第12話 負い目

「……朱音さん、振ったんだって?」


 控室で、バイトに現れた陽路に、先に来ていた誠之助がいきなり言う。


「誠にはもう伝わってると思ってたよ。朱音と何か共闘したんじゃないの?」


 陽路は、負けじとキリッと言い返す。


「応援し合おうとは言ったけど、他はなんも。正々堂々、これが檸檬ちゃんのモットーだからね」


「そう。なら、お前をライバルだって認めてやってもいいよ」


「へぇ……かなり自信あるじゃん。まだ、檸檬ちゃんが俺をすきにならないとは限らないと思うけど」


「解ってるよ。だから、精一杯向き合うって言ってるんだ」


「そらどーも」


 バチバチと視線をぶつけ合う2人。そこに、ひょっこりオーナーが顔を出した。


「へー……、うちの看板2人が2人して柏木さんをねー……。なんかいいねー、2人とも若いねー」


「「若いですよ。16ですから」」


「!! ふはは。どっちが選ばれるにしても、大事な店員さんなんだから、柏木さん幸せにしてあげてよ?」


「「勿論です」」











「くしゅっ!」


 檸檬が、家でくしゃみをした。


「風邪かな? それとも誰か噂してるとか? 陽路君だったりして! ……んなわけないか……あはは!」


 一人ノリ突っ込みをしながら、檸檬は陽路を想った。この2日間、陽路に会えていない。毎日学校で会っていて、しかも、ここの所嬉しいことにバイトのシフトがかぶっていたので、陽路に会えない日がほとんどなかった。だから、今更だが、贅沢病……とでも言うのか、たった2日陽路に会えないだけで、酷く寂しい気持ちだった。

 こんな気持ちも、恋をするまで知らなかった。『毎日会えないと寂しい』とか、『その人を想うだけで涙が出る』とか、『話が出来ただけでその日のパワーが湧いてくる』とか、そんな想いで檸檬の心は溢れていた。そして、『切ない』『苦しい』『辛い』『痛い』、そんな想いが、今までそんなに着たことの無かった服がタンスで暴れているように、胸で暴れていた。
















 ―月曜日―


「檸檬、おはよう!」


「あ、慶ちゃん! おはよう!」


「あさってから、やっと冬休みだね~! でも、檸檬はそんなに寂しくはないか。陽路君とバイト先一緒だし」


「うん……。でも、ちょっと色々あってさ。私、余計なこと言っちゃったかも……」


「? 何のこと?」


「うんとね、実は……」








「「「へー……。陽路君の初恋の相手かぁ。そんなに美人だったんだ。その朱音さんて人」」」


「うん。美人で、明るくて、お洒落で、大人だったなぁ」


「でも、言い返した檸檬、格好良いと思うよ!」


 奈智が褒め称えるように言う。


「そうだよ。檸檬は正しいと思う!」


「そうだね。檸檬は、一目惚れで語らせたら、右に出る人はいないから」


「そんなこともないけど……。でも、ホント、言い過ぎじゃなかったかな? 陽路君の耳に入ってたら、なんか、朱音さんの印象悪くしちゃうかも……」


「えー! そこぉ!? なんで自分の心配しないかな?」


「ま、そこが檸檬らしいけど。正々堂々って言うの? それが檸檬のモットーじゃん?」


「う、うん。そうなんだけど。だからこそ、朱音さんのこと、陽路君に言うべきかな? って」


「そうだねー……。檸檬がしたいようにすればいいよ。檸檬は悪くないから」


「……ありがとう。慶ちゃん、ののちゃん、なっちん」








「檸檬ちゃーん!」


「「「「!!??」」」」


「誠之助君……」


「おはよー! 2日間檸檬ちゃんに会えなくて、寂しかったよー!」


「……あはは……」


(その言葉……陽路君に言われたら、嬉しいなぁ……。あ! 誠之助君に失礼か……。ダメダメ!)


 檸檬は、自分をすきだと言ってくれている誠之助にも、色々考えを巡らせていた。檸檬は陽路がすき。でも、自分をすきになってくれる可能性は無いに等しい。それに引き換え、誠之助は、自分に対して、明らかに好意を示してくれていて、自分のためにアドレスを全部消してくれるほどだ。この人と付き合えば、もしかしたら、楽かも知れない。いや、かも知れない。だけど――……。


「檸檬ちゃん、ちょっと、聞きたいんだけど……」


 いきなり、声のボリュームを落とし、誠之助が檸檬の元に近づいた。


「ん? なぁに?」


「朱音さんと、何か話した?」


「え……! え……と……、その……」


「やっぱり、朱音さん、檸檬ちゃんの所に行ったんだね……。じゃあ、檸檬ちゃんは……いででで!!!」


 誠之助の耳を誰かが思いっきり引っ張った。


「あ! 陽路君!」


「誠がまたうるさくしてごめんね、柏木さん」


「あにすんだよ! 俺は只……!」


「朱音のことを柏木さんに根掘り葉掘り聞いてどうするの? 朱音は関係ないだろ」


(お前だって本当は気になってるくせに……。なんで朱音さんが急に態度変えたのかって……)


