第9話 それぞれの帰り道

「いらっしゃいませ!」


 檸檬がぎこちなく言う。


「柏木さん、これ、5番テーブルにお願いします」


 厨房のアルバイトの男の子が言う。


「はい!」


 張り切って檸檬は5番テーブルにアイスコーヒーを運ぶ。しかし――……、


「お待たせしました。こちらアイスコーヒーでございま……あ!」


 カシャン……! 


「キャッ!」


「す! すみません!! 今お拭きいたします!!」


 バイト初日、檸檬は緊張のあまり、お客様に出すアイスコーヒーを零してしまった。


「あ……!」


 慌てていると……、


「申し訳ございません。お洋服にかかりませんでしたか? ただいま代わりのアイスコーヒーをお持ちいたします」


 と、スマートに陽路が助けた。


「あ、大丈夫です」


 女性客は、檸檬の失敗より、陽路の対応とそのルックスに見惚れてしまっていた。


(陽路君ゴメン!!)


(大丈夫だよ)


 そっと、檸檬をフォローしつつ、陽路はさりげなく檸檬への気持ちをアピールした。……つもりだったのだが、檸檬は、まるっきりそれに気付いていなかった。まさか、陽路が自分を、と言う考えがなかったのだ。それを思っていたのは、檸檬だけではなかった。


「檸檬ちゃん、慌てなくていいよ。徐々に慣れて行けばいいから」


「あ、誠之助君。ありがとう」


 誠之助も、陽路の檸檬への、『負けない』宣言をどうしても信じられずにいた。何故なら、陽路は、もともと女の子に対して執着があるタイプではなかったし、詩帆に裏切られて間も無いのに、すぐに檸檬をすきになるというのが、どうしても納得いっていなかったのだ。


(アイツ……何気にやる気じゃねぇか……。まさか、マジでマジなのか……?)


 やきもきしながら、誠之助は仕事を続けていた。しかし、檸檬と陽路の2人を気にしながら仕事をするわけにもいかず、いつ、陽路が檸檬にアピルか、それに檸檬が気付くか、内心不安だらけだった。





「「「「「お疲れ様ーー」」」」」


「「「お疲れさまでした」」」


 19時半、高校生である3人は、仕事を終えた。


「檸檬ちゃん、なに駅まで?」


「あ……」


新荒田しんあらただよ」


 答えたのは、檸檬ではなく、陽路だった。


「あん!? なんでテメーが答えんだ!! ……てか、なんでお前が知っての?」


 誠之助は、思わず素で聞いてしまった。


「俺ら同じ方向だから。何度か同じ電車乗ったことある」


「そうなの? 檸檬ちゃん」


「う、うん。私より陽路君1っこ向こうだよね?」


「うん」


「ってことはー……、俺とおんなじ駅で降りるんじゃん! 檸檬ちゃん!」


「え? そうなの?」


「うん! じゃあ、俺檸檬ちゃんを送ってくから、陽路は心配せず帰りなね~」


 誠之助がなぜか自慢げに言う。それに、無理矢理にでも言い返したかった陽路だったが、今更檸檬と同じ駅だと言う訳にもいかないし、誠之助に明らかに張り合って、猛アピール……と言うガラでもない。仕方なく、


「暗いから、誠、頼む」


 そう言った陽路の顔が少し不機嫌に見えるのは、気のせいか……? と、誠之助は思った。


(コイツ……やっぱマジか……。てか、陽路ってこんな生々しい奴だったっけ? 檸檬ちゃんが全身全霊タイプだから、つられてる? ったく……こんな簡単に次行く男じゃねーだろ、お前は! しっかりしろよ!)


 誠之助は、心の中でそう叫んだ。


『新荒田ー、新荒田ー』


「あ、じゃあね、陽路君!」


「うん、また明日」


「じゃっあねー! 陽路くーん! 檸檬ちゃんは俺に任せなー!」


「……」


(……コイツ……いっちょまえにイラついてやがる……)


