第4話 友達

「……檸檬?」


 放課後の誰もいなくなった教室。朔斗は、自分の机に腰掛け、椅子に足を乗せて、檸檬は、朔斗から2メートルほど離れて、手でスカートを握りしめ、緊張してると言わんばかりに肩を震わせ、突っ立っている……と言うようなシーンだった。朔斗は部活を休み、『話がある』と言った檸檬の口が開くのを待っていたが、自分から言い出しておいて、もう30分も沈黙したままだ。仕方なく、朔斗の方から口を開いた。


「…………」


「なんで黙ってんの? なんかあった? ……何があった?」


「……朔斗……ゴメン」


「……ゴメンて、何が?」


「わ、私……、もう、朔斗とは……」


「……それは、アイツ……籐堂と関係あんの?」


「……カンケーない……って言ったら、嘘になるけど。でも、きっと、もっと前から、気付かなきゃいけなかった……」


「……どういう意味?」


 朔斗は、檸檬の口から少しずつ、少しずつ、本音として出て来る言葉が、怖くてたまらなかった。いっそ、今すぐ逃げ出して、戻りたかった。中学2年生のあの頃に。まだ、2人が両想いだと、信じきっていた自分へと。でも、ここで逃げ出しても、もうあの頃には戻れっこない。そして、今、檸檬のなかにいるのは、自分じゃない。……いや、そんなことはもうだいぶ前から解っていた……気がする。


「私……、朔斗がすきだよ。本当だよ。一緒にいて楽しいし、気も合う。きっと、どの男子より話も合う。でも……」


「…………」


「これは……」


「…………」



「…………」


「朔斗が告白してくれた時、本当はすごく戸惑った。嬉しいより……苦しかった……。みんなにからかわれて、もうどうすることも出来なかった……って、こんなの言い訳にもならないけど……。自分の気持ちもよく解らなかったって言うのは本当なの。朔斗に告白されて、嫌いじゃないから、すきかって聞かれたら、すきだったから、告白受け入れたけど、只々心が苦しくて、どうしたらいいのか解らなくて……。ゴメン……本当にゴメン……」


 檸檬の瞳からは、次から次へと涙が零れていた。


「このまま続けるのはダメなの? 嫌いじゃないなら、俺はそれでもかまわない。このまま、一緒にいることで少しでも俺をすきに……好きなってくれる可能性があるなら、このまま付き合ってて欲しい」


「そんなの出来ない! 私、本当に友達としては朔斗のこと誰よりすきだなんだよ! だから、だから……、こんな、状態で朔斗の気持ちを弄ぶような真似、出来ないよ!」


 檸檬の言ったことになんの嘘も無かった。朔斗のことは本当にすきだ。只、それは友達として。そして、それはもしかしたら今までなら許されていたのかも知れない。檸檬に、の感情が芽生えさえしなければ……。


「……やっぱ、アイツのことが……」


「……うん。ゴメン……」


「……アイツのどこがそんなにいいいの? アイツの何を知ってるって言うだよ……」


 悔しそうに、やるせなさそうに、朔斗の表情が崩れて行く。


「……解らない……。でも、陽路君の笑顔を初めて見た時、どうしようもなく涙が出たの。心がざわぁってなって、陽路君の笑顔だけで頭が一杯になったの。あんなの、初めてだった……。あれから、もう、陽路君のことしか考えられなくて……胸が痛いのに、でも心地よくて……。なんて言っていいのか解らないけど……」


「……じゃあ、しゃーないか……」


「え?」


「俺も、そうだったから! 檸檬のこと、考えるだけで楽しくて、嬉しくて、苦しくて……、只々意味も解らず檸檬がすきなんだ! 檸檬がその感情を籐堂に持ってるなら、俺、勝てねぇや!」


 朔斗がくしゃっと笑った。その笑顔が、余りに泣き顔に見えて、檸檬の心は酷く痛んだ。


 トンッ! と、朔斗は机から跳ね飛ぶように立ち上がると、ポタポタポタポタ涙を流している檸檬の頭を、ポンと撫でた。


「ま、明日からも、ってことで! じゃあな!」


「……! さっ……! …………」


 振り返ったが、朔斗の姿はもうそこになかった。サッカー部の1年レギュラーになるほどの朔斗の足は速く、その足を使って必死でんだと思うと、朔斗の名前を呼んだり、後を追うなんてことは、檸檬にも、してはならない……と解った。


「ごめん……。朔斗……、ごめんね……」


 檸檬は、最高の友達を失った。と思った。『明日からも、友達ってことで』とは言ってくれたものの、こんな身勝手な自分と、明日からも、今まで通り友達でいて、なんて言う方のは我儘すぎる。


 中学で出来た、誰よりも仲のよかった男友達。恋じゃないけど、檸檬は、本当に朔斗がすきだった――……。










 タタンッ! 走って、走って、走って、走って、朔斗は誰もいない細い路地で、やっと立ち止まると、膝に手を乗せ、前かがみになると、頭を低く下げた。


「……っ。まだこんなすきなのに……どうやって諦めりゃいいんだよ……」


 そう言って、朔斗は一人、一晩中泣き続けた――……。


















「……」


 檸檬は、一人、学校の階段を降りていた。そして、下駄箱に着くと、背の高い、だいすきなだいすきなヘアスタイルが目に入った。


(! 陽路君だ! ……あ……)


 そこにいたのは、陽路だけではなかった。そう。詩帆も一緒だったのだ。多分、部活が終わったのだろう。男女違うとは言え、同じバスケ部だ。部活が終わるのがほぼ一緒でもおかしくはない。


「那波さん、今日は居残りしないんだ」


「うん。陽路君と帰りたいし……」


「ん……そっか」


 2人して、付き合い始めもよろしく、ギコチナイが、仲睦まじい光景だった。


(そうだよなぁ……。私、片想いなんだよなぁ……。どうしようもないのに、どうしようもない……。この気持ちがもし止められてたら、朔斗を傷つけなくて済んだのかなぁ?)


