第XVI章 ダーウィン研究会

「あぁ、やっと終わったぁ。」

答案用紙が回収されると、房江は思いっきり伸びをした。

「どうだった?」

と、隣のリュウノスケが声を掛けてくる。

「まぁまぁかな。リュウノスケは?」

「ぼちぼちかな。」

「何それ!?」

まだ高校一年の一学期である。期末と言っても、まだ高校にも入ったばかりだし、受験も先だ。それほどの緊張感がある訳ではなく、どの生徒の顔にも余裕が浮かんでいた。

「じゃぁ、俺ちょっと洋平誘って、買い出しに行ってくるわ。」

「うん、お願い。私、先に行ってチャイティーとか作ってるから。」

「オゥ、なんかリクエストある?」

「えーと、やっぱりフレンチクルーラーかな。後、あったら季節限定の奴。抹茶とかゴディバとか。」

「了解。」

「後、ダッチの分のポン・デ・ショコラも忘れないでねー。あぁ、それから領収書もねぇー。」

後ろ手に手を振るリュウノスケ。

そう言ってリュウノスケと別れた房江は、その足で理科室に向かった。今日は理科の担任のビーカーこと三枝の誕生日であった。そのバースデーを理科室でドーナツパーティーで祝おうという趣向である。勿論、期末試験終了記念でもある。

