楽団のお客様

第28話 初日の朝風呂


 騒がしい宴から一夜が明けた。

 旅館を朝日が優しく照らす。



 ちゅんちゅんと鳥の囀りが布団にくるまって眠っていた玄の耳に届いた。

 窓の隙間からは日の光が差し込み、目元を明るく照らす。


 モゾモゾと光から逃げるように身じろぎをすると同時にスマホからいつもより早くアラームが鳴った。

 一度、二度と鳴るのに合わせて、玄の意識も覚醒していく。

 目も開けずに布団から腕だけを伸ばし、スマホを探り当てると、そのまま指を画面に叩きつけるようにおろし、アラームを切る。


 そのまま身を起こして体を伸ばすと、思わず喉から汚い唸り声が上がってしまう。



 玄が思った通り、昨日はよく眠ることができなかった。

 明日から旅館の一員として働くことを考えたら、緊張と期待で眠気がどこかへ吹っ飛んでしまったのだ。


 寝不足でだるい体と頭をなんとか無理やり動かし、昨日、段ボールの片付けのついでに物の整理をしたときに発掘した下着と、寝る前に部屋の前で見つけた旅館の制服、そして旅館内の地図を手に取ると、昨日お風呂に入っていなかった玄はそのまま大浴場の方へと向かった。



 階段を降りて一階まで移動すると、もうすでに起きている人が何人かいた。

 どうやら家事当番の人らしく、洗濯物を干している人もいれば、掃除をしている人もいた。その中には岩もいる。



 玄は昨日の蓮太郎との会話を思い出すと、岩に見つからないようにそっとその場を後にした。

 蓮太郎は岩は仕事が関わらなければ無害と言っていた。つまり、裏を返せば仕事が関わっていれば有害になりうるということだ。



 そんなの怖すぎる。



 玄は仕事中の岩には決して近づかないようにしようと固く心に誓った。



 そのまま離れから出て行き、母家の中にある従業員専用の大浴場まで真っ直ぐ歩く。

 大浴場に着き、広い脱衣所を覗くと玄以外誰もいない。

 つまり、貸切状態だった。


 玄はワクワクした。

 脱衣所でさえかなり広いのだ、大浴場の中はどれほど広いのだろうか。

 ドキドキと鐘を打つ胸を抑えながら、早速服を脱ぎ、大浴場の中へと入って行った。


 中に入って見ると、玄が思っていた以上に広かった。風呂椅子とシャワーが何台もずらりと並び、それぞれにちゃんと仕切りがされている。従業員用の風呂だというのにしっかりと作られていて玄は感動した。


 そしてやはり、極め付けは大きなお風呂だ。


 何十人もが入れそうな大きな風呂が、大浴場の側面に設置されていた。右隣には小さな水風呂もある。

 さらに、左横の木の扉には立て札がしてあり、札にはサウナと書かれている。


 サウナまであるのか、と玄が感心していると、水風呂の隣にさらに扉があることに気づく。

 なぜそこに扉があるのか気になったので、好奇心の赴くままにガチャリと開けると、その先は露天風呂となっており、中の風呂ほどの大きさはないが、こちらもかなりの人数が入れそうだった。


