第5話 ペットボトル
―2ヶ月後―
「はぁーーー……いい眺め……。もうここで死んでもいいな……」
「……檸檬、あんた、まだ何にもしてないからね! 解ってる? 今、只、見てるだけ! み・て・る・だ・け!! こんなんで死んでたら、青春が泣くよ?」
慶子が、呆れて言う。
今日も、檸檬は放課後の体育館に来ていた。体育館には、沢山の隠れ蓑があるから、ほぼ、毎日来ていた。まぁ、慶子か、ののかか、奈智の誰か1人でもいてくれないと、怖気づいて来ないのだけれど。
「でもさぁ、慶ちゃん、動いて、チームメイトと話して、こんなかっこいい陽路君を見てられるんだよ? 仕合わせだよぉ……!」
もう、メロメロ……と言った感じで、目を細めながら、軒下でお茶を飲むおばあちゃんのような、どこかババ臭い檸檬の顔を、慶子は呆れて見ていた。
「でも、ここんとこ、毎日一緒に帰ってるじゃん。あの2人」
「うん。私たちはわざと一本遅い電車で帰ってるから見ちゃうよね……」
「何? 檸檬、やけに冷静じゃん。切なくないの?」
「ちょーーーーーーーーーーー切ない!!」
「だよねぇ……。なんか行動起こさないの?」
「行動ったって……。何をどうしたらいいのか解らないし……」
「う~ん……両想いに付け入るのは中々困難だよね……。でも、このままじゃあっという間に2年生になっちゃうよ?」
「う……。そうだけど……。陽路君は、那波さんがすきって言って、あんなに笑ったんだもん……。そう簡単にはつけ入る隙なんか出来ないよ」
キャーキャー響く歓声の中、檸檬と慶子、2人の間の空気だけがやけにひんやりする。歓声の主のほとんどが、ののかや奈智と同じく、アイドルを見る感覚で、陽路を見ている。だから、ほとんどダメージはないし、特に陽路から返って来なくても、気にすることも無かった。
だが、檸檬は違う。檸檬は、本気で陽路がすきだ。
あれから、朔斗は、何事もなかったかのように檸檬に接していた。その朔斗の態度が、本当に嬉しくて、でも本当は苦しいんじゃないかって、檸檬は自分が恋をして、初めてそんな想いを朔斗に寄せていた。
「檸檬、私ちょっとバイト遅れそう! 今日は先帰るね!」
「え! 行っちゃうの? じゃあ、私も……」
「だぁめ! たまには度胸付けるためにも、1人で残って行きな!」
「そ、そんなぁ!」
「大丈夫だよ。こんな群れの中の1人に陽路君も注目しないって!」
「…………」
「あ、ごめん。墓穴った……」
「いいよ。本当のことだもん。うん。じゃあ、頑張ってみる。気を付けて行ってね! 付き合ってくれてありがとう」
「うん、じゃあね。また、明日」
そう言うと、慶子は足早に体育館を去った。
(注目しない……かぁ。そうだよな……。陽路君は那波さんがすきなんんだよな……。でも、すきなんだから、仕方ないよね)
少し曇る心に、映る陽路のバスケ姿が、異様なまでの切なさを誘う。
「おーし! 今日はここまで!」
部活のコーチが生徒に叫んだ。
「「「「「うーす!!」」」」」
(あーぁ……終わっちゃった。よし。いつも通り、ここでしばらく時間潰そう……)
「じゃ、帰ろっかぁ!」
「だね! 陽路君もう見られないしぃ」
檸檬を置いて、女子の群れが体育館をぞろぞろと離れて行く。
(……なんか、眠い……)
シュッ! ジャシュッ!! シュッ! ジャシュッ!!
(……? ……あ! やば! 寝ちゃったぁ!)
不思議な音で目が醒めた。
ここの所、檸檬は寝不足だった。期末テストがあるからだ。毎晩、テスト勉強していて、碌に寝ていなかった。
「え……」
不思議な音の正体は……、なんと陽路だった。
(わーーー!! 陽路君、1人で居残り練習してるぅ! わーい! 独り占めだーー
!!)
