第11話 一目惚れと物欲

「あ……朱音さんて綺麗な人だね」


 電車に揺られながら、檸檬が話のきっかけを探す。


「……そうかな」


「……あ、やっぱりお兄さんの彼女さん……彼女さんと話すのは気まずかった?」


「……気まずくはないよ。別に何とも思ってないし。今日は騒がしくしてごめんね。柏木さん」


「え、わ、私は全然いいんだけど! なんか、陽路君、様子がおかしかったから……」


「そう……かな? ゴメン。柏木さん、怖かった?」


「こ、怖くないよ! 唯、陽路君、大丈夫かな? って……」


「? 大丈夫って?」


「なんか、無理してるかな……って思って。元気ない感じしたから……」


 檸檬は、朱音と陽路の関係よりも、陽路が詩帆といた時のような感覚に囚われているようで、何となく心配になっていた。


(そうだった……。柏木さんは、誠と違って朱音にどうのこうの思う人じゃなかった……)


 陽路は、つい、冷静さを失っていたことに、やっと気がついた。


「……初恋の人だったんだ。でも、はしかみたいなものだよ。近くに少し大人な人がいて、子供だった俺は、ちょっと背伸びしたいような気持だったんだ。だけど、それ以上は何も思ってない」


「そ……か……。ゴメンね、なんかあんまり話したくないようなこと話させちゃって……」


「そんなことないよ。俺が勝手に話したんだから、気にしないで。本当に、俺はもう朱音のことはなんとも思ってないから」


「うん……」


『新荒田ー、新荒田ー』


「あ、じゃあ、私降りるね。また、来週学校でね!」


「送ろうか?」


「いいよ! いいよ! 私の家、近いの知ってるでしょ? だから、大丈夫。ありがとう!」


「うん……。また来週ね」


 そう言って微笑んだ陽路の悲し気な表情かおに、檸檬はなんだか嫌な予感がしたのだった。




















 ―数年前―


「朱音ー! これあげるー!」


「陽路! なーに?」


「はい!」


 陽路、8歳の頃だった。その日は、朱音の誕生日で、陽路は、何とか喜ばせようと、を用意した。


「ありがとー! !! きゃーーー!!! カエルーーーー!!! 気持ち悪いーーーー!!!!」


 朱音は、飛び上がって驚き、腰を抜かした。


「朱音? どうしたの? 嫌い?」


「ははは。陽路、このくらいの女の子は、虫が苦手な子が多いんだよ。別に陽路がくれたことが嫌だったわけじゃないから、大丈夫だ」


 謙一が、フォローする。


「もう……、びっくりしたぁ……。でも、ありがとうね、陽路」


「うん!」


「ねぇ、謙一、今度一緒に買い物行かない?」


「え? そんなの友達と行けばいいじゃん」


「何よー、その言い方! 私は謙一と行きたいのー!」


「はいはい。付き合いますよ」


「僕も行く!」


「陽路はいいの」


「なんで? 僕も行く!!」


「なんでって、私と謙一のデートなんだから、気を利かせるの」


「えー!!」


「誰と誰がデートだって? でも、陽路、買い物にはお金がかかるんだ。俺も朱音もそんなにお金ないからな。また、大きくなったら、自分で朱音をデートに誘え。ならいいだろ?」


「う~ん……うん!! 解った!! 僕、大きくなったら、朱音をデートに誘う!!」


「「あははは!!」」


 その時は、2人がなぜ笑っているのか解らなかった。只、その1年後、陽路にとってとてもショッキングなことが起こる。




 それは、陽路が9歳のある日の日曜日のことだった。その日も、朱音の誕生日だった。陽路は、1年間、お小遣いを貯め、朱音にカチューシャを買った。そして、それを渡そうと、朱音の家に向かった。そして、塀をくぐると……、


「ねぇ、謙一、私、今日どうしても欲しいものがあるの」


「なに?」


「……キスして」


「……どういう意味?」


「私と、付き合って。それが、今年の誕生日プレゼントでいいよ」


「仕方ないな」


 そう言うと、まるでドラマのワンシーンのように、2人はキスをした。

 その光景は、陽路にとって、とても悲しい光景だった。大好きな朱音が、尊敬する兄、謙一にプレゼントをねだり、そのプレゼントは、自分が1年かけて、貯めたお小遣いを超えるどころか、だ。