「じゃ、また、バイトでね」


「う、うん!」


 その陽路の笑顔で、檸檬の、『誠之助と付き合ったら、楽しいかもしれない』なんて想いは、簡単に打ち消されてしまうのだった。






「お前は気にならないのかよ。檸檬ちゃんと朱音さんの間に何があったのかって」


「……聞いたら何か変わるの?」


「……いつもいつもクール気取ってるけど、そんなんじゃいつか後悔するぜ?」


「……」


「図星かよ。本当は聞きたくて仕方ないってか? 俺は、檸檬ちゃんを振り向かせるためなら、そんな足踏みしない。勝手に後悔してろよ」


「……俺にそこまで手の内見せていいの? 俺だって、柏木さんを振り向かせるのに必要なら、幾らでも聞くよ。別に気になってないなんて言ってないだろ?」


「……そーかよ……。じゃあ、俺もこれからは親切はしないぜ?」


「勝手にしろよ」


 檸檬の知らないところで、バチバチ対抗心をぶつけ合う二人だった。






 キーンコーンカーンコーン♪


「お腹空いたー! 購買にお昼買いに行こー!」


「「「うん」」」


 檸檬たちは、購買に向かった。檸檬は、教室から出ると、すぐ、陽路を探してしまう癖がついていた。今この瞬間も、無意識にそうしていた。すると――……、檸檬の瞳に、入って来たのは、陽路ではなく、誠之助だった。


「あれ?」


「「「ん? どうしたの? 檸檬」」」


「なんか、誠之助君、様子おかしくない?」


「「「……そう?」」」


 誠之助の変化に気付いたのは、檸檬だけだった。


「ちょっと行ってくる」


「「「檸檬!?」」」


 生徒達の波にもまれ、身動きに制限のかかる慶子、ののか、奈智を残し、檸檬は誠之助の方へ向かった。


「誠之助君!」


「……あ、檸檬ちゃん……。今日、バイト一緒だねー。帰り、俺送ってくからー……」


「それどころじゃないよ!」


「??」


「もしかして、具合悪い!?」


「え……。別に……」


 そっ……。檸檬は、戸惑う誠之助のおでこに手を当てた。


「やっぱり! 熱あるじゃん!」


「え……、そうかな?」


「保健室行こう!」


 檸檬は、誠之助の手を引くと、一目散に保健室に向かった。


「ヒィ! 38.8℃!? なんでこんなになるまでほっといたの!?」


 檸檬は、顔を青くした。


「いやー……。俺、風邪ひかないからねー……。気付かなかったよー……」


 明らかに、朝とは様子が違う。兎に角、誠之助をベッドに促すと、檸檬は陽路を呼びに行こうとした。が――……。


「今、陽路君たち呼んでくるね!」


「ま! って……」


「え……」


 そっと、でも、どこにそんな力が残っていたのか、と思うほど強く誠之助は檸檬の腕をつかんだ。


「行かないで……。今は、檸檬ちゃんだけに側にいて欲しい……」


「誠之助君……。でも……」


「お願い……だから……」


 熱にうなされているのが解る。その意味が、陽路にこんな姿を見られたくないからなのか、檸檬を独り占めしたいからなのか、檸檬には解らなかったが、それでも、真剣な誠之助の表情かおに、檸檬は、誠之助の腕を振り解くことは出来ず、そのまま、ベッドに吸い込まれるように眠りについた誠之助の側で、突っ立ったまま、檸檬は動けなかった。