 少し潜ませた眉頭に、陽路の心理を読み取る誠之助だった。







「檸檬ちゃん、家どこ?」


 少し誠之助を警戒しているのか、檸檬と誠之助の間に、しばらく沈黙が続いていた。しかし、せっかくのアピールタイムだ。誠之助も黙ってはいられない。


緑丘みどりおか公園の近くだよ」


「へー、マジ近いな。俺んちその先の歩道橋の側。一衣帯水じゃん」


「いち……?」


「一衣帯水。近いってこと」


「へぇ! 誠之助君て頭いいんだねー!」


 檸檬が、一気に尊敬の眼差しで誠之助を見る。


「や……たまたま知ってただけの言葉だから」


 そのキラキラした驚いたような笑顔に、誠之助は、女ったらしのレッテルも忘れ、素直に嬉しかった。……と同時に、柄にもなく、……照れた。


「…………」


「?」


 いきなり檸檬から視線を逸らし、誠之助は少し檸檬から距離をとった。それに、何かあったのか解らず、檸檬は誠之助の顔を思わず除きこんだ。


「……!」


「!!」


「や……これは……」


 誠之助の顔は、真っ赤だった。誠之助は、自分でも予想しえない状態に、何をどう言い訳したらいいか、解らなかった。自分でも驚くほど、心が、胸が、高鳴っていた。


「……誠之助君……私なんかのどこをすきになってくれたの?」


「なんかなんてことない。檸檬ちゃんは、なんかじゃない……。俺は……俺は、ずっと勝てない奴がいて……、ソイツのモノ盗ることばっか考えてた。でも結局、ソイツのモノは何1つ奪えなくて……。でも、奪えてもきっと虚しいだけなんだ……。でも、檸檬ちゃんはソイツにカンケーなく、初めて心からすきになれた人なんだ」


「……誠之助君……でも、私……何もしてないよ……?」


「……れたじゃん……」


「え?」


「泣いてくれたじゃん。……」


「……それは……あんな話聞いたら、誰だって……」


「そもそも、その話をしようなんて思える子に出逢えなかったんだ……。檸檬ちゃんが、悔しいけど、陽路のこと想ってるの見て、真剣なんだ、って、本気なんだって、スッゲー人のこと想うんだなぁ、って思ったら、止められなかった」


「……」


「檸檬ちゃん、忘れてるかも知れないけど、俺、檸檬ちゃんに告ったんだよ? 俺のこと、マジで考えてよ」


「……でも……」


 ポッ! ポッポポポポッ!


「?」


「はい」


「え……」


 誠之助は、いきなりスマホを取り出すと、何か操作をし、その画面を檸檬に差し出した。そこには――。


『削除しました』


 の文字が映されていた。


「今、俺のケータイ入ってるの、檸檬ちゃんだけ」


「え?」



「!!」


「もう見ない。檸檬ちゃんしか。もう、。檸檬ちゃんしか」


「誠之助君……」


 誠之助の誠意は、ひしひしと伝わって来た。本当に、本当に誠之助は自分をすきでいてくれている、それだけは、檸檬にも解った。でも、だからって、陽路への気持ちは消えないし、消せない。どうやったって、陽路がすき。


「でも、私……」


「いいから!!」


 大きな声で誠之助が制止した。


「!!」


「今は……アイツに勝てないって解ってる。でも、俺、まだ半分も実力出してないから。全然本気じゃないから。答え出すのは、本気の俺見てからにして」


 赤く頬を染めながら、誠之助が真剣に言う。その視線に、檸檬はどうすることも出来ず、視線を下に移して沈黙の『うん』を言ったのだった。
















「はぁ……」


「あ、おはよ、檸檬」


「あ、おはよう、慶ちゃん」


「なぁに? 朝から溜息なんて吐いちゃって」


「え……溜息吐いてた? うん……実は……」


 慶子にことのあらましを話そうとした時、


「柏木さん」


「「!!」」


「おはよう」


「お、おはよう!! きっ、昨日はコーヒーゴメンね!」


「全然気にしなくていいよ。今日もバイト入ってる?」


「あ、うん! 陽路君は?」


「俺も入ってるよ」


「そ、そうなんだ! よろしくね!!」


「うん。こちらこそ」


 そう言うと、そっと檸檬と慶子を追い越し、陽路は教室へ向かって行った。


(俺……何格好つけてんだろう……。誠、昨日あれから何か言ったかな? こんな気になるなら、付いて行けばよかった)


 そんな、クールと目される陽路の、誰も知らないであろう生々しい心の内を、檸檬は……いや、誰も知る由もなかった。そう。誠之助でさえ――――。


「で? 何言おうとしたの?」


「あ、うん、あのね……」


 そう言いかけた時だった。


「檸檬ちゃーん! おっはよー!」


「!!」


「ん? そんな警戒しないでよ! いきなり押し倒したりしないからさ!」


「「!?」」


 檸檬は勿論そのとんでもない言葉に戸惑ったが、とおに通り過ぎたはずの陽路までも、振り返っていた。


(やっぱ付いて行けばよかった……。誠、何言ったんだ?)


 陽路の心は、人知れずご乱心だった。


「正木君、それなーに?」


 何も知らない慶子が、聞いた。


「ん? 檸檬ちゃんと俺の秘密♡」


「ちょっ! 誠之助君! なんか……誤解を……招くような……気……が……」


 口ごもる檸檬。


(檸檬? 何?)


