第Ⅹ章 コップの中の嵐

「ダッチがさぁ、文系はヤバいとかどうのって言ってたんだって!?」

そう聞くのは洋平である。リュウノスケと房江が聞き役のようだ。場所は放課後の教室である。

「あぁ、俺が理系でいいみたいなことを言った時の事だろ。」

と、答えるのはリュウノスケである。三人は放課後も教室に残っていたようであった。

リュウノスケは進化論オタクだったから、自分でもてっきり理系に進もうと思っていた。すると園田は、

「そりゃぁいい、文系はヤバいからね。」

と、何かの話のついでに何気なく言ったという。確かに何気ない言葉ではあったが、妙に気になったリュウノスケは、

「文系ってヤバいんですか?」

と聞くと、

「今はヤバいだろうねぇ。理系の方が無難だろうなぁ。」

とのことだった。だが、そう言われると、逆に興味が湧くというものである。

「その理由って、教えてもらえませんか?」

と聞いてしまったリュウノスケだったという。

「それで、ダッチがその説明を放課後にしに来てくれるわけ?」

ダッチとは園田ッチの略で、要は園田のことを言うらしい。三枝は理科担当だからビーカーということだが、園田はそのまま園田ッチで、更に略してダッチらしい。オランダとの関係はない。脈絡は見当たらないが、学校の先生のあだ名とは昔からそんなものでもある。

「えぇ、ちょっと説明してくれるって。」

と答えるのは房江。

「房江とリュウノスケの二人だけのためにか?」

洋平が二人のクラスを訪問するいつもの形だ。

「いや、一応、クラスの全員に向けてなんだけど、、、」

「みんな忙しいんじゃないかしら。」

どうやら園田の提案に反応したのは、リュウノスケと房江の二人だけだったらしい。

「じゃぁ、他のクラスから参加する俺は、よっぽどな暇人っていうわけ?」

洋平は別のクラスだから、特別参加のようなものだ。

「まぁね、そうかもしれないわね。」

「お前ぐらいなんだって、そんな暇なのは。」

「何だ、それ?」


そんなこんなで、三人が放課後教室に居残ってると、ほどなく園田が教室の扉を開けて現れた。

「おぉ、待たせて済まなかったな。」

「先生、体調はもういいんですか?」

房江が代表するかのように、園田の体調を気遣った。

「あぁ、もう大丈夫さ。忌野清志郎も五十八で亡くなったみたいだから、俺も気を付けないとね。」

と、訳の分からない軽口を叩くと、

「心配して損したぁ。」

と房江が可愛い顔で、肩を竦めた。笑顔で園田はそれを見ながら、

『空元気も出してみるもんだな。』

と内心思いつつ、

「さて、どこから始めるか、、、」

と口を開いた。

園田は教壇に立ち、三人は席に着く。

続けて園田は、

「今日の主題は、文系の危機についてだ。」

と切り出した。

危機と聞いて三人の顔が少しこわばる。

「最近進化論が見直されるようになって、改めて色々なことが根本から考え直されるようになったんだ。」

「でも、進化論はどちらかというと、本来理系の学問ですよね。」

いきなり喰い付いたのは、やはり進化論オタクのリュウノスケである。

「確かにその通りで、通常進化論は理系の問題ではあるんだが、実は文系にも、というか、文系の方にこそ大きな影響があると言ってもいいかもしれないんだ。」

園田の口調は穏やかだったが、決して軽くはなかった。

「きっと、これから文系理系を選択する上でも、この話は重要になると思う。」

高校一年の三人が、理系あるいは文系を選択するのはちょうどこれからだった。

「だから、進化論好きの林も含めて、興味があるのなら、まじめに聞いて欲しいと思っている。」

そう言って、園田は三人の顔をそれぞれ見つめ、なおも言葉を続けた。

「そのためにはまず、文系というもの、そしてその根幹にある哲学というものから話さないといけない。良いかね?」

聞き手の三人はしっかりと頷いた。


そう言うと、園田は次のような話を始めた。

理系というのは、説明するまでもなく、物理学や化学に代表されるとおり、実在するもの、言い換えるなら自然が作り出したものを研究するものである。微小な大腸菌を研究する生物学も、広大な宇宙を観測する天文学も、全て自然が生み出したものが研究する対象ということなので、理系に区分されるわけである。自然科学などと呼ばれるものだ。

