第8話 脳が、破壊されそうだ(貞時視点)

「さて……それじゃあ何よりもまず、姫蔵綾音殿の訪問をまずは歓迎するとしようか。門前でも述べたがな、何。こういう慶事はしつこく祝うくらいでちょうど良いからな」

 

 そう言っていけ好かない没落貴族はどっかりと上座に座った。忌々しいがこの場にいる誰をも従える、とてつもない風格と威厳を放ってだ。

 姫蔵家の姫君、綾音様を護り従うこの小金井貞時でさえも認めざるを得ない。3500年の歴史を誇る火宮家、その当主というのは一筋縄ではいかないらしい。

 

 ……もとより気に食わなかった。我が誇り高き小金井家の本家にあたる姫蔵家が、その勢力を伸長させた一世紀の中で反比例して衰退していった田舎貴族、火宮。

 黴の生えた古臭い家格だけの家かと思いきや、世界を治める天帝陛下から勅命を賜り、今なおその使命に殉じているという。


 数多の"天"を治める天帝陛下の勅命、すなわち"天帝勅命"は至高にして至尊の誉れだ。陛下がこの世を手にされておよそ3500年間にあって、かの勅命を受けし家は数えるほどしかないと聞く。

 火宮はその、数少ない家の一つなのだ。ゆえにその権威権勢を奪い去った姫蔵は、貴族間はともかく市井の中ではすこぶる悪い。また現当主様もそうした悪評を当然の報いなどと仰り、まるで咎人のごとく振る舞う始末だ。

 

 ふざけるな! なぜに力ある姫蔵が、斯様にも好き勝手言われねばならない!?

 この世は金と力の奪い合いだ! 誰もが争う権力闘争に、姫蔵は勝ち火宮は負けた、ただそれだけのことではないか!!


 ……そう主張する者は私含め姫蔵分家に多くいるが、それでも当主様は一切耳を貸してくださらない。

 次期当主、綾音様の兄君は理解を示してくださっているが、代替わりまでは今しばらくの時が要るだろう。

 つまりはそれまでの間、誇り高き姫蔵とそこに派する我々はみな、謂れなき誹謗中傷に黙って耐えねばならぬのだ。

 

 すべて。

 すべて目の前の、この男のせいだと火宮当主を見る。

 今も偉そうにふんぞり返って、あまつさえ我が最愛の姫君、綾音様を翻弄する薄汚い終わった家のエセ当主を。

 

「姫蔵の姫さん、改めてだが悪いなわざわざ挨拶に来てもらって。いやはや入学時に挨拶すべきだったのは俺も同じ。不躾をここに詫びる。すまなかったな」

「いえ! こちらこそ申しわけありませんでした、紫音様! 大恩ばかりか負い目さえある私ども姫蔵こそ、火宮様には伏してお詫びせねばならないと──」

「大恩に負い目って、おいおい大袈裟な姫さんだな。昼間にちょっとアホども締めただけじゃないかよ。それより言葉遣いまた変になってるぜ、ほらほら」

「そっ……そんなこと言われても、僕はっ……僕達はっ」

「…………くっ」

 

 ぎしりと、静かに歯を噛みしめる。隣の護衛二人、中小路時久と静兼輝も同様だ。

 愛らしく美しい、この世の至宝とも言える姫蔵の姫君が、このような男にまるで端女のように顔を赤らめ瞳潤ませ頭を下げているなど、気が狂いそうになる。

 

 先ほどもそうだ。我々を見るその顔の、冷え切った闇の奥底のごとき表情と目を思い返す。

 我々は至極当然のことを言っているだけなのに。火宮ごとき没落した下賤の民に、今や天象の地を手中に収めたも同然の姫蔵が頭を下げるなどあってはならないのに。


 だのに綾音様は頭を下げるのだ。

 あまつさえ忠言を成した我々を、この地から追い出すなどと無体なことを仰られる……!!

 

「ま、姫さんが火宮なんぞにも礼儀を尽くしてくれているのはよく分かった。天象一の名家はさすがだな、恐縮しきりで困っちまう」

「な、なんぞなんかじゃないよ! 火宮の凄さ、偉大さは我々姫蔵が誰より知ってるよ、当主様だって! だ、だからこそ僕ら姫蔵は……」

「姫蔵の未来はなんとも明るうございますなあ……美しく聡明で健気で優しい、まあなんで男装してらっしゃるかは分かりませんがそんな姫君が次代におられるのですから。若様も見習うべきですぞ?」

「お前らな。俺がこんなしおらしい態度しとったら一笑に付して屁ぇこいて終いだろ。姫蔵はいろいろ大変だからこうでなきゃならんが、火宮は俺くらいで良いんだよ」

「くくくくっ! ようく家臣を理解しておられる当主様じゃて、くかかかっ!!」


 野卑極まりないやり取り。下劣で下品な当主と臣下どもが、我らの姫君を出汁に下らぬ話に明け暮れている。

 許せない。赦せない。このようなクズどもは本来ならば、綾音様はおろか我々にも地に頭を擦り付けて平伏すのが道理であろう。

 それを、なぜ、なぜ──!


「……ふふっ。とても、素敵な絆で結ばれているんだね、火宮の皆様方は」

「素敵かどうかは知らんが、まあ絆くらいのもんはあるかね、一応。オタクんところにゃ敵わんが」

「そんなことないよ。本当に……とても、素敵です」

 

 なぜ、こんなにも、姫君が喜ばれているのだっ!!

 こんなに楽しそうに、愛しげですらある綾音様は見たことがないっ!!

 

 怒りと憎しみ、それと裏腹な敗北感と劣等感が胸中に広がる。姫君を取られたような苦しみに、頭が壊れてしまいそうになる。

 まるで拷問のようなこの時間を、私は、私達はただ、ただ。 涙を堪えて俯いて耐え抜いていた────

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