第Ⅶ章 顔の謎Ⅰ-忖度ってお得ー
「だからさぁ、そこから顔の話になったんだよ。」
そう話すのはリュウノスケである。
「だってD N A の話しをしていたんでしょ。」
そう問い質すのは、房江である。
「そうなんだけどね、何故か顔の話になっちゃったんだよ。」
「変なの。」
こう話し合うのは席が隣同士の、リュウノスケと房江である。ランチを食べた後のお昼休みの時間だ。
「って言うか顔の話は、興味深いなぁと言うか、言われてみればその通りなんだよなぁ。」
「その通りってどういうこと?」
まだ納得がいかない様子の房江である。
「房江さぁ、顔って真面目に考えたことある?」
と、リュウノスケが房江に向き直った。
「え?顔を真面目にって、どういうこと?」
「だから、人の顔は何故一人一人、違っているのかって言うことを、真剣に考えたことはありますか、ってこと。」
「え?この顔が?」
と自分で自分を指さす房江だが、
「そう、その今指さしたあなたの顔が、あなただけの顔だと言える理由。」
「い、いや、私だけの顔って言っても、、、」
「顔って全員違うじゃんかぁ。」
「えぇ、違うわよねぇ。」
「当たり前のように違うじゃんかぁ。」
「当たり前のように違うわね。」
「一人一人違うから、顔認証とか出来るわけじゃんかぁ。」
「えぇ、そうね。」
何となく圧倒される房江。
「あ、顔認証で一つ思い出した。」
リュウノスケが自ら横道に逸れる。
「え?何を思い出したの?」
「ちょっと昔のことでさぁ、まだA I も出来たてっていうか、まだちゃんとしていなかった頃のことなんだけどね。」
「へぇー、かなり前ね。」
思えばA I なしでは何もかもがいられなくなった今日である。日常生活のいたるところでA I は使われており、もはやそれを一々意識することも少なくなったくらいだ。しかし、それが世界で初めて注目を浴びたのは、それ程昔のことではない。。
「正しくはディープラーニングが出来ていなかった頃と言った方が良いかな。」
「ディープラーニング?」
その通りである。ディープラーニングとは、A I 、つまり日本語でいう所の機械学習で用いられる技術の一つである。2012年にトロント大学が発表した顔認識のモデルで採用されたのをきっかけに、世界的に有名になった。つまり現在のA I の大元とも言える技術で、日本語ではその名の通り深層学習と言う。それまでにない精度での顔認識を実現したものである。
「もともと顔認識って、猫かどうか判定できるかって競技会みたいなものがあってね、それの2012年の大会でトロント大学ってところが物凄い成績を叩きだしたんだよ。」
「トロントってカナダの?」
「あぁ、カナダのトロント大学のヒントン教授のチームが、猫の認識で物凄い成績を上げたんだ。」
「猫?」
「そう、猫。」
「リュウノスケの家にもいる、ムサシやコムサシみたいな猫?」
房江は、リュウノスケの家のムサシやコムサシを生で見たことはない。ただ、リュウノスケの携帯で画像や動画を見せてもらったことがある。なので、どんな猫かは知っているのであった。
「そう、ごく普通な猫。」
「どうやって?」
「写真を撮って、その写真が猫かどうかをコンピューターで判断するんだよ。」
それでも反応の薄い房江に、
「あれ、ちょっと、そんなこと簡単だと思ってる?」
房江が口をつぐんだのをリュウノスケは見逃してはいなかったようだ。
「いや、簡単だとは言わないけど、ただ猫かどうかを当てるだけの事よねぇ。」
「そう、その通り、ただ、猫かどうかだけさ。」
房江が念を押す。
「その猫が、ムサシだとか、コムサシだとか、見分けるってことじゃないのよね。」
「あぁ、今では個別の識別も出来るようになったけど、その当時は、猫か猫じゃないかって見分けるだけだったね。」
今では十分な画像データさえあれば、個体の猫や犬の識別もA I はしてしまうという。それこそ街中に撮影カメラをつければ、迷子の飼い猫などA I がたちどころに見つけてくれるかもしれない。それを人間に転用すれば、防犯の効果だってかなりあるだろう。まぁ、それを防犯というか監視というかは、人それぞれかもしれないが。
「しつこいようだけど、、、猫か猫じゃないかってことだけよね。」
まだ、房江にはピンと来ていないようだった。リュウノスケは説明の仕方を工夫してみることにした。
