第13話 覚悟

「……落ち着いた?」


「うん……。ゴメンね。なんか取り乱しちゃって……」


 泣き出してしまった檸檬を落ち着かせるため、緑丘公園のベンチに座り、陽路がホットミルクティーを手渡した。


「いや、でも、誠も幸せだな。柏木さんにそこまで想われて……」


 ボソッと陽路の口から本音が零れた。


「え?」


「……あ、いや。なんでもない」


(余計なこと言った……)


 陽路は、心のどこかで、誠之助にやきもちを焼いた。陽路の中で焦りが出て来ていたのだ。それは、今日、誠之助につかまれた檸檬の腕を、檸檬が何も言わなかった時から続いていた焦りだった。

 陽路も、そこまで鈍感ではない。もしかして……いや、多分、檸檬は自分に好意を持っている、とは思っていた。しかし、だんだんだんだん、誠之助が檸檬の心に入り込んでいっているような気がしてならなかった。

 誠之助への負い目から、もうこれ以上檸檬に付け入るような真似も出来ない。陽路にとって、八方ふさがりだった。


「……あ、の……さ、朱音、何か言った?」


 何を話していいかわからず、陽路は、取り繕うように、絞り出したのがその言葉だった。


「え……朱音さん? あ、ゴメン! 私、余計なこと言っちゃって……! 一目惚れと物欲は違う……とか……。本当にごめんなさい!!」


「……一目惚れと物欲?」


「あ……や、なんて……言うか……そんな、気が……して……」


 檸檬は、慌てて口を滑らせてしまった。


「「…………」」


 何とも言えない雰囲気が2人を包む。

 その時だった。季節に合わない、声が公園に響いた。


「何? そこの2人、なにいちゃついてんの? クソ舐めてる?」


「ハッ! 冬の夜の公園でデートとかマジでうざいわ!」


 3人の男が、いちゃもんを付けて来たのだ。


「……すみません。すぐ帰るので……」


 陽路は、檸檬の手をつかむと、ベンチから腰を上げようとした。が――……、


 ドスッ! ガタンッ!!


「!」


「きゃあ! ひ! 陽路君!!」


 陽路の腹を、思いっ切り男が蹴り飛ばした。陽路とベンチは大袈裟に後ろに吹き飛んだ。


「何カッコつけてんの? そんな簡単に逃げられると思ってんの? おにーちゃん」


「か……柏木さん……俺はいいから……」


「そんなっ」


 グイッ!


「ひゃっ!」


「はーい! 言ってるでしょ? そんな簡単にカッコつけさせないよ」


 もう1人の男が、檸檬の腕をつかみ、投げ飛ばした。

 そこで、陽路のスイッチが入ってしまった。


「……!」


 バキッ!


「ぐあっ!」


 陽路は、応戦し始めたのだ。


「てめっ!」


 先ほど陽路を蹴り飛ばした男が、再び陽路に襲い掛かる。しかし、そのパンチは、空を切った。陽路の右頬をかすめると、その隙に、人の右こぶしが、男のみぞおちにヒットした。


「ぐへっ!」


 かなりの手ごたえがあった。陽路は、もともとガタイがいいし、持ち前の運動神経で、檸檬を守るので必死になり、我を失って3人の男を相手にぼこぼこにしてしまった。そこに、普通なら、運がよかったと思うのだろうが、この時は、予想だにしない未来の展開が待っていることなど知る由もない檸檬たちの前に、警察官が通りかかった。


「おい! そこの君たち! 何してる!」


「「「!!!」」」


 男たちは、自分たちの方が傷を負っているとを瞬間的に察知し、身を翻し、被害者を装った。


「こいつにやられました!」


「な!」


 檸檬は、思わず言い返そうとした。しかし、ギロっと男たちに睨まれ、躊躇してしまった。


「君、そこの交番までちょっといいかな?」


「行くぞ!」


 ズイッと陽路に警察官が詰め寄るのを確認すると、男たちは一瞬の隙をついて逃げ出した。


「あ、こら! 待ちなさい!」


 警察官が止めようとしたが、足だけは速いらしかった。

 その後、檸檬と陽路は、交番に連れて行かれ、事情を聴かれた。そして、それがまた波乱を生むことになる――……。










 ―次の日―


「なんでですか!?」


「……」


 檸檬と陽路は、冬休みにもかかわらず、学校に呼び出されていた。


「なんでと言ってもな……。お前たちの話を聞かない訳じゃないが、何せ暴力沙汰だ。何もお咎めなし……と言う訳にはいかんのだ……」


 そう言ったのは、生活指導の先生だった。


「でも! 本当に私たちは被害者で! 籐堂君は私を守ろうとしてくれただけなんです!」


「だが、相手を一方的に殴ってしまったのは事実だろう? 残念だが、籐堂には退してもらう。いいな。籐堂」


「……はい」


「待ってください! 先生! 籐堂君は本当に……!」


「いいよ、柏木さん。ありがとう」


「……!」


 無理に作られた笑顔に、檸檬は胸が締め付けられた。自分のせいで、陽路からバスケを奪ってしまった、それが、檸檬には耐えられなかった。





「ごめんなさい! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


「柏木さん、そんなに謝らないでいいから。俺、本当にそんなにショックじゃないから。元々、中学の延長でやってただけだし、別にプロ目指そうとか思ったこと1度もないし。バイトだって兼任でやってたから、本当は辞めようかどうしようか本気で迷ってたんだ。だから、気にしないで」