 そして、陽路は、ある衝動に駆られた。朱音が、もう、自分のモノにはならない――と思うと、思わず、朱音のくちびるを見つめていたのだ。




 <キスがしたい――……>

















 ―現在、土曜日、朝9時―


 ピンポーン♪


「はーい! あらー! 久しぶりねー! え? 陽路? 謙一じゃなくて? えぇ。いるけど」


 陽路の家は2階建ての一軒家だ。陽路は、2階の自分の部屋で音楽を聴きながら勉強をしていた。母親が、誰かに朝から玄関で対応していることに気付くことはない。


 コンコン! コンコン!


「……陽路? 陽路!」


「……、、なに? 母さん」


「お友達が来てるわよ。女の」


(!? 柏木さん!?)


 思わず高鳴った鼓動に、すぐ、陽路は、階段を駆けおりた。しかし、そこに居たのは――……。


「あ、朱音……」


「おはよ、陽路! ちょっと出かけない? そこの喫茶店に付き合ってよ!」


「……勉強してるから」


「だって、もう期末も終わって、後は冬休み待つだけでしょ? いいじゃない!」


「……用意してくる。ちょっと待ってて」


 言っても聞かないだろう、ということがその瞬間で解った陽路は、渋々了解した。







 カチャ。 コーヒーのカップを、白く長い手で、もっちりとしたリップに運ぶ。


「陽路、今檸檬ちゃんに恋してるんだって?」


「ごほっ!」


 陽路は、思わず咳き込んだ。


「へー。本当だったんだ。意外だなぁ。陽路の好みは私でしょ?」


「……相変わらず自信家だな。なんでそうなるの?」


「だって、陽路の初恋私でしょ? それは事実じゃん」


「あんなの、はしかでしょ」


「!」


 間も開けず、はしかすらつけず、一気に自分を突き放しにかかる陽路を、朱音は何とか止めたかった。


「でも、私とキスしたかったんでしょ!? 見てたの、知ってるし、小声で口に出してたのも聞いたんだから!」


「しなくてよかったよ。初めては柏木さんとしたいから」


「!!」


 朱音の顔色がみるみる変わる。眉を吊り上げ、可愛い顔が台無しになって怒鳴り始めた。


「なんでよ!! 私の方が陽路を知ってるじゃない! あんな子のどこがいいの!?」


「朱音こそ、柏木さんの何を知ってるの?」


 まったく臆することなく、陽路はそう言ってのけた。


「……っ!」


「じゃあ、俺もう戻るから」


 そう言うと、陽路はテーブルにアイスティーのお金を払うと、立ち去ってしまった。その場に残された朱音は、どうしようもない敗北感だけに囚われていた。その気持ちが収まり切れないでいた朱音は、そのまま陽路たちのバイト先へ、檸檬がいるかもわからないまま向かった。





 カラン! カラン! 勢いよく扉を開けると、朱音は檸檬の姿を探した。


「いらっしゃいませ! あ、朱音さん」


 檸檬がいた。檸檬は、陽路と朱音に何があったかなど知るはずもなく、笑顔で朱音を出迎えた。


「すみません。今日、陽路君お休みで……」


「……るわよ……」


「え?」


「知ってるわよ!」


「あ……す、すみません……」


 朱音は、何か怒っている。が、何に怒っているのか、檸檬には解らない。しかし、朱音も他の客の視線を集めていることに気付き、少し、冷静さを取り戻す。


「話があるの。バイト、何時に終わるの?」


「あ、今日は15時上がりです」


「そ。じゃあ、それまで待ってるから、終わったら時間もらってもいい?」


「は、はい……。解りました」


 その後、檸檬は仕事に中々集中することが出来なかった。朱音が何に怒っているのか、その原因が自分だとしたら、一体何をしてしまったのか、色々考えてしまったのだ。まぁ、当然だが……。