 一瞬、陽路の顔を目に焼き付けると、2人を見ないように、俯いて2人が遠ざかるのを待って、玄関を出た。

 外は、そろそろ秋だ。ちょっと冷たくなった風が、何だか無性に寂しかった。その寂しさを、朔斗も味わっているのかと思うと、まして寂しかった。






 ―次の日―


「おっす! 檸檬!」


「!!」


「あ、おはよ、朔斗」


「おう、村田、はよ!」


「…………」


「? 檸檬? 何惚けてるの?」


「なんだよ、檸檬、無視かぁ?」


「あ、や、お、おはよ……」


「おう!」


 校門で、2人で登校してきた檸檬と慶子に、朔斗があっけらかんと朝の挨拶をした。檸檬は余りに驚いた後、朔斗の優しさを感じ、そっと微笑んだ。すると、朔斗がちょっとはにかんで笑い返し、2人を追い越し、先に教室へ向かっていった。


「なんかあったの?」


 慶子が、『よく解らない』と言った顔で檸檬に尋ねた。


「う、うん……。実は……」







「「えぇーーーーー!!!!」」


「ののちゃん! なっちん! 声が大きいよ!」


「あ、ゴ、ゴメン……。でもそうかぁ。別れちゃったんだ……。でも、なんで突然?」


「私……、すきな人がいるの。初恋の人が」


「初恋? だって、檸檬の初恋は……」


 困惑する3人に、檸檬は事細かくすべてを話した。


「でも、なんで陽路君? 陽路君はただでさえモテるし、それに、彼女出来ちゃったばっかじゃん」


 奈智が、不可思議、とでも言いた気に檸檬に物申した。


「うん。そうなんだけど……」


 しゅん……とした檸檬の代わりに、慶子が助け舟を出した。


「でも、私は中学の時から檸檬と朔斗を見てたけど、確かに檸檬には押し付けすぎちゃったかな? って思ってたんだ。私も檸檬から全部聞くまでは、檸檬が鈍感なだけだと思ってたの。でも、違ったんだよね。檸檬は……朔斗には可哀想だけど、檸檬は最初から朔斗のことを友達以上には思ってなかったんだよね」


「……うん。私も、陽路君をすきになって、初めて朔斗への気持ちが恋じゃない、って気付いたの。だから、恋じゃない、って解った以上、もう付き合えないよ……。陽路君に彼女が出来たからって、この気持ちが消える訳じゃないし……」


「う~ん……。まぁ、檸檬の気持ちは解ったよ。でも、これから苦しくなるよ?」


 ののかが『ちょっと心配……』と言った感じで言った。


「そうだね。でも、私は陽路君をすきでいたい」


「「「……そっか。うん、じゃあ、頑張んな!」」」


 3人の笑顔に、檸檬は、やっと心が落ち着いた感覚になった。

 3人は3人で、思わぬ檸檬の強さと、陽路を想う乙女心に、拍手を贈りたい気分だった。
















 ―放課後―


「もう! いきなり怖気づいて何言ってんの!」


「えー! だっていきなり部活をロフトから覗こうなんて……! 見つかったら、なんて言うの!?」


「私たちが一緒にいるんだから、大丈夫だって!」


 檸檬たちは、陽路の部活を見学するために、放課後の体育館に向かっていた。へっぴり腰になっている檸檬を、3人は応援する気満々で気持ちを切り替えていた。


 そして、顔を真っ赤にして、行きたいような、行きたくないような、もう気持ちがごちゃごちゃになった檸檬がロフトに到着した時、


「「「「…………」」」」


「心配なかったね」


「なんでなってること予想しなかったんだろう?」


「うん。普通に考えて、だよね」


「……こんなにいるの? …………」


 4人の前に広がった光景は、ロフトを埋め尽くす女子、女子、女子、の群れだった。そう。みんな、陽路目当てで、バスケ部の練習を見物に来ていたのだ。檸檬は、だーーーっと泣きたいくらいのライバルたちの多さに、怯むしかなかった。


「陽路くーん! 頑張ってー!」


「キャー! スリーポイントシュート入ったぁ!」


 体育館は、本番の試合をしているかのように、ぎゅうぎゅう詰めになり、歓声が響き渡っていた。


「これなら見ててもバレないね」


 慶子が、プクーっと拗ねたように頬を膨らます檸檬に言った。


「まぁまぁ、いいじゃん! とりあえず、会えるだけでもラッキーだって! カレシと学校違う子とか、めっちゃ寂しいって言ってるよ?」


 ののかが、救いの手を差し伸べる。


「そうだけどぉ……。なんか果てしなく遠い……」


 檸檬は、まだごねたままだ。


「まぁね。しゃーないよ!」


 奈智は、ぱあぁん! と檸檬の背中を叩きながら元気づけた。


「なっちん、いったぁい!」


 ――――――――。


「「「「!!!!」」」」


 一瞬、檸檬の声だけが体育館に響いた。その時、陽路がふと、檸檬たちの方を見た――……気がした。


「……う……うるさかったかな……」


「「「さ、さぁ……?」」」


 でも、目が合ったこと、たったそれだけで、体育館ここに来てよかった、と、心から想う檸檬なのだった。

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