第9話 かっこいい幼女と幽霊



「っはぁ、はぁ…!!」


 玄は今、死に物狂いで走っていた。

 だが、走っても走っても、あの人形の氷のような手の感触が消えないし、周りの景色も変わらない。


 あれほど明るかった旅館の廊下は今は薄暗くなっており、ところどころボロボロになっている。


 それでもなお、走ってあの人形から逃げていた。




「ゲェンく、ンま、ッテ、マテ、まて、マぁてぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」



「ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」




 恐怖で涙を浮かべ大声で叫びながら、必死に足を動かし、後ろから追ってくる人形をなんとか振り払おうと逃げ続ける。


 そうこうしているうちに、周りの景色にやっと変化が出てきた。


 永遠に辿り着かないと思っていた廊下の突き当たりが、なんと目の前に現れたのだ。


 玄は思わずぶつかりそうになったが、必死に動き、道を曲がった。


 曲がった先には、またもや廊下があったが、ひとつだけ、先ほどの景色と違う点があった。それは、廊下の数ある部屋の中で、一部屋だけ襖が開いていた部屋があったのだ。


 玄は藁にもすがる思いでその部屋に駆け込み、大急ぎで襖を閉めた。


 そしてずるずるとへたり込むと、両手で口を覆った。一息も漏らすものかというように。




 かたかたかた…




 マネキンが歩く音が聞こえてくる。



「どォコ?ぉお、ドコなぁノォ?」



 息がひきつり、喉がカラカラに乾いていく。

 できる限り体を固め、絶対に動かないように身を潜める。玄にはそれくらいした身を守る術がなかったのだ。



「(早く、早くどっか行け!!

早く、 早く…!!)」



 どうして、己がこんな目に遭わなければならないのだろうか、どうして、と言う疑問がぐるぐると回る。





 いっそ、旅館に来るなんてならなかった方が…




 そんなネガティブな考えが思考を占めそうになった瞬間、



 バンッ!!!!!!!