一方、文系はというと文学は芸術の一形態としてある意味で特殊かもしれないが、政治や経済などは人が作り出すものが研究対象となる。宗教や倫理といったものも人が生み出すものだから、当然文系の研究対象である。人文科学などと呼ばれるものと考えていいだろう。

「その中でも、哲学というのは、全ての文系の学問の中で、ある種特別な地位というか、全ての文系の出発点、みたいな位置付けだった。」

ここで言う園田の哲学とは、正確に言うと形而上学と言えるのかもしれないが、言わんとするところはご理解いただけると思う。

「まぁ、簡単に言えば、人間とは何ぞや、みたいなことを考える学問なわけだ。」

とのことである。三人の顔を見て、一応納得感があるようなので、園田は先に進んだ。

「更にその、人間とは何ぞや、というのは、誤解を恐れずざっくり言えば『存在論』と『認識論』と言うことができる。」

一応、この場の話はヨーロッパの哲学に限った話題と思ってもらって構わない。一般に「哲学」といった場合の哲学である。インドや中国、更には他の地域でも色々な哲学はあると思うが、ここでの会話の範囲には入っていないと考えてもらっていいと思う。

「『存在論』と『認識論』?!」

わかったような分からないような三人。優しく頷き、先を続ける園田。

「『存在論』とは存在そのものの意味を考えるものであり、『認識論』とは、その存在は認識できるかどうかを考えるものだ。」

更にわかったようで分からなくなった三人だったが、リュウノスケがこう呟く。

「我思う故に我あり、って誰の言葉でしたっけ?」

「あ、聞いたことある!」

「俺もあるな。誰だっけ?」

房江と洋平も同意する。

「デカルトの言葉だな。認識論を一言で表したような言葉かな。」

園田が答える。

「何で認識論なんですか?」

房江が何か考え込むように聞く。園田はゆっくりと自分も頭を整理するかのように答える。

「例えば、夢を見ているとする。夢で起きたことは現実ではない。でも、夢を見たことだけは事実だ。つまり夢自体は認識できる、ということになる。そんなこと一言で表すと、」

「我思う故に我あり、ってことになるということですか?」

房江はまだ納得がいかないようである。

「その通り。」

「でも、それだと認識とも言えるし、存在ともいえるのでは?」

そんな房江に園田は笑顔で答える。

「如月は哲学的な考え方をするな。」

「いえ、それほどでも。」

不意に褒められた房江は、ぎこちなく謙遜する。

「ヒュー。」「ヒュー。」

そんな房江をリュウノスケと洋平がはやし立てる。無言で睨みつける房江。

「存在論というのは、存在の意味だが、もっと言うと人間の意味は何か、みたいなものとも言える。」

「人間の意味?」

三人は腑に落ちない。

「あぁ、人間が生まれた意味、あるいは知性の意味って言ったらいいかな。」

「知性の意味?」

三人を代表するのは、どうやら房江のようである。

「だって、人間だけだろ、知性があるのって。」

「まぁ、」「そうですけど。」

リュウノスケも洋平も不満はないようだが、納得もしてはいないようだ。

「だから、何で知性を持ったのかを考えるわけだよ。」

園田が諭すように繰り返す。

「そんな知性を持った人間は、きっと何かの意味があってそうなったんじゃないかってね。」

「あぁ、そうか、でも、、、」

それから二時間ほど「存在論」と「認識論」に話が及ぶ園田と房江たち。その多くは哲学入門といった内容と大差ないので、ここに紹介するまでもないだろう。一般の書籍やウェブにあるものと考えていただいて問題ない。ただ、中には次のような会話もあった。