カーテンの後ろに身を潜め、檸檬は貸し切り陽路を眺めることとなった。
(……でも、那波さんはいないのかな?)
そう。そこに詩帆の姿はなかった。
(ま、いっか。久々2人一緒の所見なくて済むし)
檸檬は、詩帆の存在は今は忘れることにした。そして、小1時間、陽路は自主練を終えると、帰路に着いた。檸檬は、陽路に1人で話しかける勇気なんてある訳もなく、陽路より少し早めに学校を出ると、電車に乗り込んだ。……はずだった。しかし、
トントントントン……ズルッ!
「ひっ!」
駅の階段で、檸檬はまた転げ落ちそうになった。
(ヤバ! マジで死ぬかも!)←死なない。
グイッ!
「ひゃぁ! ……あ……あ?」
「大丈夫?」
「! ひ、陽路君!」
「柏木さんはいつも転び落ちそうになってるね」
「あ、あはは……」
(陽路君と2ヶ月ぶりに話しちゃった……!)
「電車来るまで、後15分くらいあるね。座ってようか」
「あ、うん! そうだね!」
2人は、並んでベンチに座った。
カチッ。
檸檬は、リュックからペットボトルの水を取り出すと、飲み始めた。
ゴクゴクゴクゴク……。
少し汗ばんだ檸檬の喉元を水が通ってゆく。瞳を閉じて、勢いよく流し込むと、3分の1ほど一気に飲み終えた。
「ふぅ……」
「…………」
陽路は、もう寒い風の中、夕陽をバックに、少し光った檸檬の首筋が何だかとても綺麗に見えていた。思わず、檸檬を見つめていた。
「……? ん? あ、そうか! 陽路君、居残り練習した後だもんね! 喉乾いた? これ飲む?」
檸檬は、こーゆーことに鈍感だ。
「え……、あ、あぁ……ありがとう」
「うん! はい!」
「…………ありがと」
ゴク……ゴク。
「……」
夕陽に照らされて、少し吹いた風が、陽路の少し汗に濡れた髪をなびかせた。
「キレー……」
「え?」
思わず声に出ていた。
フワッ……。
「あ、雪……。あ、あぁ! 雪! 雪、綺麗だね!!」
そこに助け舟を出すように、初雪が降り始めた。
「ホントだ。寒くなったね。ん、水ありがと」
「う……ん……!」
その時、渡そうとした陽路の手と、もらい受けようとした檸檬の手が触れた。その時、初めて檸檬は気付いた。
陽路と、間接キス、したことに――……。
カァァァ……!! 一気に檸檬の顔が真っ赤になる。
「? 柏木さん? どうかした?」
「え!? や、な、何でもない!! で、電車、そろそろかなぁ!?」
「……うん。……って言うか、もう大丈夫?」
「え? な、何が?」
「2ヶ月くらい前、大分様子が変だったから。何か悩みでもあるんじゃないか、って」
(陽路君……覚えててくれたの?)
「う、うん! もう大丈夫!」
「もうってことは、やっぱりあの時は何かあったんだ」
「え、あ……それは……」
「全然カンケーない人の方が話しやすいこととかあるかも知れないから、俺でよければ話聞くよ」
「!」
(もう……! 人の気も知らないで……! でも、嬉しい……)
「う、うん! もし、何かあったら聞いてもらうね!」
「うん」
陽路はそう言うと、また笑った。
「あ、電車来たよ」
「あ、ホントだ。じゃ、行こうか」
「うん」
「席、空いててよかったね。レンシューの後15分立つのも疲れるしね」
「そうだね」
「…………あ、あの……な! 那波さんのどこをすきになったの?」
会話が続かないと思ったら、勿体なくて、檸檬は何とも地雷を踏むような質問を、陽路にしていた。
「え……、あ、そうか。柏木さんは俺の告白現場見たんだもんね」
「う……うん。あ、あの時って……どの時かなぁ……って、ずっと気になってて……」
自分で聞いておいて、聞かなければよかった……と、檸檬は後悔した。陽路が詩帆をすきになった理由……、それを聞いても、きっとどうする事も出来ないから。
「入部して3週間くらいした時、俺レギュラーに決まってさ。で、女子の方もメンバー決めてるところで……、詩帆が」
ズキッ!
