第2話 檸檬の涙

「柏木! パース!」


「わぁ! いきなり黒板消し投げるな!」


「はははっ! 頭、真っ白!」


「ひっどー!」








 檸檬がまだ中学2年生の時、2年生になってクラス替えがあり、その時初めて話すようになって、そして気の合う1人の男子がいた。

 長谷川朔斗はせがわさくとだ。朔斗は、特別格好いいとか、勉強が出来るとかではなかったが、サッカーが得意で、檸檬と同じように明るく、素直な男子だった。そのためか、檸檬と気が合って、いつもじゃれていた。だが、そんな2人の関係を、意識していたのは、朔斗の方だけだった。いや、少し違う。意識していなかったのが、檸檬だけだったのだ。そう、クラス中、2人はもう公認の仲、と言った感じで、いつ付き合うのか、いつどちらが告白するのか、何だかお見合いの立会人みたいにやきもきするくらいに見守っていた。


「あんたたち本当に仲いいよね」


「え? あぁ、長谷川? 仲いくないよ。すぐ黒板消しが飛んでくる……」


「はは! 朔斗の得意技だよね」


「慶ちゃん、他人事っぽーい! 本当にけむいんだから! 1回やられてみなよぉ!」


「朔斗は檸檬にしかしないよ」


「そんなぁ! 狙いは私だけ? やだぁ!」


 檸檬は、本気で黒板消しを嫌がっていた。クラスメイトから見れば、只の痴話げんかにしか見えないのだが……。


「ねぇ、檸檬」


「なに? 慶ちゃん」


「気付いてないの?」


「ん? 何に?」


「……いや、いいや」


「変なのぉ」


(この子、本当に鈍感だな……。もう、朔斗早く告っちゃえばいいのに……)








 そんなこんなで、中々朔斗が言えないままで半年が過ぎた頃。


「慶ちゃん! パス出して!」


 女子と男子が体育館でそれぞれ体育の授業でバスケットボールをしている時だった。


「よっ! 行ったよ! 檸檬!」


 パンッ! 勢いよくボールがコースを逸れて、檸檬の足元に向かって飛んできた。


「あ……!」


「「「「檸檬!!」」」」


「きゃぁっ!!」


 ズルッ! ドスッ! ベタァッ!!


「いっ……たぁ……!」


「檸檬! ゴメン! 大丈夫!?」


 檸檬は、思いっきり転んでしまった。その勢いで、右足首を捻った。その時――……。


「大丈夫か!? 柏木!!」


「長谷川。うん。大丈夫、大丈……」


 檸檬が2つ返事で頷こうとした時、


 フワッ! ザワッ! 体育館がどよめいた。


「!?」


 いきなり、朔斗が檸檬をお姫様抱っこして、歩き始めたのだ。


「え、ちょっ、いいよ! 長谷川!」


「いいから。結構派手に転んだじゃん……」


「み、見てたの?」


「……」


「?」


 少しすねたように、朔斗はクラスメイトが見守る中、保健室へと急ぐように、でも、ゆっくりと檸檬を運んだ。


「……」


 保健室に着いたはいいが、保険の先生がいなく、とりあえず湿布だけ貼ると、檸檬をベッドに座らせ、朔斗は黙り込んだ。


「? 長谷川? もう大丈夫だから、体育館に戻りなよ」


「……」


「あ、そうか!」


「!?」


 朔斗は思わず身構える。


「ありがとう言ってなかったの根に持ってる? もう。そんなの思ってるに決まってるじゃん。ちょっと驚いて言い忘れてただけ。 ありがとう!」


 檸檬は、朔斗の気持ちも知らないで、飛び切りの笑顔で言った。


「……」


 朔斗は、頭を掻きながら、そっぽを向くと、顔を赤らめながら言った。


「ちげーし……」


「? 違うって何? 何? お金でも取ろうって言うの? けちー!」


「違うって!」


「?」


「……か……、…………」


「え……」


 いきなり下の名前で呼ばれ、檸檬は初めて朔斗の様子のおかしさが自分の考えていた理由ではないのかも知れない……と思った。


「俺……檸檬がすきだ」


「……!」


「付き合って欲しい」


 さっきまでそっぽを向いていたかと思っていたのに、いきなり視線を合わせて、真剣な眼差しで、そっと手を重ねて、朔斗は言った。


 檸檬は、余りに突然の出来事過ぎて、いや、檸檬以外の人にはまるで突然ではなかったのだが、檸檬は、本当に、本気で、朔斗の気持ちに気付いていなかった。だから、なんて言っていいのか解らず、数分、只黙ってしまった。








「…………なんか言えよ…………」


「え……あ、ご、ごめん。と、突然だったから……」


(長谷川が? 私のことを? 嘘でしょう? だってそんな感じ今まで……)


 檸檬は、動揺していた。朔斗のことは勿論嫌いじゃない。そりゃすきかって聞かれれば、すきだと答えるだろう。でも――……。


(これは……なの? だって私、長谷川のことそんな風に見たことないし……)


「ダメ?」


 朔斗の初めて見る真剣な顔。真剣な言葉。真剣な態度。本当にこの瞬間に初めての朔斗ばかりで、これが恋なのかどうなのかを考えているうちに、どんどん時間が経って、それが朔斗の中で期待から不安に変わって行くのを、表情からまじまじと読み取ることが出来た。


(……あ、私、長谷川のこと不安にさせてる……。どうしよう。でも、嫌いじゃないし……。嫌いじゃないって……すきってことなのかな?)