「そのヘーゲルが言った弁証法って良く分からないんですけど。」

そう言ったのは房江であった。

ヘーゲルの弁証法とは、みなさんご承知のテーゼとアンチテーゼが対立し、その対立がアウフヘーベンされてジンテーゼになるというものである。因みにこの弁証法の例としてよく挙げられるのは、マルクスの経済理論である。プロレタリアートとブルジョアジーが対立して、新たなジンテーゼとしての共産主義が生まれるというものだ。

「でも、ソ連って崩壊しちゃいましたよねぇ。」

とは、リュウノスケ。

確かに、ソ連は崩壊してしまっているので、弁証法の実例としては良いのか悪いのか良く分からない。中には中国や北朝鮮、そしてベトナム、ラオス、更にはキューバがある、といわれる方もおられるかもしれない。そう言えば日本国内にも、いまだにその名を冠した政党もある。まぁ、それを勘案しても、ジンテーゼと言うのは無理があるだろう。

その他の弁証法の例としては、環境と経済性の矛盾もあるようだ。環境に悪くても経済性が優先されて、氷が解けてしまったり、小規模動物が絶滅の危機に晒されたりする。しかし、消費者運動や企業努力により、クリーンなエネルギーや食の安全がやがて実現するのだ。つまり、環境というテーゼに、経済性というアンチテーゼが対立し、その葛藤が止揚されてクリーンなエネルギー社会というジンテーゼが生み出される、というわけだ。

「でも、それがジンテーゼ何ですかねぇ。技術進歩とマーケットの大きさな気がするけどなぁ。」

最近の高校生の発言だ。

確かにこう洋平が言うように、これは突き詰めれば技術革新と需要と供給の問題なので、あまりいい例とは言えないだろう。ハイブリッドカーなどはワンオブゼムの解の一つであり、水素自動車だって核融合だってある。だから、対立から生まれたジンテーゼというものとは違う気もするのである。

まぁ、拘り過ぎても仕方がないかもしれない。この辺で戻ることにしよう。

「俺は何となくわかるよ、テーゼとアンチテーゼが対立してどうのこうのって。」

「俺も分かる気がするなぁ。」

リュウノスケも洋平も弁証法がわかるという。園田は面白がって理由を聞く。

「なんでわかる気がする?」

口元に手をやり、考えながら答えるリュウノスケ。

「いや、何となくですけど、ライバル同士がリスペクトし合うとか、、、」

フォローする洋平。

「そうそう、熱血スポコンマンガにありがちだけど、敵対するライバルって大体親友になるもんな。」

「え?なんか、それ、単純すぎない?!」

とは房江の感想である。

「ハ、ハ、弁証法が単純だとは、ヘーゲルもお手上げだね。」

そう言う園田も楽しそうに続ける。

「でも、私も一番最初に弁証法を聞いた時には、当時テレビでやっていた『細うで繁盛記』というテレビドラマを思ったものさ。」

「はぁ?何ですか、その『細うで繁盛記』って?」

房江には初めて聞く言葉だったらしい。

「私が子供だった頃のテレビ番組でね、新珠三千代が演じる若女将が、冨士眞奈美演じる姑に、嫌と言うほど苛められるドラマなんだけどね、、、」

「何か、昭和感、満載っすね。」

リュウノスケである。

「あぁ、今ならコンプラとかポリコレに絶対に引っ掛かる奴ね。」

などと、洋平も思い浮かぶようである。

「確かにその通りで、その苛めっぷりっていったら、正に中年おばさんの苛めのお手本みたいな感じでね、今なら放送禁止になりそうなハラスメントのオンパレードさ、、、」

「ぎぇぇ、こぇぇ、、、」

「女って言うか、オバサンの苛めって言ったら、どんなだぁ?」

眼と眼を合わせるリュウノスケと洋平。横目でため息をつく房江。

「で、その『細うで繁盛記』が何で弁証法何ですか?」

やはり、房江はポイントを外さない。

「でだ、その新珠三千代がテーゼ、冨士眞奈美がアンチテーゼとするとだ、、、」

そう言って、園田は三人の顔を改めて見回して言葉を繋げた。

「ジンテーゼはどうなると思う?」

そう言って三人の答えを待つ園田。

「テーゼが新珠三千代って言われても、ピンと来ないなぁ。」

「ドロドロはするんだろうけど、弁証法ってドロドロするのかなぁ、、、」

「ドロドロって言うかネチネチって感じだけど、そもそもテレビドラマで、ジンテーゼとかあるんですかねぇ?」

房江も頭を捻る。

因みに「細うで繁盛記」とは花登筺原作の「銭の花」という小説をテレビドラマ化したものである。最近の人には橋田壽賀子などの方が、テレビドラマといえば思い浮かぶかも知れない。何れにせよ、そうした類のストーリーではある。