 誠之助に掴まれた腕が、誠之助の熱のせいで、すごく、すごく、熱かった――……。







「…………ん…………、ん? れ、檸檬ちゃん?」


「あ、誠之助君……。目、覚めた?」


「え……。俺、どうしたんだっけ?」


「熱出して、そのまま保健室のベッドで寝ちゃったんだよ。今、6時間目だよ」


「え? でも、なんで檸檬ちゃんまで?」


じゃあ、動けないよ……」


「? !!」


 誠之助は、眠っている間も、檸檬の腕を離さなかったのだ。檸檬は、保健室の先生になんとかうまいこと事情を説明し、檸檬が付き添うことを承諾してもらった。


「ゴ、ゴメン! 俺、全然記憶なくて……!」


 誠之助は、思わず本気で謝った。


「いいよ。具合悪い時、誰か側にいて欲しいと思うのは普通だし」


「……。檸檬ちゃん……俺、どうすればいい?」


「え?」


「俺、こうでもならないと、檸檬ちゃんは俺の側にいてくれないでしょ? 俺は、

 どうすれば檸檬ちゃんの隣にずーっといられるの? 陽路を、どうすれば超えられるの? どうすればこの手を離しても離れないでいてくれるの?」


「……誠之助く……」


 誠之助は、左腕で顔を覆いながら、熱で朦朧としながら、必死で訴えた。


「俺はもうアイツに負けるのは嫌だ……。あんなにすきだった人を……失うのはもう……嫌だ……」


 誠之助は、熱にうなされながら、麗と檸檬がごちゃまぜになっていた。そして、解っているのは、過去も現在いまも陽路に負けているということ……。


「誠之助君?」


「……スー……」


 誠之助は、檸檬の腕をつかんだまま、また、眠りについてしまった。その時、前に聞いた、誠之助の中学の時の話を思い出した。もしかして、その時のことだろうか? そして、そうだとしたら、誠之助が裏切られたと言う親友とは――……もしかして……。

 檸檬の心の中で、誠之助が悲鳴をあげていた。
















「柏木さん」


「あ、陽路君」


「誠、起きた?」


 授業が終わり、ずっと眠ったままの誠之助を、陽路が迎えに来た。


「!」


「…………」


 陽路の顔が、少し驚いたように見えた。が、誠之助に掴まれたままの腕を、どうすることも出来ず、檸檬は言い訳するのは誠之助に酷いと思ったし、陽路は気にしてもいないだろうから、説明することもしなかった。


「……誠、誠? 起きられるか?」


「……ん……あ……」


「起きたか」


「あ、誠之助君、大丈夫?」


「あ、檸檬ちゃん……と陽路……」


「誠之助君起きれそう?」


「あ、うん。あれ、ゴメン! 俺、また眠っちゃった!? ゴメン!」


 誠之助が、慌てて、ようやく手を離した。


「大丈夫だよ。もう平気?」


 檸檬は、陽路の前でなんとか笑顔を作った。誠之助が、本気で謝っていたからだ。


「う、うん。熱、下がったっぽい」


「でも、今日はさすがにバイト休んだ方がいいね。オーナーには私から言っとくよ。だから、ゆっくり休んで」


「ありがとう、檸檬ちゃん」


「誠、立てるか?」


 手を出した陽路に、誠之助は『うえっ』と舌を出した。


「ヤローに手ぇつかまれってか?」


「……じゃあ、一人で立て」


「言われなくても……!」


「はい。つかまって。急に立って倒れたりしたら大変だよ」


「。」


 陽路の見ている前で、檸檬は誠之助に手を差し伸べた。


「ありがとう! 檸檬ちゃん!」


 スタッ! と誠之助は、檸檬の手を借り、ベッドから立ち上がった。しかし、すぐ、浮かない顔の檸檬に、誠之助は気が付いた。


「……陽路、今日はちゃんと檸檬ちゃん送って行けよ?」


「お前に言われなくても送ってくよ」


(誠之助君……)


 自分をフォローしてくれたのだと、檸檬は察した。そして、病気の時でも、結局檸檬の気持ちを優先する誠之助に、また一つ、誠意を感じる檸檬だった。










 ―バイト後―


「陽路君、私一人で平気だから。大丈夫だよ」


「いや、今日は送って行くよ」


「でも……」


「誠にも言われたし」


「……あ……の……。前にね、誠之助君に聞いたことがあって……。中学の時、大すきだった人と、親友が……その……」


 檸檬は、勇気を出して陽路に聞いた。


「……うん。それは、多分、俺のことだと思う。アイツにはどう映ったか解らないけど、俺は、何も言い訳出来ないよ。何をどう言っても、アイツには……」


「陽路く……」


 陽路の顔がどこか苦痛に歪んだ気がした。聞いてはいけないことを聞いたのだと、檸檬は思った。


「ごめんね」


「え……なんで柏木さんが謝るの? 俺こそゴメン。誠がそんなことまで柏木さんに話してると思わなかった。俺のこと、軽蔑するよね……」


「し! しないよ! 陽路君が悪いわけじゃないもん! きっと……きっと、その先輩が悪いんだよ。誠之助君に陽路君がどう映ったかは解らないけど、でも、きっと誠之助君も陽路君が悪いわけじゃないって解ってると思う。だから、気持ちの整理がつかないんだよ。それくらい、誠之助君にとって陽路君は大切な友達だったんだよ……っ! だから……っ! だから……っ!」


「……! なんで……柏木さんが泣くの……?」


「陽路君も、誠之助君も、悲しすぎる……。あんなの、ひどすぎるよ……!」


「柏木さん……」


 陽路の腕が、檸檬を抱きしめたい、と言っていた。陽路の足が、檸檬に近づきたい、と言っていた。陽路は、あと少しで、檸檬に告白すところだった――……。

 じゃあ何故、陽路は言わなかったのか、それは、誠之助へのだったに違いなかった。

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