第4話 あなたにすべてを捧げます(綾音視点)

 門前に立ち、覇気を纏い堂々と振る舞うその姿を、きっと一生、死んでも忘れはしないだろう。

 ──僕、姫蔵綾音は彼、火宮紫音の威風堂々たる姿を見て、心の底から、脳髄の奥まで、頭の天辺から足の爪先まで業火で焼かれるような思いでいた。

 

 この天象という地を永らく治めてきた火宮に代わり、姫蔵が台頭してきて一世紀。

 ぽっと出の成り上がりに過ぎない姫蔵を、他の貴種氏族はあからさまに侮り見下してきた。そのなかでたった一家、他のどんな家よりも格の高い火宮家の御方々だけは親身になってくださり、友誼を交わし、そして支援してくださったのだと記録には伝わる。

 

 その甲斐あって姫蔵は大躍進を果たし、天象において最も力のある名家へと成り上がっていた……火宮の権勢をも喰らい我がものとしつつだ。

 姫蔵が成長すればするほどに反比例して火宮の権勢は急激に削がれていき、現在では今でも地元の名士とは言えようものの、全盛期に比べれば塵芥に等しいほどの勢力となってしまった。


 はっきり言って最低な、貴族以前に人として最悪の裏切り行為だと思う。苦しい時に手を差し伸べてくれた火宮という恩人を、僕達姫蔵の祖は笑顔で裏切りすべてを奪い去ったのだから。

 まさしく天魔外道。畜生にも劣る薄汚い血族としか言いようがない。僕の父、現3代目当主様も常々仰られている。

 

 

『野の獣とて助けられたからには恩を返す。それを思えば姫蔵など、どれだけ財を成し名を高めようと畜生以下の咎人の血族よ』

『恥ずかしい……まこと恥ずかしい血なり! 火宮の衰退、それを仕組んだ浅ましき我が姫蔵! 叶うならば今すぐにでもこの権威権勢すべてを火宮当主様にお返ししたいがそれも叶わぬ、姫蔵は味方を作りすぎてしまった……!!』



 名家の当主でありながらも、かくも己の血筋を痛罵する姿に、幼い頃は理解できずに不安と恐怖で涙が滲んだのをよく覚えている。

 けれどそれも成長するにつれ、すぐに理解と納得に変わっていった。父が姫蔵を嫌悪するのも当然だ。裏切り者の血がこの身にも流れているかと思うと、とても姫蔵の令嬢などと持て囃されていい気になれるわけがなかった。


 そんな想いを抱く中。天象学園に入り、僕はついにその方を知った。

 火宮紫音様。僕達姫蔵が裏切ってしまった、火宮家のご嫡男様。数年前には先代に代わって、今代の火宮総本家の当主として尊き血族を率いられている御方。


 長身に、服の上からでも分かる鍛えた身体。灰色の髪に右目の傷が大きく目立つ、その姿。

 何よりも威風堂々たる風格たるや! ……普段は呆けたように過ごされているから周囲の者から侮られているけど僕にはひと目見て分かった。紫音様のお力、そのすごさが。


 本来ならば御方を知ってすぐにでもご挨拶に伺い、これまでに姫蔵が火宮にしてしまったおぞましき所業の数々を、たとえ謝りきれなくとも謝らなければいけないはずだった。

 でも、できなかった。紫音様を見ると、あまりに姫蔵のしてしまったことが愚かに過ぎたと思えてしまい、恥ずかしさと情けなさから合わせる顔もなく、ろくに口さえ聞けなくなるのだ。


 結局、そんなふうにして謝ることさえできない卑怯で卑劣な僕は、そのまま1年以上を御方のお傍にいながらも言葉一つかけられないでいた。

 それが今になって。まったくの偶然ながらついに、直接お話する機会を頂戴したのだ。

 

 今日の昼のことを思い返すだに、僕の心は潤んで溶けて、そして燃え上がる。颯爽と現れて体格の良い男達を次々、倒していくその雄姿。

 素っ気なくも僕を気遣ってくれたところまで含めて、まさしくそれは僕の憧れた火宮そのものだった。強くて、優しくて、そしてどんな人にでも手を差し伸べてくれて。


 

 ────そしてそんな人達を、僕達は裏切って貶めたんだ。

 

 

「姫蔵家の御令嬢、綾音殿におかれてはよくぞ参られた。此処こそ火宮本家屋敷。3500年の永きに亘り"天帝勅命"を果たし続け、この天象の地を護り束ねた旧き血族──天象・火宮総本山である」

「…………!!」

「そして我こそが168代目、最も新しき火宮の当主。その名も火宮紫音と申す。なにとぞよろしくお願い申し上げる」

 

 門前にて告げる、火宮くん……否。

 天象・火宮総本山の頂点なりし火宮家当主、紫音様が名乗りを挙げられた。壮絶なまでに立派な、誰もが見惚れてしまうほどに震え立つ所作。


 後ろの馬鹿達も思わず竦み上がっている。ざまぁみろ、だ。

 胸がすくような感覚を、立場的に持つべきではないそれをどうしても抱きつつ僕は、紫音様を見た。

 

 ああ。この方にきっと、僕は、今後の人生すべてを捧げるんだ。理屈でなく本能でそう確信する。

 罪償いの気持ちがないとは言わない。むしろやはり僕が姫蔵である以上、その気持ちは絶対に切り離せないし切り離してはいけないものだ。


 けれどそれと同じかもっと大きい部分。僕の心の大切なところが叫んでいるんだ。

 紫音様とお近づきになりたい! 願わくば縁を結び、愛し愛されたい!! ……その果てに、姫蔵のすべてを火宮に献上したい!! って。


 我ながらどうかしてるかもだけど、こう思っちゃったんだから仕方ないよね、うん。

 だから、僕もまた紫音様に礼をもって返した。深く腰を曲げ、最敬礼の姿勢を取って、心からの愛と好意と罪悪感をもって返事をする。

 

 僕の、姫蔵綾音の人生はもしかしたら今、ここから始まったのかもしれない。

 そう思えるほどの恋情に、脳髄を焼き爛れさせながら。

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