「ラストで仲良くなるんだよ。」

そう答える園田。

「それが弁証法ってことですか?」

承服出来ないといった房江の表情だったが、園田は園田で、

「当時の僕としてはね、弁証法のお手本のように思えたもんさ。」

といった具合で、簡単に引き下がるわけにも行かない。

「えぇ?そうですかぁ?そこは新珠三千代さんが、冨士眞奈美さんをやっつけてハッピーエンドになってくれないと、終われないんじゃないですか?」

「如月は案外武闘派なんだなぁ。言いたいことは分かるけど、それだと勧善懲悪になっちゃって、弁証法にはならないんだよ。」

良い機会なので、園田は房江に付き合うようだ。

「いえ、武闘派って言うか、苛めには屈しない強い意志が必要かなって、、、」

「あぁ、そう言う意味では、妥協と言うわけではないよ。冨士眞奈美もチャンと反省して、お互いが歩み寄るんだ。」

「お互い一歩も引かないのに、歩み寄るんですか、、、」

「あぁ、そうだな。どちらか一方が、どちらか一方にって訳ではなく、、、」

すると洋平が、

「ほら、是枝監督の『海街dairy』みたいなんじゃないの。如月さんも観てるよねぇ。」

「えぇ、綾瀬はるかとか広瀬すずが出た奴でしょ。」

房江の言うとおり、是枝監督の「海街diary」とは、吉田秋生による漫画を原作とした日本の実写映画で、監督・脚本は是枝裕和である。物語の中心となる四姉妹を綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが演じた2014年の作品で、姉妹の母親役は大竹しのぶが演じている。

「あれのラストの方で、綾瀬はるかが大竹しのぶを許すじゃん。あんな感じなんじゃない。」

観てない方にはネタバレになってしまって申し訳ない。確かに上記の映画では、長女役の綾瀬はるかが、確執のあった母親の大竹しのぶと和解する姿が描かれている。

「あぁ、あんな感じかぁ、、、」

まぁ、この映画で是枝氏が表現したかったものは弁証法ではないだろうが、房江が納得したのでよしとさせて頂こう。

「そ、そんな感じなのか?」

そう聞き返すのは園田の方である。

「あれ?先生は見てないんですか、『海街dairy』?」

「是枝作品なら『万引き家族』は観たけどね、、、」

同じく2018年の作品である。カンヌ映画祭でパルムドールを獲得している。

「DVD貸しましょうか?」

「あぁ、それなら折角だから借してもらおうかな。」

素直にそう言う園田に、洋平はサムアップとウィンクで応えた。


「細うで繁盛記」と「海街dairy」が弁証法であったかどうかはともかく、それからなんだかんだ二時間ほどで、アリストテレスからデカルト、カントそしてヘーゲルまでをおさらいした四人であった。流石に現代哲学というかポストモダンまでは行かなかったようだが、それでも西洋哲学のポイントを概括した四人であった。

「でも、なんかおかしいと思わないか?」

と、園田はここまで来て、不思議な質問を三人に問いかけた。

再びキツネにつままれたような三人。

「何か難しすぎるとは思わないか?」

ポストモダンに入ればもっと難しくなるのは間違いないが、この時点で難しすぎると園田は言った。何故か?