「でも……」


 檸檬は泣きじゃくるばかりで、陽路の方が逆に冷静だ。だが、陽路は、ある意味、どうしようもない想いに潰されそうになっていた。


 これで、完全に、。今、檸檬に告白したら、檸檬はその負い目から、告白を受け入れるだろう……と、陽路は思ったのだ。そんな形で檸檬と付き合えても、嬉しくもなんともないし、そんなことで檸檬を縛りたくはなかった。

 バスケを続けられなくなったことは、本当にどうでもよかった。しかし、これでもう、八方ふさがりだった恋は、完全に行き詰った。そのことだけが、陽路に絶望をもたらした。


「陽路君……ごめんなさい! 私、どうしたら……」


 こんな時、どんなプライドも躊躇いも捨てて、『俺をすきになって』と言えたら、どんなにいいか……と、陽路は思った。だが、それはどうしても出来なかった。


「柏木さん、本当に大丈夫だから。そんなに言うなら、今まで通り、バイトで楽しく働こう。それで十分だから」


 陽路の優しさが、本当に辛い檸檬。だが、その優しさが、自分を、好意を持ってくれているうえでのことだとは、1ミリも気付いていない檸檬だった。
















「はぁあ!? 部活退部させられた!?」


「……だから何?」


「なんで!?」


「色々あって」


「何! 檸檬ちゃんがらみ!?」


「……そう言う言い方するな。柏木さんは何も悪くない」


「……そりゃそうだろうけど……。なんでまた……」


 次の日、檸檬はバイトが休みで、陽路は誠之助と顔を合わせた。その時、誠之助にすべてを話した。


「……なんで檸檬ちゃんに気持ち言わなかったんだよ」


「そんなことしても意味ないだろ」


「なんで」


「そんなの柏木さんに気を遣わせるだけで、俺の存在意義なんてないも同然だろ」


「……。お前、馬鹿なの?」


「!」


「何カッコつけてんだよ。言い訳も何も出来ないほど檸檬ちゃんのこと引き止めたいと思うくらいすきじゃないのかよ。そんな中途半端な気持ちで檸檬ちゃんのこと想ってたんだとしたら、俺はお前をライバルとしてなんて認めないからな! どんなに自分が悪者になっても、どんなに負い目感じても、振り向かせたいって思うくらいすきじゃないなら、さっさと諦めろ! 馬鹿陽路!」


 バンッ!


 誠之助は、そう言うと、勢いよく控室の扉を閉め、出て行ってしまった。


「……」


 陽路は正直、驚いていた。誠之助が言ったことはもっともで、自分の格好ばかり、自分の体裁ばかり、自分の保身ばかり気にしていた自分に、誠之助が気付かせてくれたのだ。敵に塩を送るほどの行為だ。


「……やっべ……つい熱くなった……。すっげーよけーなこと言った……。チャンスだったのによぉ……」


 誠之助は、閉めた扉の向こうで、言った先から自分の言葉を後悔した。なんでここで陽路にあんなことを言ってしまったのか、せっかくのチャンスだったのに……。せっかく、陽路が足踏みして、自分が一歩リードできるところだったのに……。だが、それは、いつもいつも、陽路が自分に対して真っ直ぐで、恋敵として、自分を認めてくれていたからこそ、出てしまった言葉だった。









「陽路君……ごめんなさい……。私、どうすればいいんだろう……。もう、合わせる顔無いよ……」


 檸檬は、26時、眠れぬ夜を過ごしていた。明日は陽路とバイトで顔を合わせる。陽路を退部に追いやった自分を、陽路は本当に許してくれたのだろうか? 陽路がすき。すきだから、どうしようもなく苦しい。陽路はもう自分とは口もきいてくれないかも知れない……、そんな不安が、胸を、心を、頭を過る。


「陽路君……」


 呟く言葉は、そればかりだった。その日の夜、満点の空の下、檸檬は一睡もすることが出来なかった。

 檸檬は、今、もしも、陽路がこの空を見上げていたら、この想いが届くんじゃないか……、許してもらえるんじゃないか……、そんな想いだけで、いっぱいだった。












『どんなに自分が悪者になっても、どんなに負い目を感じても、振り向かせたいと思うくらいすきじゃないなら、さっさと諦めろ!』


「……どんなに悪者になっても……か……。俺は、誠くらい躍起になって柏木さんに想いをぶつけたことがあったかな。誠に負い目感じて、自分に負い目感じて、格好つけてんのは何のためだ……。何やってんだ……俺……」


 もやもやした気持ちでいっぱいの陽路。しかし、誠之助の言葉で、何か吹っ切れたような気もした。どこまでも格好つけていた自分に気が付いたのだ。誠之助がとことん直球で、遠慮なしで、檸檬に対しては純粋で……。本当の所、そんな誠之助が羨ましかったのだ。陽路はどこか、クールと言われることに慣れ、それが自分だと思い込み、造ってしまっていたことにも、ようやく、気が付くことが出来た。


「そうだよな……。何も迷うことなんてない。俺は柏木さんがすきだ。柏木さんに拒まれても、それはそれ。もし、強引にでも振り向かせることが出来るなら……手段なんて選んでる場合じゃないんだ……!」


 ガラッ!


 陽路は窓を開けると、そっと空を見上げた。そして、ふっと思ったのだ。


 今、檸檬もこの空を見上げていたら、きっと、通じる。きっと、通じ合う――……と。







「俺はもう躊躇わない……」

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