第16話 一生、お傍に仕えます(綾音視点)

 ああ。ダメだ僕、顔が緩んじゃって仕方ない。

 紫音さんの顔を見て話をすればするほど、心が弾んでしまうのを自覚する。

 まさかこんな日が来るなんて、夢にも思わなかった……火宮と姫蔵の仲を取り持つ、架け橋としての役割を担えるだなんて。


「昨日までと今日で違いすぎるだろ、いろいろ……狐につままれた気分だ。なんぞ世界ごと変わりでもしたかね」


 目を白黒させて驚いている紫音さん。火宮当主としての姿は途方もなく立派で格好いいけど、学校での姿はだらけきったパンダにも似ていてなんだか愛らしい。

 よっぽど信じられないんだね、僕がこんなにも近づいてきたのが。いきなりだもんね、そうだよね。僕は姫蔵、裏切り者の薄汚い一族の末裔だもの。

 でも本当はずっと、僕はこうしたかったんだ。

 

 ──昨日、火宮総本山にご挨拶して帰宅した後、夕食時。僕はことの一切を父である姫蔵3代目当主、和也様と兄にして次期当主候補の圭一様、そして姉である真澄様にお話したのだ。

 元より大恩と負い目のある火宮様。その最新の御当主たる紫音様に助けられ、あまつさえ一族の方々にご挨拶する機会さえ賜ったことは、何をおいても伝えなければいけないことだからね。


 僕の話に家族はみんな最初驚き、そして丁寧に耳を傾けてくれた。

 護衛を撒いて一人構内を散策していたことを叱り、僕に絡んできた人達に怒り。そしてそこを颯爽と助けてくださった紫音様に息を呑み、言葉を失い。

 半ば強引に火宮への挨拶を取り付けた僕を称賛し、姫蔵分家でありながら紫音様に不躾な視線を向けた護衛三人に激怒して。


 ……そして。

 門前と大広間の二度にわたり、その圧倒的なまでの威厳でもって僕に、姫蔵に示してくださった。

 天象・火宮総本山3500年を受け継ぎ背負うその雄姿。火宮168代目、紫音様という方の真なる姿。それを話し伝えた時には、家族の誰もが神妙な面持ちさえ浮かべて。

 僕達姫蔵はそして、現代の火宮を知ったのだ。

 


『当代当主の紫音様も、やはり立派な御仁なのだな……火宮はどんなになっても使命を果たし続けている。いかなる裏切りに遭っても、それでもなお高潔さを保ち続けているのだ。ますます姫蔵の愚かさを恥じ入るしかない』

『姫蔵のこと、恨み骨髄に思っていてもおかしくはないものを。信じ難いほどの正義感、使命感だと讃えるほかないな……"天帝勅命"。あの忌まわしき初代姫蔵であっても、その部分にだけはとても手がつけられなかったと聞く』

『天象の地の安寧を保つため、3500年もの間ひたすらに戦い続ける滅私にして高潔なる一族。聞けば聞くほど、翻って姫蔵の腐敗ぶりに心底嫌気が差すわね。初代姫蔵から連なる私達も、分家の者どもも』

 

 

 父も、兄も、姉も。姫蔵の本家の誰もが火宮の凄絶なる使命感に打ちのめされていた。

 特に次期当主として、分家の連中からおかしな期待を寄せられている兄上、圭一様の落ち込みようと来たらなかった。


 なぜだか反父上の旗頭として神輿に担がれそうになっているのだから無理もない。

 兄上もれっきとした姫蔵本家の男、当然私と同じ教育は受けているのに、どうして火宮を見下す者どもを認められようものか。

 

 泳がせているに過ぎないのだ、兄も。

 いずれやらかすだろう分家の馬鹿達を炙り出すために。そして彼らの使い途もまた、昨日の話し合いの中で半ば決まったようなものだ。

 

 

『綾音よ。お前は引き続き紫音様と接触し、親交を深めていくよう努めるのだ。ついに再び結んだ両家の縁、断ち切ること罷りならん』

『そうですね。ああ、ですがおそらくはそのうち分家がいらぬことをしでかすでしょう。そこを逆手に取って────』

『──あら、ナイスアイデアですねお兄様。そうなれば綾音は間違いなく、火宮と姫蔵をつなぐ一本の橋、架け橋になれるわよ』

『僕が、架け橋……!!』

 

 

 鼓動が高鳴る。紫音様にお近づきになることで、僕は姫蔵と火宮を再度つなぐ一筋の糸になれるかもしれないんだ。

 それはすなわち、姫蔵本家の隠されし悲願……かつて火宮から簒奪してしまったあらゆるものを正しくお返しするための、まさしく第一歩に他ならない。

 

 そして。それも大事だけど個人的にはこっちも大切なことだ。

 僕自身の願い。紫音様にお仕えして、いつかはお傍に寄り添える自分になること。

 元からあった火宮当主への朧気な憧れは今や完全に具体的な夢として目標付けられた。昨日の紫音様の御姿に、僕の心と脳髄はすっかり焼かれたのだ。

 

「紫音さん! えへへ、今日のお昼、一緒に御飯食べようよ!」

「いや、いや待て綾音さんよ。いくらなんでもそりゃいきなり急すぎるだろ、男女七歳にして同衾せずって知らんのかい」

「そこまでは言ってないでしょー。いつも一人でパン齧ってるとこ、見てたんだけど……実はその頃からずっと、ご一緒したいと思ってたんだ。駄目かなあ」

「……いや、まあ。したけりゃそれは、好きにしてもいいけども。うん」

 

 慌てふためきつつも、戸惑いながらも、それでも断らないその優しさにまた一つ、僕の胸は焦がれる。

 きっとこの方はいつもそうなんだ。本当に真心を込めた言葉には、必ず応じてくださる優しい方。真に人を率いる力を持った、生まれながらの統率者なんだよ。

 

 あと数日で、姫蔵本家も動き出す。そうなればついに、火宮様へすべてをお返ししていけるんだ、僕らは。

 僕個人も紫音さんの傍にいられて、それも含めて嬉しくてならない。生まれて初めてに近い幸福を噛み締めて、僕は満面の笑みを浮かべるのだった。

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