「こんにちはぁ。」

理科室の扉を開けると、中では三枝が机やら椅子やら飼育用のプラケースやらの配置を移動していた。

「あ、ナナフシちゃんもいるんだぁ。」

「あぁ、みんな好きみたいだからね。ほらこっちにはハナカマキリもいるよ。」

ナナフシのプラケースの隣には、ランの花と共に房江お気に入りの、表参道や南青山の花壇にいそうなハナカマキリのプラケースも配置されていた。

房江は嬉しそうに、

「この子たちも一緒ですね。」

とほほ笑んだ。

その通り、まるで三枝は、パーティーに虫たちも参加させるつもりのようだった。

房江は手慣れた様子でフラスコに水を汲むと、アルコールランプに火を点けた。どうやら持参したチャイティーの茶葉を煮出すらしい。

三枝が近寄り、

「何だ、如月、フラスコで紅茶か?」

「へへ、なんだか理科室らしいかなって思って。」

そう言って舌を出した。

「まぁ、好きにすればいいさ。」

「先生、牛乳ってありましたよね。」

「あぁ、冷蔵庫に入ってるよ。」

「なら、先生、紅茶じゃなくって、チャイティーにしますから。」

そう言う房江に、

「お、おぅ、チャイティー?」

とやがて小声になり、良く分かっていないような三枝だが、

「あぁ、マック?いやマックじゃそんなの売ってなくて、ドトール?あそこもコーヒーだし、、、ルノワール?ウンな訳ないなぁ、、、」

そこへ、

「こんにちは。おぅ、如月はもう来てるんだな。」

そう言いながら入ってきたのは、社会科の担任のダッチこと園田であった。

「あ、先生、こんにちは。」

「奴らは?」

「今、ドーナツ買いに行ってます。」

「おぅ、そうか。」

実は、この日のお祝いの軍資金は園田が調達していた。

「領収書は学校名入りでもらうように言ってくれたよな。」

「はーい。」

何で領収書が必要なのかは、この後に説明されるので、今しばらくお待ちいただきたい。

「私はここで良いかな。」

「はい、僕はこっちに座って、みんなは、、、」

と、三枝が誘導する。

園田は、その丸椅子に腰かけると、

「三枝先生もこれで三十三か。」

と口を開く。

「そうですね。」

「お嫁さんがどうたらこうたらとか言ったら、ハラスメントになっちゃいますからね。はい、チャイティーです。」

と言って、房江が園田の前にコップを置いた。中は淹れたてのチャイティーのようだ。

「ありがとう。でも、如月は小姑みたいなことを言うなぁ。」

「あ、それもハラスメント。そんなこと言ってるから、日本のジェンダーギャップは何時までも埋まらないんだからぁ。」

「小姑」という表現がアウトなのかセーフなのか。ジェンダー、ポリコレ、ハラスメント。迂闊な言葉を発せない時代である。

「いや私が言ったのはね、古来伝統的な日本語の正しい慣用句としてだね、甲斐甲斐しく世話焼きな、若くてきびきびした女性の愛らしさの表現としてだねぇ、その、、、」

と、房江に出されたチャイティーを啜り、

「おぅ、こりゃ美味いね。」

「そうですか、なら私も、、、」

と三枝もチャイティーを飲む。

「おぅ、流石フラスコで淹れただけはあるね。」

などと言って、園田に不審がられたりした。

そんなことをしていると、がらりと扉が開き、

「遅くなりましたぁ。」「チーっす。」

と、リュウノスケと洋平が入ってきた。それぞれドーナツの箱らしきものを手にしている。

「わぁー、こっちこっち。」

と房江に誘導され、買ってきたドーナツを取り出しては並べる三人。

「ポン・デ・ショコラは園田先生で、フレンチクルーラーは私でしょ。三枝先生はエンゼルクリームだからぁ、、、」

ドーナツパーティーの始まりであった。

園田が一応の開会スピーチを述べる。

「えー、今日は三枝先生の第三十三回目の誕生日をお祝いしまして、ささやかながらみなさんと虫たちと、この空洞のあるリング型の食べ物で、短い時間ですが楽しいひと時を送りたいと思います。」

「結婚式みたい。」

と小声で茶々を入れる房江に、洋平が人差し指を口元に立てて無言で制止する。

「それではみなさん、ご起立ください。」

全員が起立する。園田がそれぞれの顔を見渡し、

「カンパーイ。」

それを合図に、それぞれが、

「カンパーイ。」「カンパーイ。」「カンパーイ。」「カンパーイ。」

一しきり、コップや湯呑で乾杯をした後は、

「さぁ、お召し上がりください。みんな自分の好みのが終わったら、中央にある期間限定は早い者勝ちですからね。」

房江が言うように、それぞれの前には、指定していた種類のドーナツが配られ、真ん中にはそれ以外の抹茶やチョコの色鮮やかなドーナツが盛られていた。

「ウワ、フレンチクルーラー、柔らか、、、」

そんな房江の横で、園田がポン・デ・リングを二つに裂いて、美味しそうにリングの球を一つづつ口に入れている。三枝はエンゼルクリームが飛び出そうで、やや食べにくそうだ。それでも、みんな笑顔である。

暫くすると、三枝が喋り出した。

「えーと、みんな食べながら聞いてください。」

そういうと、デスクから持ってきた一枚の書類を取り出した。

「じゃーん。」

といって、みんなに見えるようにその紙を両手で突き出す。

覗き込む房江、リュウノスケ、そして良平。

その紙には、

「部活動認定書」

とあった。

「あ、何?、、、」

房江が書類に書かれている文章を読みだした。

「本校は、貴研究会の活動を正式な文化部活動として、ここに認定いたします。研究会名、ダーウィン研究会」

眼と眼を合わせる三人。

「ということは、私たちって、正式な部活になったんですか?」

嬉しそうに三枝と園田に確認する房江。

「そうだよ、正式なダーウィン研究会って言う部活さ。」

三枝が答える。

「だからですね、ドーナツ買う時、学校名入れて領収書をもらって来いって言ったのは。」

房代が園田に向き直る。

「あぁ、一応節目のお祝いぐらいは、経費で落としてたいじゃないかってね、パァーッと。」

園田のその言い方面白いのか、

「パァーと、というにはかなり落ち着いてますけど、、、」

というリュウノスケに、

「何言ってんのよ、天下のミスドに、私の淹れたチャイティーよ。」

と答える房江。

「あぁ、如月のチャイティーに、このエンゼルクリームは、優勝!」

そう言ってサムアップする三枝の多少の浮き具合は、優しく許容する三人の高校生たち。

園田が口を開く。

「みんながさ、如月の直立二足歩行とか、多様性はあり過ぎはしないかとか、色々三枝先生に聞いたりしていたし、私も色々相談を受けていたじゃないか、、、」

そう言えば色々あったものではある。

「そうしているうちに、三枝先生から相談があってね、あんなにみんな興味を持っているなら、進化論をテーマにしたちゃんとした活動にしたらどうかって、持ちかけられたんだよ。」