 露天風呂があることがわかった瞬間、

 玄は爆速で顔と体を洗うと、中の広い風呂にも心を惹かれたが、グッと堪えて、すぐさま露天風呂へ飛び込んだ。


 お湯の暖かさと朝という時間のせいか、外のまだ少し冷たい空気の温度差が心地よい。

 ぐるっと首を回して辺りを見渡すと、どこを見ても緑色の自然の美しい景色が広がっている。


 玄は露天風呂と美しい景色を堪能しながら、従業員のお風呂でこんなにも高待遇なら、お客さんの方はどれほど豪華なのだろうと思った。

 自分は昨日ここに来たとき、秋に手を引かれるまま久遠がいる部屋まで連れて行かれたため、客室である母屋の中をよく見ることができなかったのだ。


 まだ見ぬ母家に思いを馳せながら、ぐーっとお湯の中で体を伸ばしていると、玄の後ろでドアが開く音が聞こえた。


 誰か来たのかと思い後ろを振り向くと、そこにはなんと裸の御化がいた。

 目を眠そうに擦りながら、幽霊故、物をつかむときに透過するのを防ぐためであろうお札の束を手に持っている。


 お風呂なのだから裸で当たり前なのかもしれないが、問題はそこではない。


 玄は男、対して御化は女だ。


 そのことを理解した瞬間、頭に思いっきり血が上り、顔が真っ赤になったのを感じた玄は思いっきり背を向けて絶叫した。




「御化さん!!!!!ここ、男湯!!!!」



「んぁ?」




 おそらく寝ぼけて男湯の方に入ってしまったのだろう。

 玄の叫び声にパチっと目を瞬かせた御化はキョロキョロと周りを見渡した後、顔を真っ赤にする玄を見ると、状況を理解したのか、

 にまーっと笑った。


 そしてそのまま、玄のとなりにチャポンと入ると、声にならない悲鳴をあげる玄に近づく。



「え、何?人間くんもしかして照れてるの?え〜、えっちぃ!ほらほら!女体だよ、ぼいんぼいんの!見てもいいよ〜ん」



「むりですむりですむりです」



 お湯をかき分ける勢いで御化から必死に離れる玄の反応を気に入ったのか、調子に乗って玄をからかう御化。

 彼女の陽の光を反射するほどに白い、

 所々透けてる裸体が玄に迫る。

 玄は目をあちらこちらへと泳がせる。下手に目の前に視線を移すと、御化の姿が目の中に入ってしまうからだ。

 次第に今まで経験したことのない事態に脳みそがついに限界を迎えたのか、たら、と鼻から血が出てきた。



「!!!!???」


「!!?」



 これには御化もびっくりしたのか、咄嗟に玄の鼻に持っていたお札を突っ込む。

 お陰でお湯の中に血が混入するという事態は防げた。

 しかし、未だ玄は混乱中だった。

 玄だって健全な成人男性だ。目の前に突然裸の女性が現れれば混乱して、目の中で渦を巻いてしまうくらいしてしまう。


 そんな玄の様子に御化は流石にやりすぎたか、と少しだけ反省したのか、しょうがないなぁ、と言うと、彼女の手の中にある札の束からあるお札を取り出した。


 そして、何かの呪文を唱えた。

 それと同時に、御化の体が煙に包まれる。


 玄はなんだ、と驚きながらその様子を見ていた。やがて、もくもくと露天風呂に充満していた煙が止むと、そこには御化と同じ、黒髪に黒い瞳を持つ美青年が立っていた。


 美青年はゆるゆると顔を玄の方へと向けると、にぱっと笑った。




「人間くぅん!これならどぉ?おんなじ男同士だよぉん、わざわざ変えたんだから感謝してよん?」



「は??」




 心からの言葉だった。

 意味がわからないという気持ちをこれでもかと込めた一文字だった。

 だが状況を理解しないことにはどうにもならないので、玄は一旦頭の中を整理することにした。


 自分は今、裸の御化にからかわれ、鼻血を出した。

 その後、御化は流石にやりすぎた、というような顔をしながら自分の鼻に札を突っ込んできた。


 ここまではいい、いや、別に何もよくないが。

 とにかく、問題はその後だ。


 御化は札の山から一枚お札を取り出して、自分の体に貼った。その後、彼女の体から煙が出てきて御化とよく似たこの美青年が現れた。


 状況から導き出される答えはどう考えてもたった一つ。


 この美青年と御化が同一人物だということだ。


 玄は深呼吸をした後、肺一杯に空気を取り込み、もう一度、心からの叫び声をあげた。




「はぁ!!!!???」



「うるさ」




 玄の大きな声に、目の前にいる美青年、もとい御化が顔を顰める。




「うるさ、じゃなくて!!御化さん、ですか?」



「他に誰がいるって言うのさ〜?私だよ〜ん、いや、今は俺かなぁ?」



 けらけらと笑う御化に、玄は頭がこんがらがるのを感じた。



「え、御化さんって男性になれたんですか?」



「なれるってか、男女どっちにもなれんだよね、久遠さんがなんか言ってなかった?君に」



 そこまで言われて、玄はやっと思い出した。昨日御化に悪戯されたところを久遠に救い出されたときに言われた言葉を。


 御化は中国の方で仙法を学び、さまざま術を身につけ、その中には性別を変えるものもあると。

 だが死んだ時の影響で、元の性別がどちらだったということを忘れてしまったとも。



 つまり、今現在、御化は女性とも言えるし、男性とも言えるのだ。



 そこまで考えて、玄はやっと肩の力が抜けた。

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