「ここまで西洋哲学という話に着いて来れた君達は、きっと哲学に向いていると思う。」

「それって、素直に喜んでいいんですか?」

半分笑顔で、房江が言葉を挟む。リュウノスケと洋平も笑顔だ。

「あぁ、素直に喜んで良いぞぉ。皮肉なんて一っ欠片もありゃしないからね。」

園田も笑顔で答える。

「ただ、この議論の先は、現代哲学お得意の構造主義、あるいはポストモダンと言うやつが待っている。」

「構造主義が何か悪いんですか?」

「ポストモダンとか、何気に良さ気な奴ですよね。」

リュウノスケと洋平に悪気は全くないようだ。逆に言うなら過剰な憧れも見ては取れない。

「構造主義やポストモダンが悪いとか間違ってるとか、そんなことは思わないし、言いたいわけでもない。」

園田は三人を見回した。そして続けた。

「この先には、レヴィストロースに始まり、デリダ、ドゥルーズ、ガタリ、そしてフーコーにラカンと続く。兎に角みんな難解で、分かり難いったらない。とっつきやすいと言えば、ロラン・バルトぐらいなもんだ。」

一息入れて、

「まぁ、そんな名前を並べてみては、知った被ってカッコつける奴も多いけどね。」

下唇を突き出して見せる園田。

笑顔で意味を受け取る三人。

園田は続ける。

「つまり、構造主義やポストモダンに入る前に十分難しい。そして、入って行けばもっと難しい。富士山にエベレストが乗っかっているようなもんだ。」

一息付く。

「ただ、何かおかしいとは、思わないか?」

園田の問い掛けが、ゆっくりと三人に浸透する。

園田は何かがおかしいと思っている。これまでの議論のどこかがおかしいのではないか、と疑っている。これまでの議論とは哲学の話だ。アリストテレスやソクラテスのギリシャに始まり、デカルトやカントを経てヘーゲルで完成した西洋哲学のことだ。

「じゃぁ、ちょっと思考実験をしてみよう。」

そう、園田は三人に促した。

「ここからレヴィストロースが西洋哲学っていうか、西洋文明そのものを混ぜっ返すことになるわけだ。」

半分分かったような、半分勢いに押し流されたような三人は、それぞれに頷く。

「でだ、混ぜっ返した小難しい中身は置いておくとしよう。飽くまで思考実験として考えるんだ。」

いいね、と、園田は念を押すように三人をみた。それぞれ、頷き返すリュウノスケ達。

「では問題だが、

『何で哲学だけ混ぜっ返すことが出来たんでしょうか?』

これが、問題だ。」

そう言うと、園田は窓の外に目をやった。もう真っ暗である。

「あぁ、もうこんな時間だ。」

三人もそれぞれ時間を確認する。

「この問題は明日に持ち越しだな。」

そう言う園田に、

「じゃぁ、明日DVD持ってきますね。」

と洋平。

今度は園田が、サムアップとウィンクをする番だった。


その夜、リュウノスケは一人で考えていた。一人というより、正確には一人と一匹だったが。

猫のコムサシはその夜も大人しく、何をするでもなく、リュウノスケのベッドに上がっていた。リュウノスケもベッドに寝そべり、コムサシを撫でるでもなくあやしてみては、天井を見つめていた。

園田の質問は捉えどころがないものだった。

『何で哲学だけ混ぜっ返すことが出来たのか?』

リュウノスケの頭に、その言葉だけが漂っていた。

ただ、西洋哲学が、レヴィストロースをきっかけに混ぜっ返されたことは、何となくリュウノスケも理解できた。

「それから構造主義とかポストモダンとか、ブームになったんだって。」

そうコムサシに語り掛けても、「ニャー」としか答えが返ってこないことは、リュウノスケにも分かっていた。

「本場のフランスでは1960年代って言うから、大昔だよなぁ。」

確かに今となっては大昔である。日本で流行ったのは浅田彰の「構造と力」が何と言ってもキッカケだろうから、本家に遅れること二十年の1980年代の事である。奇しくもバブルと同じころに西欧近代哲学、ないしはその後の続くポストモダンと呼ばれた哲学が日本でも流行ったと言うことである。

それにしても、リュウノスケ達にとっては大昔のことだ。

しかし園田の質問は、何故その混ぜっ返しが、哲学という範囲に収まったのか、ということである。逆にいうなら、なぜ哲学以外にはその混ぜっ返しの影響が及ばなかったのか、ということだ。