三枝が引き取る。

「まぁ、他校でも似た活動しているところもあるし、日本には正式な進化論の学会もあるみたいだし、そう言った外部の活動を本格的に調べてみて、出来れば交流したりしてみると、刺激にもなるだろ。」

これには大賛成の三人である。

「うわぁ、何か凄いことになってきたぁ。」

と房江が言えば、

「瓢箪から駒って感じだけど、やらない手はないって感じがする。」

とは洋平で、

「何か、脱オタクって感じなんですかね、俺の場合。」

とはリュウノスケである。

「みんなにそう言ってもらえると嬉しいよ。」

と園田が、ちょっと落ち着いたトーンで口を開く。

「でも、アメリカでは、進化論はかなりヤバい扱いになっている。」

その言葉に思わず注目する三人。

「基本的にはキリスト教の影響で、進化論は否定している人が多い。」

「え?進化論を否定?」

「キリスト教の」

「影響で?」

驚く三人。

「あぁ、だって神が天地を創造して、その神の子がイエス・キリストなんだからさぁ、、、」

そう横からフォローする三枝に、

「あー、確かに進化論だと、神様のその大元がサルってことになっちゃいますね、、、」

とリュウノスケ。

「だから、アメリカでは進化論に関する、裁判や法律などもできたりしたんだ。」

そう言う園田に、

「でも、科学的にみて、アメリカ人は進化論を本当に否定しているんですか?」

洋平が直球で問いかける。

「まぁ、若い世代は理解する人が多いようだけど、なんて言うのかな、、、」

と園田は口ごもるが、

「でも、日本人で天皇が神様って思っている人って、そのなんと言うか、政治的なことじゃなくて、、、ぶっちゃけもういないですよね。」

と、追いかける洋平。三枝がフォローに入る。

「だから、そこら辺も部活のテーマにすればいいんだと思うんだよ。」

続ける三枝。

「アメリカだけじゃない。ヨーロッパでは、進化論はナチスに悪用されたりして、それはそれでまた色々ある。」

優生学との関連であろう。ご存じの方も多いと思う。

「それだけじゃない、中東なら、こっちは当然イスラム教との関係はどうってなるし、インドならヒンズー教だろう。中国、韓国、東南アジアではどうなのか、、、」

「そうか、それぞれ違うんだぁ。」

房江が大きなため息をつく。

「進化論自体も、世界に適応できるかどうかって、まさに自然淘汰に直面してるって訳だ。」

これは間違いなく凄く良いことを言った体で周りを見渡したが、思った通りスルーされるリュウノスケ。

そこで話題を元に戻す園田。

「とまあ、考えると色々テーマが掘り出せるし、連絡を取ることが出来れば外部との交流も可能なので、これをきっかけにダーウィン研究会の立ち上げとなりました。」

「わ~い。」「わ~い。」「わ~い。」

と、拍手。

「顧問は、不肖、わたくしが務めさせていただき、副顧問は三枝先生にお願いしたいと思います。」

お辞儀の三枝。拍手。

「で、部長は如月にやってもらおうと思うのだが、どうだろう。」

「私で務まるかしら。」

などという房江だが、

「お前なら、生徒会に負けるわけないよ。」

とリュウノスケ。

「じゃぁ、副部長はリュウノスケ?」

「なんで俺が?」

「だって、進化論に一番詳しいじゃん。」

園田と三枝も異議はないようだ。

「まぁ、そうなるな。」「そうですね。」

「じゃぁ、俺はパシリか。」

洋平である。

「ハ、ハ、パシリだ。」

リュウノスケが囃す。

「うるせぇなぁ、、、」

そのままリュウノスケと洋平のじゃれ合いが始まる。笑みを浮かべてそれを見る房江。そして園田と三枝。

暫くして場が落ち着いた。

「如月は、何が一番興味を持った?」

三枝が聞く。

「私は、直立二足歩行から始まったでしょ、そしてハヌマンラングールちゃんの子殺しにびっくりしてぇ、、、」

宙を見つめ、ここまでを思い返す房江。

「やっぱ、突然変異かな。」

と一言。

「あ、それから三枝先生、調べたら結構失敗したレシピから出来た美味しいものってあるみたいでした。」

そう言うと、食べていたドーナツを指さし、

「このドーナツって言うのも、アメリカのある船乗りが、母親の作る揚げ物の真ん中がいつも生焼けだったから、仕方なくフォークで真ん中を空洞にしたのが始まり何ですって。」

