第30話 初仕事で任せる客じゃない


 朝食を食べ終わった玄は、その後、御化とまだ眠そうな海に別れを告げて、久遠の仕事部屋へと向かっていた。

 なぜかと言うと、ご飯を食べ終わってすぐ、久遠に呼び止められたからだ。


 後で部屋に来い、と。


 久遠が呼んだ原因は十中八九仕事とのことだろうと玄は予想した。

 案の定、地図を頼りに久遠の部屋に辿り着き、彼から用件を聞くと、やはり仕事のことだった。



「お前、今日が初仕事だろォ?」



「そう、ですね」



 久遠の問いに少し詰まりながら答えた玄は正直、この仕事に関する自信がなかった。接客の仕事はアルバイトで少しかじった程度だ。こんな立派な旅館で働けるほど対人スキルが身につく仕事なぞしたことがない。


 久遠は玄の心情が手に取るようにわかったのか、安心させるように玄に言葉をかけた。



「そんな顔を固くすんなって、チラシにも書いといただろォ?、別に未経験でもいいって」



「ですが、」



「ですがも何もねェよ、自信を持て。

 まァ、何事も実践が一番だろ。

 てわけで、未経験のお前にはとりあえず、多少粗相をしても怒らない客についてもらうことにした。」



「えっ」



 もう自分に仕事を割り振ることを決めたのか、と動揺する玄に、久遠はそう言い切ると、バサリとある紙を玄の目の前に差し出す。

 玄は紙を手に取り、内容に目を通した。


 その紙にはこう書かれている。



『お客様情報、ジーヴォ・フロンチェ様とその他数十人(ご本人未把握のため不明記)』



「すっ!!!?」



 思わず目を疑った。

 それと同時に、久遠は何を考えているのだと思った。

 未経験の自分一人に数十人の接客を任せると言うのだろうか。そんなこと無茶すぎる。

 冷や汗を流しながら、チラチラと久遠と書類を交互に見ていると、久遠が、あぁ、と納得したような声を出した。



「あ、いや、すまん。

 その客の人数、間違ってはいないが…、

実際接客するのは数人だから安心しろ。」



 玄は久遠の言葉に少々疑問を感じたが、彼の言葉を信用することにした。

 というか、ヒラの従業員である自分がどうこう言ったところで、何にもならないと思ったからだ。




「あと、従業員として最低限守ることを今から言うぞォ?、覚えとけよ?


 一、挨拶はきちんとする


 二、交流は積極的に行う


 三、楽しむ心と敬う心を忘れずに



 この三つをちゃァんと守れよ?」




 久遠からそう言われた玄は、プレッシャーで暗い顔になりそうな表情筋を必死に抑え、渋々、わかりました、と己に割り振られた仕事を行うことを了承した。


 そのまま重い足取りで、久遠が指示した客室へと向かう。

 彼から聞いた話によると、このジーヴォという人物には既に話を通しているようだった。

 しかも、彼は旅館の常連客らしい。


 それなら、と少し安心するものの、玄の緊張は完全には解けなかった。


 もやもやとそんなことを考えながら歩いていると、ついに、客室の前までついた。


 玄は久遠から言われた従業員としての注意事項である、『挨拶をきちんとする』を思い出しながら、部屋の襖を控えめに叩き、声をかけた。



「失礼します」



 しかし、帰ってきたのは静寂のみだった。

 いくら待てども、返事は返ってこない。


 もう一度、声をかけたが何も反応はない。流石に不審に思ったので、開けてしまおうかと玄は思った。


次の瞬間、なんと玄が叩いた襖の、隣の襖が吹っ飛んだ。



 あまりのことに、脳が処理落ちしそうになる。

 ギギギ、とブリキの人形のように、吹き飛ばされた襖へと玄は顔を向けた。


 よくよく見ると、壁に当たり、物凄い音を立ててべこべこに凹んだ襖の上に被さるようにして、人も倒れていることに気づいた。


 赤い髪に黒のメッシュをしたビジュアル系の見た目をした男が、襖をクッションにするようにして倒れていたのだ。


 どうやらこの男が吹っ飛ばされたために、襖も吹っ飛んだらしい。


 目の前の出来事に、玄は固まることしかできなかった。



「インレイくん!」



 部屋の中から出てきた女性がビジュアル系男に近寄る。どうやらこの男はインレイと言うらしい。


 女性は目立つ見た目のインレイと違い、どこにでもいそうな平凡な見た目をしていた。頬にはそばかすがあり、髪の色は薄茶色、目の色は空色だ。


 彼女はインレイに近寄り、とりあえず怪我がないことを知ると、ホッとした顔をした。


 そして、顔を改めて部屋の中へと向けると、目を吊り上げ、キッと中にいる誰かを睨む。


 一体なんなのだ、と玄がさらに混乱していると、部屋の中からよく通る声が聞こえた。




「何度言ったらわかるんだい、君は」




 男性にしては少々高めな、少年のような声だった。

 だが、どこか威圧感のある声でもあった。

 少年のような声であると言うのに、まるで、何年も生きた貫禄ある老人のような雰囲気も兼ね備えている。


 そんな圧のある声から放たれた圧のある言葉を、真っ向から言われたわけでもない玄でも身がすくんだそれを、正面から聞いた彼女は体を震わせながらも部屋の中にいる声の主に対し、はっきりと言い返した。