「はひゅっ…!!!!」



 何かを叩きつける音が襖の裏で響く。玄はびくりと体を震わせ、涙を流しながらこの時間が早く終わることを目を瞑って祈った。



「いな、ァイ、イナイ、イなァいぃぃ…」



 どうやらあの化け物は玄に気づいておらず、癇癪を起こして暴れているようだった。

 玄はしばらくじっとしていると、その化け物は何処かへと消えていった。



「(行った、か…?)」



 そう思い、玄はほっと体の力を抜いた。

 周りをキョロキョロ見渡すと、部屋の中は薄暗いが、普通の部屋のようだ。


 ただ、ある違和感に玄は気づいた。



「この部屋…窓がない?、」



 窓がないなら、この部屋の光源はどこから…と思い顔を上に上げると、そこには白い人魂がゆらゆらと浮いていた。



「ひぃっ!?」


 悲鳴を上げた玄を嘲笑うかのように人魂は揺れる。


 その人魂はだんだんとどす黒くなっていき、最後には真っ黒になった。

 部屋全体が暗く染まる。

 真っ黒になった人魂は人の形をとりながら、玄の方へと近づいてくる。


 玄は焦った。

 このままではきっと碌なことにならない。


 そう思っていると、突然、人魂にぎょろりと無数の目玉が現れた。全身に夥しくあるそれは全て玄の方を見つめていた。



「く、るな!来るなぁ!!」


 すっかり腰が抜けてしまった玄は必死に這いつくばりながら人魂から逃げた。そんな玄を見て、人魂に浮かんだ目玉たちは面白そうに、にたり、と笑う。


 震える体を動かし、襖を開けると、玄は這いながら逃げた。とにかく必死だった。

 しかし人魂から見たら滑稽以外の何ものでもなかったらしくこの世のものではない笑い声をあげながら玄を追いかけてくる。



「あはァハハぁは!!!!!」



 玄をいたぶるように追いかける人魂、

 そんな人魂に追いつかれまいと死に物狂いで逃げる玄。


 しかし、そんな状況の玄をさらに絶望させる出来事が起きた。



「ミィつケえタァ!!!!!」


「っ…!!!」




 逃げている方向から、ものすごいスピードで例の秋の偽物であるマネキンが走ってきたのだ。カタカタという音がどんどん玄の方へと迫ってくる。



 もうだめだ、玄はそう諦め、動きを止めた。


 動きを止めた玄にゆっくりと化け物二人が近づき、手を伸ばす。






 そのとき、轟音が響いた。







「!!?」



 化け物も玄も、動きを止めた。


 音は何度も続き、次第に何かを叩きつける音から、何かが割れる音へと変わった。


 化け物たちはその音を聞いて、怯えているようだった。


 バキッ、バキッと耳障りな音が何度も響く。


 そして、最後に、何かが完全に砕け散った音が聞こえた。


 その音が聞こえた瞬間、玄の頭上の空間からまるで割れたような歪みが現れ、そこから赤い炎が噴き出した。



「「ぎャあァぁあぁ!!!!!!」」



 その炎は化物だけを燃やしたかと思うと、玄の周りの空間をも燃やし始めた。

 玄は周りが炎に包まれているのに、なぜか安心感を覚えた。


 この炎は、自分に危害を加えない。


 そんな確信があった。

 それに、玄は炎といえば、と言う人物を一人だけ知っていた。



「玄くん!!!」



 炎と同じくらい、真っ赤な瞳を持った彼女の声が響いた。


 玄は声が聞こえた方向、歪みの中に迷い中飛び込んで行った。









 __________________









「はぁ、はぁ…!!!」



「久遠ちゃん、玄くん確保したよ」



「よくやった、秋」



 歪みに飛び込んだ瞬間、玄は旅館の廊下に放り出された。

 そこは先ほどまでとは違い、いつも通りの、綺麗で明るい旅館の廊下だった。


 玄は安心から既にぐしゃぐしゃな顔をさらに歪め、ボロボロと涙を流した。



「あきぢゃん!!!!!」


「玄くん、怖かったねぇ、もう大丈夫だからね」



 幼女に縋り付く成人男性という側から見たらかなりやばい絵面だが、玄からしたらそんなこと気にしている暇はない上に、今一番安心できるのが秋のそばだった。


 秋の、おそらく高級であろう着物に涙と鼻水がついていく、秋は汚いよ、玄くん、と言いながらも玄の頭を撫でる手を止めなかった。



「秋、玄を慰めるのもいいが、『アレ』の確保はどうする?」


「安心していいよ久遠ちゃん。多分そろそろあっちから来る。」



 なんの話だと泣きながら玄がそう思っていると、歪みの中から悲鳴と足音が聞こえた。

 そして、急に、歪みの中から人が飛び出してきた。




「きゃあぁ!!!、あっついんですけどマジで!!!!」




 出てきたのは女性だった。

 黒髪をウルフカットにしていて前髪がかなり長かった。だが、その長い前髪の間から除く目はくりくりとしていて大きく、瞳の色も同じく黒色だ。服はダボっとしたセーターに短パンを履いていた。


 そして、極め付けはその足だ。


 彼女の足は透けていたのだ。



「透けて…っ!?」


 玄が彼女の足の不自然さに気づくと、彼女は揶揄うような顔をして、


「えー?、やーんえっちー!、乙女の生足ジロジロ見るなんて、ェ゛!?!」


「なぁにが乙女だ!!このアホ!!!」


 玄をからかおうとした彼女の頭を久遠はお札でバシンっと思いっきり叩いた。

 女性を叩くなんて…と玄は思ったが、

 秋から付け足された一言でそんな気持ちは霧散した。



「玄くん、あれが玄くんを怖がらせた元凶だよ」


「もっとやっちゃってください、久遠さん」



 玄のその言葉を聞いて彼女はひっどーいと言うと、さらに久遠に叩かれていた。


 その様子を見た玄はやっと気持ちが落ち着いてきた。


 そして、改めて気になっていたことを聞いた。



「彼女は?」


「あの子は柳田御化やなぎだみか、見ての通り幽霊。ほら、足透けてるし、実体がないからお札越しでしか触れないの、久遠ちゃん、お札越しに叩いてたでしょ?」


「ゆうれい…」


「ちなみに玄くんが会った引っ越し業者もあの子だよ。」


「えっ!?!」



 玄はびっくりした。だってあの時会った引っ越し業者は男だったのだから。


 柳田御化と呼ばれたあの子はどこからどう見ても女だ。


 驚く玄を尻目に、今度は久遠が言葉を紡いだ。



「御化は中国の方で色んな術を仙人から習ってた奴なんだ。だが死んだ後はふらふら彷徨っていたらしく、そうこうしているうちに、ここの旅館に辿りついて、色々あって従業員になった」



「それが性別とどういう関係が…?」



「御化が仙人から習った術の中には、性別を変える術があるらしく、それで本人はよくそれで性別を変えているのさ。


 本人も、元の性別がどっちかなんて死んだ時に記憶がいくらか吹っ飛んだ影響で覚えてないらしいけどな」




 だから乙女と言った時に久遠は否定したのか…と玄は納得した。

 説明を終えた久遠は改めて御化と向き合うと、頭痛い…と呟く彼女の胸ぐらをお札越しにむんずと掴んだ。



「で?、なんでこんなことしたんだ?」


「え?、理由とかいるの?そんなん楽しそうだからに決まってるじゃん!!」



 目をキラキラさせてそう言い放った御化に、久遠は今度は彼女を背負い投げした。

 あまり見事だったため、玄は思わず拍手をしそうになった。


 秋は実際に拍手をした。

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