「建築にはかなりの影響は出たみたいだけどなぁ。」

リュウノスケは起き上がり、パソコンに向かった。コムサシは相変わらずベッドの上だ。

「でもなぁ、建築は覆されたって言うより、いい刺激を受けたって感じだよなぁ。」

今なら簡単に磯崎新や隅研吾の作品を検索できる。便利だ。

「でも、何か根底から覆されるようなことは、起きていないんだよなぁ。」

何度か考えてみたが、思いつくものがない。

「心理学とかあるかな。フロイトとかユングとか流行ったんだよなぁ。でもなぁ、、、」

ベッドを振り返ると、コムサシと眼が合った。

「ニャー」

と鳴いた。

「とばっちりは受けたかも知んないけどぉぉぉ、、、」

そう言いながらリュウノスケは、再びベッドに寝転がると、

「覆るっていう感じでもないんだよぉぉぉ、、、」

といって、両手でコムサシを抱き上げた。コムサシは嫌がりもせずに、されるがままに両足を宙でばたつかせた。

と、その時、

『洋平に電話してみるか。』

と思い付いた。

別に、一人で答えを出せと言われた訳ではないから、相談したってルール違反ではないはずだ。

コムサシをベッドに下ろし、頭をなでながら洋平に電話した。

「おぅ、どうした?」

都合よく、洋平はすぐに出た。

「どうしたって、例のダッチの宿題だよ。」

「あぁ、あの思考実験か?」

「そう、それ。お前どうなった?」

リュウノスケはストレートに聞いてみた。すると、

「わかる訳ないじゃん、だって問題がデカすぎるよ。」

洋平の一言目である。

「問題がデカすぎるか。」

「あぁ、漠然とし過ぎてるっていうか、、、」

洋平は言葉を区切って、自分にも思い込ませるような口調でゆっくりと話した。

「だって西洋哲学全体が混ぜっ返されたってことに対して、西洋哲学全体だけが上手い具合に混ぜっ返されて、それ以外はたいして被害がなかったって事だろ。」

洋平の問題把握もリュウノスケとほぼ同じであった。リュウノスケはそれを聞くと何となく嬉しくなった。

「そうだよ、西洋哲学は混ぜっ返されたっていうのに、それ以外は大したとばっちりは被らなかったって話だよ。」

「うん、待てよ、、、」

と電話の向こうで洋平の独り言が聞こえる。

『あれ?それなら漠然とし過ぎてるってことでもないのかな?』

洋平が、自分の言ったことを自分で翻すかのように噛み締める。

どうやら他人の言葉を聞いて、自分の言っている言葉を、改めて客観視し始めたらしい。

リュウノスケが口を開く。

「俺も最初はそう思ったんだよ、漠然とし過ぎてるし、影響だって色々あり過ぎるって、、、」

「おぉ、それで?」

今度は洋平が聞く番だ。

「そう考えるとさ、確かに建築とかは色々出来たし、心理学とかも矢鱈と盛んになったけど、何か根本から覆されるようなことって思い付かないなぁ、って思ったんだよ。」

リュウノスケのその言葉を頭の中で反芻してから、洋平は口を開いた。

「仮にさぁ、それが正しいとしたなら、どうなるんだ?」

「ちょっと待てよ。」

リュウノスケも何かが引っかかったみたいだ。ゆっくりと頭を整理しながら喋る。

「仮に、西洋哲学は混ぜっ返されたのに、それで根本から覆されるようなものが、西洋哲学以外にはなかったとしたらってことか?」

洋平もゆっくりと頭を整理しながら、同じ問いを反復する。

「あぁ、根本から覆されるようなものが、哲学以外にはなかったとしたら、どうなるんだ?」

「まるで、箱庭の中の出来事みたいにか?」

「あぁ、コップの中の嵐みたいに。」

二人は園田の質問の意図が明確になったと思えた一方で、その意図が意味するもう一つの問題に気が付いたようだった。気が付くと、互いにスマホの向こうで考え込んでしまっていた。

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