「っそんなことを言っても、私は諦めません」



 エメラルドの目に光を宿し、はっきりと芯のある意志を表明した彼女に、部屋の主はため息をついた。

 それと同時に、別の声も聞こえてくる。




「や、やめようよ、ジーヴォ様、アニマちゃん、ね、ねぇ、クレモナも何か言ってよ」



「…レジェロ、俺にはどうにもできない」




 可愛らしい軽やかな少女の声と、重厚感のある男性の声だった。


 どうやら、目の前のそばかすの女性はアニマ、この威圧感のある声はジーヴォ、少女の声はレジェロ、もう一人の男の声はクレモナと言うらしい。


 レジェロはどうやら言い合いをしているジーヴォとアニマを心配して、焦っているようだったが、クレモナはレジェロと違い、冷静に状況を分析しているようだ。



 確かに、この状況では何を起こしても火に油だろう。



 アニマは悔しいとも、悲しいとも取れるような表情をした後、インレイの腕を肩に乗せてよろよろとどこかへ向かっていった。



 玄はそれら一連のやり取りを呆然と見ていたが、ハッと己がここにきた意味を思い出し、ふらふらと力の抜けた足取りで吹っ飛ばされた襖へと近寄る。



 そして、そぅっと部屋の中を覗いた。

 部屋の中が目に入った玄は目を剥いた。



 部屋には三人の人物がいた。


 部屋の右側には、瞳の色は灰色で、髪の毛は白色、かつ、毛先にかけて黒色に色が変化している少女がいる。


 少女は頭の髪の毛を全て左右にピッチリとわけ、くるくるとしたツインテールにしており、服はレースやフリルがふんだんに使われた可愛い服を着ていた。



 対して部屋の左側には濃い紫色の、長めにボサついた髪型をしている男がいる。頭には何故か大きなリボンをつけていた。目の色は髪と同じく紫色だ。

 

 服は少女ほど派手にフリフリではないが、こちらもレースやフリルがあつらわれた服を着ている。



 おそらく、少女がレジェロ、男がクレモナだろう。


 そして、その二人を侍らせるようにして真ん中に座っている人物。


 玄はこの人物が目に入った時が一番衝撃的だった。


 両隣がレジェロとクレモナだとしたら、先ほどの会話から予測して、この人物は久遠が言っていた常連のジーヴォということになる。


 玄は先ほどの声からして、ジーヴォは少年だろうと思っていた。


 だがしかし、今目の前にいるジーヴォの見た目は、一言で言うならアルビノの絶世の美少女だ。


 真珠のような白く艶のある白髪に、柘榴をはめ込んだのではないかと言うほどに真っ赤に熟した瞳。


 そして服は赤を基調とした装飾多めのフリフリのワンピース、頭には音符の飾りのついたベレー帽をかぶっている。


 髪型は後ろはボブカットで、横髪だけが長いという髪型をしていた。


 最も目をひかれたのは、顔の模様と、特徴的な尖った耳だった。

 ジーヴォの右頬には、楽譜のような模様が刻まれており、耳は漫画やアニメで見たエルフのように尖っている。



 どこからどう見ても可憐なエルフの少女だと言うのに、ジーヴォと呼ばれた人物が発した先ほどの声は完全に少年のものであった。


 玄は混乱が最高潮に達しそうになり、目の中が混乱でぐるぐると渦を巻いている感覚がした。


 ふと、ジーヴォと思わしき人物の長い、雪をまぶしたようなまつ毛がふるり、と揺れる。

 真っ赤な、いっそのこと赤黒いと言ってもいいほどに熟した瞳が玄の方へと向けられた。


 鋭い光を宿した目に見つめられ、玄は動けなくなってしまう。


 それほどまでに美しく威圧的な瞳だった。


 ジーヴォはゆっくりと口を開くと、少女のような見た目で、先ほどと同じような、貫禄ある老人のような雰囲気を纏った、少年の声で、玄に冷たく問いかけた。



「君は誰だい」



 問いかけた玄は、喉元にナイフを突きつけられたのではないかというほどの緊張感に体が包まれる。


 喉が震えた。唇が震えた。


 今この場を支配しているのは目の前の人物なのだと思い知らされる。


 ひく、と頬を引き攣らせることしかできない玄を睨みながら、ジーヴォは彼にゆっくりと近づいてきた。

 ジーヴォが一歩ずつ近づくごとに、体の震えがひどくなっていく。


 そして、玄の目の前まで来ると、震える彼の顎に指を添わせた。

 白い、作り物のような美しい少女の見た目をした者の指が己の顔を触れているというのに、玄の心は全くときめかない。


 玄の心が感じていたのは、漠然とした恐怖しかなかった。




「その耳は作り物かい?君は、誰だと、僕は、聞いているんだ」




 じっくりとそう言った彼の声に、玄は死を覚悟した。

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