「お疲れさまでした。お先に失礼します」


「お疲れ様、柏木さん」





「あ、朱音さん、お待たせしてしまってすみません……。さ、寒いので、どこか入りませんか?」


「……いい。そこの公園で」


「え……、そう……ですか?」


 公園に着くと、しばらく朱音は黙り込んだ。檸檬に陽路の気持ちを言う訳にも行かなかったし、かと言って、それを隠しながら、どう話を進めていいのか少し考えていた。それでも、10分ほどして、ようやく朱音が口を開いた。


「……陽路の初恋は私なの。陽路はずっと私がすきだった。キスしたい、って言われたことだってある。今、陽路は意地になってるだけなの。今だって本当は陽路は私のことがすきなの!」


 いきなり捲し立てるように朱音は言った。その朱音の様子がおかしいことはすぐに解った。そして、檸檬は、その時正直に率直に思ったことを言った。


「朱音さんは……陽路君のことがすきなんですか?」


「……! そ、そうよ! 悪い!? 久しぶりに会って、一目惚れしたの! 5年間であんなにかっこよくなるなんて思ってなかった! だから!」


「そんなの、一目惚れじゃないです」


 さっきまでの穏やかで、少し朱音にびくついていた檸檬はいなかった。


「!? な、なんであなたにそんなことが解るの!?」


「そんなの、陽路君の顔に対するだけの、単なるです。私も、陽路君に一目惚れしたから解ります。陽路君の本当の笑顔を見た時、私は陽路君のことをもっともっと知りたいと思いました。朱音さんは陽路君のことを知ってたんですよね? ずーっと、ずーっと、知ってたんですよね? なのに、今更顔だけですきになるなんて、今まで陽路君の何をどう見てたんですか?」


「そ、それは……っ!」


 意外に強い檸檬の口調と、視線に、朱音は思わず言葉を失った。……言い返すことは、出来なかった――……。

















 そのまま、公園で檸檬と別れると、朱音はトボトボと家に向かっていた。そこに現れたのは、陽路だった。陽路は、あの後、一旦家に帰ったものの、朱音の性格からして、檸檬の所へ向かったかもしれない、と思い、どうしようかと迷ったが、バイト先へ向かおうとしていた途中だった。


「朱音、どこ行ってたの?」


「……解った」


「え?」


「私、もう陽路の中にはいないんだね。もう、陽路の中には入れないんだね。よーく解った」


「……柏木さんと……何かあったの?」


 陽路は、何となくそう思った。


「ううん。何でもない! 唯、これ以上は私もそんなにじゃないの! だから、なーんにも教えてあーげない!!」


 そう言うと、朱音は悪戯に笑った。


「? 何? それ」


「いいから、陽路は、勝手に頑張んなさい! 誠之助君に負けないようにね!」


「……当たり前だろ。誰が負けるかよ」


「!!」


 そう言い放った陽路は、もう、朱音の知る陽路ではなかった。ある意味、格好良い、そう思った朱音だった。


「そ。……私、また来月からアメリカに戻るの。少し、謙一と話がしたくて、日本に戻って来たんだけど、陽路とも会えてよかった。……もう1人、会えてよかった人がいる。その人に、大切なことを教わった。なんか悔しいくらい……」


「誰のこと?」


「ま、いつか解るわよ! じゃーね!」


「朱音……?」


 まるですっきりしたように、微笑んで帰ってゆく朱音に、陽路は戸惑ったが、何故か、その時、檸檬の顔だけが浮かんでいた――……。









 ピコン!


「? え……朱音さんから?」


 誠之助のケータイが鳴り、メッセージが表示された。


【誠君、ゴメンね! 私、誠君の力にはなれなかった! あとは正々堂々、頑張って!】


「? それって……まさか……。……マジか……。アイツ、もう朱音さん振りやがったのか……。俺ってマジで運ねーな……」


 やっと、回って来たと思った運だったが、それも3日と持たなかった誠之助。


「くそ……。どう足掻けばいいかねー……」






 少し悲し気に、誠之助は26時の星空を見上げた――……。

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