第27話 旅館の制服と兄妹の話



 一通り、月札の技の登録が終わった玄は久遠と話していたが、会話が弾む間もなく、岩たちが掃除道具を持って帰ってきた。


 普通ならば、その白い細腕で抱えられるはずもないほどの道具を腕一杯に抱えた岩は食堂に着いた瞬間、道具たちを、ガラガラと乱雑に床に置く。

 そして、彼女は、ピンクの目をぐるりと動かし、食堂に全員いることを確認すると、すぐさま皆に指示を出した。



「全員いるな、よし、

 一人ずつどれかの道具を持って掃除を始めろ!」



 岩がそう言うと、食堂にいた人がぞろぞろと道具を取りに行く。

 玄も久遠の後ろについて行き、道具を取りに行った。


 しかし、岩の指示通りに道具を取りに行きながらも、正直、玄は自分も掃除に参加しなければならないことに少しだけ不満を感じていた。


 なぜなら、自分は周りが久遠を止めない中、たった一人で止めようと頑張っていたのだ。

 つまり、自分の今の状況は巻き込まれ事故とも言える…と玄は考えた。


 途中まで酔っぱらったり、久遠の提案にぐらついたりしてしまったけれど。


 そんなことを考えていたとき、ちょうど食堂の様子を見にきた蓮太郎が目に入った。


 玄より一足遅く、岩が蓮太郎に気づくと、お前も片付けるか、と彼に言う。

 蓮太郎は、そんな彼女に、冗談はよしてくださいと苦笑いをして返した。


 二人の会話を聞きながら、岩さんって冗談言うんだ、と玄は変に感動した。




「うぉ、見渡した限り、かなり散らかりましたね、こりゃあ」



「あぁ、阿呆どものせいでな」



 岩と話しながら食堂を見渡した蓮太郎は掃除道具を手にする玄に気づいた。

 玄がお辞儀をすると、彼はよっ、と手を振り、こちらに向かってくる。

 玄も振り返そうと思ったが、その時、海と食堂見学に来た時と同じような、なんだかプライバシーが侵害されているような居心地の悪さを感じた。

 玄は何をされたのか悟ると、蓮太郎を睨んだ。

 顔は普通の表情を取り繕っているが、彼の額にある3つ目の目はまるで面白がって笑っているように三日月型に歪んでいた。




「…蓮太郎さん、僕の心を読みましたね?」




「たはは、悪いって」




 悪びれもなさそうに謝る蓮太郎に玄は呆れた。

 人の心を読んだって、面白いことなどないだろう、と玄は思ったが、蓮太郎にとってはそうではないらしい。


 またもや心を読まれたのか、心を読むのって案外楽しいぞ、と返される。


 玄は再び呆れた。



「まぁまぁ、そう思うなって、んー…、じゃあ今回だけ、読ませてくれたお礼をしてやろう」



 ウィンクしながらお茶目に言う蓮太郎に、玄は、毎回お礼をとってやろうか、と思う。

 というか、成人男性のウィンクを見たって自分は嬉しくない。

 それこそ、海や秋、小太郎がウィンクしたら可愛いだろうが、この男のウィンクは誰も求めていない。



「おぉっと、毎回はやめてくれよ?、俺の方が損しちまう、てか、お前結構ズバズバ物事考えるんだな」



「また読んだんですか?!」




 何回も心を読む蓮太郎に流石にそれはどうなのか、と玄も怒りそうなった時、眉間に皺のよった岩が会話に割り込み、蓮太郎に話しかけた。




「おい、蓮太郎、こいつは今掃除中だ、ちょっかいかけんな」




 玄は一瞬、自分を庇ってくれたのか、と思ったが、どうやら庇ったわけではなく、ただ掃除の人手が少なくなることを危惧したらしい。

 岩の目線が惨状となった食堂と自分が持つ掃除道具の間をさまよっている。

 だが自分のことは一切視界に入れていない。玄は少し悲しくなった。


 

 そんな玄の気持ちを文字通り読んだのか、蓮太郎は岩の目線に屈することなく、彼女に反論をしたのだ。




「ふむ、だが岩さん、こいつの事情によると、こいつはそこまで酔ってなかったみたいだぞ?、それに、周りが酒樽を持つ久遠さんを止めない中、一人だけ止めようとした。そのおかげで、酒樽一つ無駄になるだけで済んだ」