(もう、下の名前で呼んでるんだ……)
「その前の日、必死で居残って練習してたの、俺見てて……。結局詩帆はレギュラーにはなれなかったんだけど、その1週間前くらいにバスケ部の友達と、『努力する人すきだ』的なこと話してて……。単純だけど、その詩帆の頑張ってる姿見て、なんか一気に惹かれちゃって……。って、ゴメン。なんか、恥ずいよね……」
「ううん! そう言うの、素敵だと思う! 那波さん、2年生になったらレギュラーになれるといいね!」
「うん。俺もそう思う」
(あ、この顔……、あの時と同じだ……)
陽路と初めて同じ電車に乗った時のはにかんだような、照れたような、でも、詩帆を想う、あの顔だ。
(陽路君をこんな顔にさせるのは……那波さんしかいないんだろうな……)
その後の会話は、よく覚えていない。唯々、ドキドキして、そして、すごくすごく、切なかったのを、憶えている――……。
帰って、リュックから出てきたのは、捨てられないペットボトルだった――……。
「あ、柏木さん……だったよね? おはよ」
「? あ、あぁ! 確か陽路君の友達の正木君。おはよう!」
「元気いいね。陽路の言った通りだ」
「え?」
「いや、柏木さんのこと、時々陽路から聞いてたんだ。でも、あれだね、大変な恋しちゃったね」
「え……?」
「だって、陽路のことすきなんでしょ?」
(なんかこの人、ちょっと図々しいな……)
あっけらかんと檸檬の気持ちを口に出した誠之助の言動に、檸檬はどうもいい印象を覚えなかった。が――……、
「柏木さん、俺でよければ付き合わない?」
「…………は?」
意味が解らなかった。いきなり何を言い出すのか、この人は……。
「あ、あはは! 正木君、朝から冗談過ぎるよー! あはははは!」
檸檬は、勿論本気にしなかった。当たり前だ。陽路以上に、誠之助とは話したことがない。
「ジョーダンなんかじゃないけど」
「え……? で、でも、なんで正木君が私を? 全然話したことないのに……」
ちょっとだけ、戸惑う檸檬。
だが、檸檬が知らないだけだった。そう。誠之助は、学年でも有名な女ったらしだったのだ。
「おい。何してんの? お前」
「あ、朔斗」
「あ、元カレシさんだ。どうも」
ピキッ!
朔斗は思わずカッときた。
「檸檬、こいつ、女ったらしで有名だから。からかわれてんだよ。行くぞ」
「え、あ、う、うん」
檸檬の手を引き、朔斗は誠之助から檸檬を遠ざけた。
「あらら。行っちゃった。まぁ、いいか」
誠之助は、ちょっと口元に笑みを浮かべた。
「何してんだよ。あんな奴に目ぇ付けられて……。俺は籐堂には敵わないって思ったから、檸檬を諦めたんだからな!」
「ゴ、ゴメン……。でも、あの人があんなこと言ってくるなんて思っても無かったから」
「檸檬は鈍感だからな」
「そ、そうかな?」
「そうだよ! 気ぃ付けろよ?」
「う、うん」
「「「あ、檸檬、おはよ!」」」
「あ、慶ちゃん、ののちゃん、なっちん、おはよう!」
「珍しいね。久しぶりじゃない? 朔斗と一緒に登校なんて」
ののかが言った。
「あ、ううん。廊下で会って、助けてもらったの」
「「「助ける?」」」
檸檬は、3人に誠之助のことを話した。
「あぁ、正木君ね。有名だよ。あの人。あの人もあの人で結構モテるよ? 勉強はともかく、スポーツもそれなりに出来るし、身長も陽路君ほどじゃないけどあるし、顔もまぁまぁいいしね」
(確かに……)
檸檬は、そこだけは頷いた。
この時、特に気にもしていなかった誠之助の存在が、新たな嵐を呼ぶことになるとは、誰も予期していなかった。
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