 などと、檸檬は、恋愛初心者丸出しの思考回路で、自分の中で答えが出ないうちに、


「う、うん。解った……」


 と言っていた。


「……マジ?」


 朔斗がギロッと檸檬を睨むように言った。


(う……やっぱり冗談?)


「はぁーーーーーーー……。よかったぁ……」


「!」


「すっげー大事にするから」


 ズキッ!


(え? なんで?)


 輝いてさえ見える朔斗の笑顔を見て、檸檬はなぜか胸が痛くなった。


(あ、これが切ないとか恋しいとか言うやつなのかな?)


 自分の中で無理矢理自分の気持ちを正当化するように、胸に響いた痛みを、納得させた。













「「「「「おめでとーーー!!!」」」」」


 教室に戻ると、クラスメイトが祝福半分、冷やかし半分で拍手とともに、檸檬と朔斗を出迎えた。


「な、なんで知ってんだよ! お前ら!」


「「「「「えー? 何となくぅ?」」」」」


「むかつくな! 檸檬も何とか言えよ!」


「「「「「ーーーー!!?? キャーーーー!!!!」」」」」


男子も女子も一緒になって、盛り上がっている。


「……」


 檸檬は、何とも言えないいた堪れなさに苛まれた。しかし、そんな顔出来るはずもなく、とりあえず、こう言った。


「もう、みんなやめてよ!」


「檸檬、照れなくていいよ! おめでと♡」


「慶ちゃんまで……!」


 檸檬は、一生懸命自分の何を誤魔化したいのか解らないまま、誤魔化して、手をグーにした腕を慶子に振り上げた。そのまま、もやもやした気持ちがどこにも行かないまま、朔斗と付き合うことになったのだ。
















―現在―


「んだよ。檸檬もあんな奴がかっこいいとか思ってんの?」


「え?」


 廊下を歩いて行った陽路に視線を送る檸檬を見て、同じ高校、同じクラスになっていた朔斗が不機嫌そうな顔で聞いてきた。


「あ、あぁ! 違う違う! ……! ……てか、朔斗、陽路君に勝てるつもりなのぉ?」


 慌てて、また、冗談で誤魔化した。


「うわ! むかつく! 自分のカレシ卑下すんなよ!」


「「「「「あははは!!!」」」」」


 クラスは、中学の時を引き継いだように、檸檬と朔斗の仲を入学当時から知っていて、公認の仲だった。


(ふぅ……何とか誤魔化せた……。……って……誤魔化すって何?)


 告白された時は色々違和感はあったが、それでも日を重ねるごとに、さすがの檸檬も、付き合う事に慣れてきていた。しかし、昨日、陽路の告白現場を目撃してから、陽路の笑顔を見てから、付き合うと決めた時の違和感がまた心の奥の方から湧き上がってきていた。


 ズキッ!


(痛っ! ……何? これ。なんでこんなに胸が痛いんだろう? 昨日、陽路君の笑顔見た時からおかしいんだよな……。なんか……泣きたい……)


 じわぁ……。


 込み上げてくる何かを、檸檬は必死で堪えた。


(ダメダメ! ここで泣いたら、絶体……なんか……よくない気がする……!)


「だって! さ、朔斗は顔では陽路君には敵わないでしょー!」


「うっせー! 自分の価値も下げるぞ! それ!」


 教室は笑いに包まれていた。檸檬の異変に気付いている者はいなかった。











「なぁ、檸檬、俺今日部活急に休みになったんだけど、一緒に帰んない?」


「あ、朔斗。ゴメン。今日私委員会だ」


「あ、そうか。んじゃ仕方ないな」


「うん。また明日ね!」


「おう!」

















 トントントントン!


 檸檬は、委員会が開かれる教室へ向かって急いで階段を下っていた。


 ズルッ!!!


「きゃあ!」


 足を滑らし、まだ6段もあるのに、転げ落ちそうになった。痛みが襲ってくるであろうことを予想し、思わず顔を歪め、目を瞑った。


 しかし、


 パフッ……。


「……?」


「大丈夫?」


「……あ……」


 大きな胸に抱かれたことに気付いたのは、数秒、その胸に顔をうずめた後だった。そしてその大きな胸の持ち主は――……、


「ひ、陽路君……!」


「怪我、しなかった?」


「う……」


 じわぁっ……!


「え……」


「うわぁぁぁあぁああああ!!!!!」


 檸檬は、今まで抱えて来たすべてをぶちまけるように、その胸の中で泣いていた。

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