「…何が言いたい」



「んー?俺の個人的な意見だが、玄は掃除に参加しなくていいんじゃないか?、こいつのおかげでこれくらいで済んだって考えたら、逆に褒めてやるべきだろう」




 そのことを言われた岩は少し考えるような仕草をした。顎に手を当て、顔を下に俯けた後、バッと顔を上げ、じっと玄を見つめる。


 ピンクの瞳は、玄をとらえて離さない。

 彼女のその様子に、玄は蓮太郎に心を読まれた時とは別の居心地の悪さを感じた。だが、なぜか目を逸らしたいのに逸らせない。


 数秒間、岩と見つめ合う。


 たった数秒だが、玄には何時間もの間見つめあったように感じた。

 緊張しながらじっと岩の顔を見ていると、玄は彼女の顔立ちがとても綺麗だと言うことに改めて気づいた。


 いつも顰めっ面をしているから、美人というより怖いと言う感想が先に来るが、よくよく見てみると、彼女の顔はそれこそ、芸能人顔負けのレベルで整っている。


 そのことを思った瞬間、玄は自分の顔に血が昇るのを感じた。



 だが岩は、そんな玄の心情など知ったことではない。

 彼女は玄を無遠慮に見つめ続け後、

ふむ、とこぼし、



「蓮太郎が言うことも一理あるな」



 と言った。

 玄は今自分の顔が赤くなっていないか心配しつつ、見つめ合った時間は一体何だったのだろうと思うと同時に、蓮太郎への評価が上がるのを感じた。

 あの岩にここまで言って、ここまで言わせるなんて、とんでもないことだと思った。

 久遠でさえ岩には強く出れないというのに。



「確かに、お前が止めなければ、あの馬鹿は二樽目に手を出していただろう…、

 …よし、帰っていいぞ、玄。

 掃除に参加させて悪かったな」



 最終的に岩はそう言い、玄に謝ると、ピンク色の髪を翻し、皆が掃除をしている方へ向かって行った。

 玄はキラキラとした視線を蓮太郎へ向け、お礼を言った。


 蓮太郎はその視線とお礼に少し驚いた表情をすると、若草色の頭をがしがし掻きながら、こそばゆそうに顔を下に向ける。



「いや、そこまで感謝しなくても、別に礼なんだから」



「いえ、助かったのは事実ですから」



 ちら、と怯えたように岩に視線を向ける玄に、蓮太郎は、あー、と納得したように声を漏らし、ため息をつきながら岩について言及し始めた。



「いや別にさ、岩さんも話が通じないわけじゃないから。

あんな見た目と口調と仕草だけど」



「見た目と口調と仕草がダメならもう全部終わってませんか?」



「まぁまぁ、案外話すと面白い人だぜ?、厳しいけど、仕事が関わらなかったら基本的に無害だし。休憩してる時にでも話しかけに行ってみな」



 そう言うと、蓮太郎は近くにあった机の上にある皿をひょい、と軽々と持ち上げると、食堂から出て行った。


 玄も、しばらく立ち尽くしていたが、その後、蓮太郎と同じく食堂を出て行った。

 離れへと向かう道中、蓮太郎に言われたことを頭の中で反芻する。


 はっきり言うと、玄は岩に恐怖心を抱いてた。だって怖いのだ。


 唐突な話になるが、岩の顔は美人だ。

 きっと玄が今まで会った女性の中でも上位に入るレベルで綺麗な顔立ちをしているだろう。

 そんな美人が、思い切り顔を歪ませドスの効いた声でこちらを凄んでくるのだ。


 怖くないわけがない。

 玄は美人の怒り顔が怖いことを身をもって思い知った。


 あと、岩の見た目と言えば、あの特徴的な蛍光ピンクの髪と目だろう。


 玄はピンクの髪にピンクの瞳、というと、か弱くて可愛らしい女性というイメージがあったのだが、岩に会って、そんなイメージはバキバキに破壊された。


 今後、ピンクの瞳と髪を持つ人物と出逢ったらヤンキーゴリラの七文字が頭に浮かぶだろう。


 そんな岩が、面白い?、無害?


 玄は蓮太郎に言われたことを全く信じられなかった。

 休憩中の岩に話しかけてみろと言われたが、むしろ、休憩中に彼女に話しかけようものなら休憩の邪魔をしたと見なされ、殴り飛ばされそうだ。


 玄にそんなリスクを冒してまで彼女に話しかける度胸はない。


 そんなことを悶々と考えているうちに、離れの自分の部屋の前までついた。


 布団を敷いて、もう寝よう、お風呂は明日の朝でいいや、海先輩が朝風呂としても使われてるって言ってたし、と思いながら玄は襖を開けようとしたが、その時足元に紙袋のようなものがあることに気がついた。


 よく見てみると、手紙のようなものが同封されている。


 手にとって見てみると、少し幼い筆跡で、



『げんさんへ、りょかんのせいふくです、おるしあさん、いわく、まかいぞうしても、いいらしいです!、あしたから、がんばりましょう!』



 と書かれていた。

 最後の方に狐の絵が描いてあったので、この手紙はおそらく小太郎が書いたのだろう。

 おるしあ、いや、オルシアというのは、旅館の服を作っている者なのだろうか?