(後で説明する……)


「誠」


「「「!!!」」」


 そこに、しびれを切らしたように、陽路が現れた。


「いい加減にしろ。柏木さんが困ってる」


 陽路の出来る、精一杯の抵抗の言葉がこれだった。そして、その陽路の出してくれた助け船に縋るような気持ちで、檸檬が咄嗟に言った。


「あ、あの、じゃ、陽路君、誠之助君、また、バイトでね!」


「「あ、うん」」


「行こ! 慶ちゃん」


「うん」


 ちょっと小走りに檸檬と慶子が教室に入って行った。そののち、廊下に2人残された陽路と誠之助は、何も言わなくても、ピリつく空気を感じていた。


「なに邪魔してくれてんの?」


「そっちこそ、何柏木さん困らせてるの?」


「困らせてはいないけど? お前のことだから、もっと離れて見ててくれると思ったけど、なに慌ててんの? 意外と余裕ないとか?」


「人を……すきな人を困らせてまで攻めてどうすんの? 引かれるだけだろ」


 ギロッ! と、今までにないほど、誠之助を睨む陽路。その陽路のあまりの気迫の視線に、さすがの誠之助も怯んだ。


「……わーったよ。ちょっと攻め過ぎた」


「……じゃ、もうあぁ言うこと言うな」


 そう言うと、陽路は、同じクラスの誠之助を置いて、教室に入って行ってしまった。


(……アイツも結構マジで余裕ねーな……。どんだけ檸檬ちゃんのことすきなんだよ……。あんま意識すんな……。あんま気が付くな……。あんますきんなんな……!)


 焦っているのは陽路の方よりむしろ誠之助の方だ。何しろ、檸檬は今現在、陽路がすきだ。それは、檸檬の態度、言葉、読める心情からして、間違いない。すなわち、実質、誠之助の方がかなりの劣勢である。それが解っているから、痛いほど感じているから、誠之助は焦り、攻め過ぎてしまうのだ。それもそうだ。檸檬はまだおいておいて、陽路の方まで、檸檬をすきになった今、2人がいつどちらから告白するか、気が気ではない。告白をしたら、99%カップル成立だ。第2回目の本気マジ恋の誠之助にとって、これはぜひとも出来る限り遠ざけたい。少しでも遠く。少しでも長く。少しでも……。少しでも……。
















「ごめんね、2人とも。高校生にこんな時間まで働かせちゃって……。今日混んだからね」


「「いえ。大丈夫です」」


 そこにいたのは、檸檬と陽路だった。時刻は20時半を過ぎていた。カフェの前で、オーナーから謝罪を受け、2人はとんでもない、と言った感じで頭を下げる。


「じゃあ、籐堂君、申し訳ないけど、柏木さん、送ってってあげてくれる?」


「はい」


「あ、陽路君、いいよ、いいよ。私の家駅からそんなに遠くないから」


「いいよ。送る。危ないから」


「……ありがとう」


 檸檬は、おこがましくも、嬉しかった。今日は、誠之助がどうしても19時までに上がらなければならず、帰りは陽路と2人きりだった。久々の2人きりだ。






「本当に家まで送ってもらっちゃってごめんね」


「……昨日……」


「え?」


「誠もここまで来たの?」


「え? あ、ううん。昨日は緑丘公園……あ、さっき通り過ぎた公園で別れたよ」


「……そうなんだ」


「?」


「誠、なんか言わなかった?」


「え? えっと……その…」


「やっぱ何か言ったんだ、アイツ。俺からもあんまり困らせるな、って言って置くから。何かあったら言って」


 陽路が、少しはにかんだように、口をもごもごさせ、ちょっと指先をソワソワさせながら言う。


(この感じ……なんか見たことあるような……)


 檸檬に思い出すことは出来なかった。


「う……うん。ありがとう。でも平気だよ。誠之助君、悪い人じゃないから」


「……!」


 その言葉によって、陽路の中で、徐々に、焦りが募り始める。誠之助が悪い奴ではないことは、陽路も重々承知している。だからこそ、こんなに誠之助に対して過剰に反応してしまうのだ。

 檸檬は、その言葉で、陽路の不安を煽ったことなど、知る由もない。


「じゃあ、本当に送ってくれてありがとう」


「うん。お休み」


 陽路の後ろ姿をしばらく見送り、門扉をくぐろうとした瞬間――――、


 ズルッ!


「キャッ!」


「!!」


 ふわっ!


「「!!!!」」


 檸檬の体がほぼ真横に倒れ、その檸檬の顔と、その檸檬の体を支えた陽路の顔が至近距離に重なろうとした。その瞬間、何秒だっただろう?しかし、2人には果てしなく長い時間に思えた。

 やっと陽路が正気に戻り、檸檬を抱え上げ、立たせることに成功した。2人の顔は、見てるものがいたら、そっちが恥ずかしくなるくらい真っ赤だ。


『『ドッ! ドッ! ドッ! ドッ!』』


2人の鼓動が、重く、深く、速く、刻まれる。


「ゴ、ゴメン……。な……なんか私っていつもこうだねー! あはは!」


「……うん……柏木さんは……いつもそうだね……」


 ぎゅ……っ……。


「……?」


 一瞬、……一瞬だけれど、檸檬は、陽路に、抱き締められたような気がした。

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