「へー、それが美味しいし、食べやすいし、形も面白いって、なったのか。」

と三枝。

話についていけない他の三人に、

「これも突然変異による進化の例ってこと。」

と、房江がウィンクする。頷く三人。

「榊原はどうだ?」

三枝が洋平に促す。

「僕は、変な意味じゃないっすけど、、、」

と前置きし、

「同性愛ですかね。」

「ホ~。」「ホ~。」「ホ~。」「ホ~。」

という反応。

「だって、人間だけじゃなくって、動物にも昆虫にもいるわけじゃないですか。本当だったら、動物園だって、オス、メス、おかま、とかって展示しなきゃいけないわけですよ。動物園にもLGBTってね。」

「バカ!」

笑顔で突っ込む房江。

「その上、タイでは性別が18種類って言うんだから、今ある仮説だけじゃ収まらないって言うのかなぁ、もしかしたらワンチャン俺にも何か出来そうだって言うのかなぁ、、、」

そんな洋平を笑顔で見つめる四人。

「で、林はどうなんだ?」

最後はリュウノスケだ。

「僕は、元々DNAの螺旋模様の美しさにひかれて、DNAって言うか、染色体って言うか、遺伝子ってどんなもんかなってのが取っ掛かりだったんですけど、、、」

リュウノスケらしい。

「そこから今は、やっぱり顔かな。」

これも、

「ホ~。」「ホ~。」「ホ~。」「ホ~。」

だった。

「知性含めてですけどね。でも、人間が知性とか知能を高めたってのは素直に理解できるのに、顔も変えたってのは、なんちゅうか、当たり前のようで不思議なようで、、、」

他の二人は特に頷いているようだった。

三枝が園田を見ると、それを受け取るように園田が口を開いた。

「いまみんなが言ってくれたように、それぞれ課題が見つかっているようだ。そこで、まずはこの夏休みに、それぞれその課題をレポートにまとめてもらう。別に長くなくていいから安心してね。ポイントだけをぎゅっと濃縮した感じと言えばいいかな。」

三枝が引き継ぐ。

「その課題を、私と園田先生と、それからみんなで論議していき、ある程度まとまった活動方針にする。それを多分、秋の学園祭とかのタイミングで校内発表するんだな。」

また、園田である。

「そうやって今年度中に活動の形を明確にしていって、来年度には新入生を勧誘して、第二期生を募集するってことだ。」

「私たちが先輩になるってことね。」

はしゃいだ声で房江が喜ぶ。

「当たり前だろ、部活なんだから。」

とはリュウノスケ。

「それでやっと、俺もパシリは卒業だな。」

スルーされる洋平。

続ける園田。

「君たちが卒業するころには、このダーウィン研究会はしっかりした部活動を展開していて、うちの学校を代表するような存在になっているかもしれないって訳だ。」

陽気に、

「県立のダーウィン研究会って凄いみたいだぜ、とか他校から噂されてるとかね。」

リュウノスケが言う。

「だったら、リュウノスケ、キャリーに言って見たら。」

房江が言う。

「何て言うんだよ?」

「付属でも作ってみたらって。」

「付属のダーウィン研究会をか?」

「そう、付属のダーウィン研究会。」

意味が通じない三枝と園田に、

「リュウノスケったら、付属の可愛い女子と付き合ってるんです。」

と告げ口する房江。

「付き合ってなんかいねぇよ。」

「いいって、いいって、、、」

といいながら、

『こういう奴なんで許してやっておくんなさい。』

というジェスチャーをする房江。

何故か理解できる三枝と園田。

「でも、これで夏休みの課題ははっきりしたな。」

洋平が言う。

「夏休みだけでなく、高校三年までの課題もな。」

リュウノスケが言った。

「何か一気に扉が開いたみたいだね。」

房江が呟いた。

その通りだった。高校一年の夏休みを前にして、一気に扉が開いたようだった。彼らの前には彼らの青春の一時期を過ごすべき、目標と課題が大きく広がっていた。

開け放った窓から、ちょっと生暖かくどこか優しい風が吹きこんでいた。その先のどこまでも明るく見通しのいい初夏の青空の下に、それらは広がっているようだった。

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