 メッセージを見た玄は胸がほんわりと暖かくなるのを感じた。

 そのまま、急いで部屋に入り、クリスマスプレゼントをもらった子供のように、性急にがさごそと紙袋を漁ると、中から深緑色の旅館の制服と思しき和服が出てきた。



「これが、僕の制服…」



 玄は胸がぎゅう、と締め付けられる感覚に陥った。

 どうしようもなく苦しいのに、どうしようもなく嬉しい。


 ようやく、今更だが、玄は旅館の一員となった実感が沸いた。


 この人外だらけの旅館で人間である自分がやっていけるのか、不安は沢山ある。

 こんな、ファンタジー小説のような、誰かに言っても信じてもらえなさそうな出来事の中で、自分は今後どうなるのだろうか、と。


 だが、悩んだって実際やってみないと、どうしようもならないだろう。



「(明日が待ち遠しいな…)」



 玄は興奮で今夜は眠れそうにないことを悟りつつ、紙袋から取り出した和服を丁寧に畳み、床の上に置いた。


 子供のように目を輝かせる玄を、美しく輝く月だけが見ていた。










 __________________








 その頃、食堂の方では案外早く掃除が終わっていた。

 従業員総出で片付けたおかげともいう。

 一番働かされていたのは久遠だったけれども。


 皆が疲れた表情をしながら食堂を後にする中、この場には久遠と岩だけが残った。


 久遠は最後の一人が食堂を出て行ったのを見届けた瞬間、すぐに床に倒れて横になる。

 藍色の髪が、床に無造作にバラバラと散らばった。

 岩はそんな彼を呆れた目で見ていた。



「っはー!!お前、俺にだけ仕事を任せすぎなんだよ!!」



「お前が一番散らかしたからだろう、反省しろ」



「ちっ、可愛げがねェ」



 その後もしばらく軽口を叩き合う二人だったが、ネタが尽きたのか、しぃんとした沈黙が食堂に落ちる。


 静かになった食堂には、二人以外おらず、明かりすら月明かりのみだ。

 その心地よい沈黙を先に破ったのは久遠だった。



「玄がなァ、言ったんだよ」



 ごろりと寝返りを打ち、岩に背を向け、そう言った久遠に、彼女は顔を顰めた。



「話の中身を言え、阿呆」



 辛辣な返しと思われるかもしれないが、彼女の久遠に対する態度としてはかなり優しい方だ。

 久遠もそれをわかっているのか、ゆるり、と笑いながら彼女の方へ振り返り、言葉をこぼす。



「あの人とおんなじことを、だ」



 岩の目が溢れそうなほどに開かれる。

 その時、岩の頭の中には遠い遠い、懐かしい記憶が浮かんだ。

 この世で、いや、どの世界を探したところで、あの美しい人ほど月が似合う人はいなかった。



 あぁ、こいつの口から【あの人】という言葉が出てきたのは、いつぶりだろうか。



 そんなことを思うと同時に、なぜ、今このタイミングでこいつは自分に昔のことを掘り起こすようなことを言ってきたのだろうと怒りがわく。




 まだ、昔のことを消化しきれてないというのに。


 まだ、あの人の目を潰すような輝きを忘れられないというのに。




 思わず、久遠の胸ぐらを掴む。


 蛍光ピンクの瞳を怒りで爛々と光らせ、自分を睨みつける岩をよそに、久遠は話を続ける。



「夜空で一番輝いているのは月だってさ、懐かしいよなァ、あの人もよく言ってた」



 そこまで言って、久遠がふと、顔を上げると、そこには今にも泣き出しそうな目をしながら顔を歪ませる岩がいた。

 どうやら昔の記憶を揺さぶられたせいで、少し精神が不安定になったようだった。

 


「…チッ」



 舌打ちをし、乱暴に自分の胸元ををまあまあ強めな力で突き放した岩に久遠はため息をつく。

 彼女のその様子は、まるで強がりをしている子どものようだった。

 まぁ、こんなふうになってしまったのは自分が昔のことをこぼしてしまったせいなので、久遠は甘んじて岩の態度を受け入れた。


 岩とは長年の付き合いだが、彼女のこういうところは本当に好きになれそうにない。


 もう少し泣くなり、喚くなりしてくれればいいものを。




「…本当に、可愛げのねェやつだ」





 ふと、周りの環境に久遠が耳を澄ませると、既に旅館全体が静寂に包まれていることに気づいた。この時間ともなると、もうみんな休むか寝てるかのどちらかだろう。


つまり、ここで何を話そうと、何をしようと、聞かれること、見られることはそうそう無い。


そのことを理解した瞬間、久遠は岩に手を伸ばした。

その手はそのまま、岩の頭へと置かれる。


岩は嫌そうに顔を顰めて手を振り払おうとしたが、久遠の顔を見て、それをやめた。


岩を撫でる久遠の表情は、彼女に対する親愛で満ちていたからだ。

頭が、この男はふざけてこのようなことをしているわけではなく、本気で自分のことを思いやってこのような行動をしていると理解してしまう。


岩はそっぽを向いた。

なんとなく、目を合わせたくなかった。

目を合わせると、張り詰めて張り詰めて、耐えてきた何かが切れそうな気がしたから。



「…クソ兄貴が」



岩の悪態を久遠はなんでもないことのように受け止める。

それもまた、彼女にとって少し苛立たしかった。


旅館が寝静まる中、そんな二人の様子を美しく輝く月だけが見ていた。

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