけれど。その場はひとまずそれで決着つけて、帰路に着いたんだ。

 

 そしたらこれだ。ものの数時間くらいで護衛の一人が刃傷沙汰に及ぶなんて。まったくもって思いもしていなかった。

 怒られたことを根に持ったの? いやでも、そんな馬鹿な! 理解に苦しむ僕をよそに、貞時は苦しむうめき声の中、僕を見据えてたしかに言った。

 

「ひ……姫……綾音……!! お前を、私の、モノにする……!!」

「え、は……はあ!?」

「火宮……なんか、に……渡す、ものか! お前、を……私、の、愛奴隷に、してやる!! 他の者、をすべてっ、殺してぇぇぇっ!!」

「貞、時……!?」


 僕を見る目に宿る邪念。そこに含まれる、あまりにも背筋が凍るおぞましい肉欲。誰から見ても間違いなく、貞時は僕を、女として貪るつもりでいる。

 護衛達が僕に対してアプローチを仕掛けてきているのは分かっていたけど、所詮"姫蔵本家の姫"という肩書だけが目当てだと思っていた。それが、こんな。


 全身が怖気に震える。そんな僕を兄と姉が庇うように抱きしめる中、父が前に出た。

 その顔つきは険しくも冷静そのもの。貞時の状態を、的確に見抜いているかの如き賢者の眼差しだった。


「狂ったわけではない……魔物が取り憑いたか! さきほど火宮から緊急事態の報せが入っていたが、よもや貞時に魔が差すとはなんたる不運!!」

「魔物!? 父上、それでは今の貞時は、かの"天帝勅命"にて火宮が請け負っている!」

「そうだ圭一、真澄も綾音もだ! お前達は初めて見よう、これこそがかの御家が3500年にも亘り防ぎ続けている事態……"逢魔ヶ時"の一欠片である!!」


 逢魔ヶ時……"天帝勅命"なかりせば一夜にて天象の地を滅ぼすとさえ言われている、暗黒の世の大災害!

 3500年もの間、絶えず毎日この世に表出せんとする魔物達を瀬戸際にて食い止めるのが火宮家の"天帝勅命"だとは聞いていたけれど。実際に魔物が取り憑いたモノを見るのは初めてだ、なんていう禍々しさ!

 

 貞時が一歩進むごと、僕ら家族は一歩下がる。完全に安穏としていたところに襲ってきたんだ、近くに武器なんてあるはずもない。

 外の護衛達も来る様子はないあたり、全員先に倒されたんだろう。死者さえ出てしまっているかもしれない。

 

 絶体絶命だ。

 明確に迫る死の予感。けれどそれを覆すかのように聞こえてきたのは、一人の男の声だった。

 

「────あー、綾音嬢でなく護衛の一人が憑かれたってか。なるほど、増幅するにはさぞやりやすかったろうな、魔物も」

「え……!?」

「なに、ものだ……ッ!!」

 

 貞時が入ってきた、部屋の入口に立つその人。知ってから今日に至るまで、毎日夢にまで見ている人。

 気高くも凛々しいお姿。灰色の髪、右目に痛々しい古傷を刻まれている様はまさしく歴戦の古強者。袴姿に派手な桜の羽織を肩から纏い腰には刀を提げていらっしゃる。

 

 天象・火宮総本山は3500年もの歴史を紡ぐ火宮家の最新当主。

 168代目、その名も────!

 

「火宮紫苑、様──!!」

「はいはいどーも。すみませんね迷惑かけちまって、収拾つけに来ました火宮家のボンクラ当主です、お邪魔してまーす」

 

 ゆるく笑って、けれど視線は鋭く貞時を見据える。

 火宮紫音その人が、僕らの眼前に現れたんだ!

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