「普通に考えると、まず猫とはこれこれであるって決めるよな。まぁ、四本足だから人間とは違うとか、鳴き声がニャーだから、犬と違うとか、って考えるじゃないか。」
「まぁ、そう考えるわよねぇ。」
「つまり、猫とは何ぞや、みたいに定義をするんだな。」
「そうね、何が猫かを定義しないと、判断しようがないもんね。」
一見、当たり前のことのようである。
「じゃぁ、定義してみて。」
突然の意外な切り返しに戸惑う房江。それを見越してか、房江の答えを待たずに先に進むリュウノスケ。
「大昔のA I というか、まだ人工知能って呼ばれることが多かった頃はさぁ、そんな定義を厳密にコンピューターに覚えさせて、正しい回答をさせよう、なんて努力を世界中でしてたんだって。」
思いを巡らすようにして、話しについていく房江。
「現にI B M はコンピューターにあらゆるものの定義を詰め込んで、答えさせようとしたんだけど、、、」
正確に言えば、定義だけでなく経験則なども含まれるが、それは話したい主題ではない。あっさりと先に進む。
「だけどどうしたの?」
「確かにクイズ番組では、優勝した。」
優勝したのはワトソンというシステムである。
「凄い!」
「チェスのチャンピオンにも勝った。」
チェスに勝ったのは、ディープ・ブルーである。
「お見事!」
「でも猫はダメだった。」
「はぁ?」
一気に肩の力が抜ける房江である。
「猫がダメだったって、どういうこと?」
そう言う房江に、リュウノスケは何やら携帯を取り出すと、
「だから定義してみればって言ったろ、、、ホラ!」
と差し出した画面は、ウィキペディアの「ネコ」のページであった。
そこにはみなさんご存じの通り、猫に関する情報が豊富に載っていた。
言われるがまま画面の字面を追っていると、房江にもボンヤリとリュウノスケが言いたいことが見えてきた。
「な、この定義を読んで猫ってどんなものかイメージ湧く?」
無言で首を振る房江。
「だよなぁ。でも、俺たち人間は写真を見ただけで犬か猫かは一目瞭然だ。」
「そういえばそうねぇ。」
「向きだって、真正面からでも、横からでも、何なら真後ろからでも、猫って分かっちゃうだろ。」
「そうね、大体わかるわね。」
徐々に房江にも、リュウノスケが言わんとしていることは伝わって来た。
「そこでヒントンさんたちは、ディープラーニングって言う手法で猫認識装置を開発したんだ。」
「へー、猫かどうかを判定する装置ってこと?」
「その通り。猫かどうかだけしかわかんないけど、猫かどうかだけはわかるって認識装置。」
「それが凄いことだったってこと?」
「その通り、凄いことだったんだよ。」
「へぇ〜。信じられない。」
繰り返すが2012年の事だ。世界が驚愕したのだ、猫と見極めるだけでだ。
「でも、考えてみなよ、さっき見た通り、猫って定義するのって、結構難しくないか。」
「うーん、そう言われればそうよねぇ、、、」
「ウィキペディアであれだぜ。」
「なるほどね、、、」
「まぁ、それを人間は一発で判断するわけだよ。学校で習うわけでもないのに。」
「学校で習うものではないでしょ。」
「でも、不思議といえば、不思議だろ。」
「そう言われればそうだけど、、、」
「それを可能にしたのが、ディープラーニングって言う手法だったのさ。」
「深層学習って言うのよね。」
「そう、その通り。そしてそのディープラーニングが発展してA I になったんだよ。」
「それが今のA I になったんだぁ。」
「そうさ。2012年のことだから、ついこの間の事なんだぜ。」
「え?2012年て言ったら、十年ちょっと前ってことじゃない!?」
流石に房江は驚きの様子を隠せない。しかし、これは事実だ。ご存じの方も多いかと思うが、ご存じなかった方、いや当の昔に忘れてしまっていたと言う方も多いのではないだろうか。本当にあっという間にA I は世界中に広まったと言えるだろう。
「ただ、この時は猫とだけ認識できたって話しさ。」
「あぁ、そう言えばそうね。猫とは認識できても、ムサシだとか、コムサシだとかは認識できなかったってことね。」
もう何度も出てきたが、ムサシとコムサシとはリュウノスケの家の飼い猫である。
「あ、写真持ってなかったっけ?」
と、思い出したように猫の写真をせがむ房江。
「あぁ。」
と言いながら、携帯の画像を探して見せるリュウノスケ。
飼っている動物の写真や動画は、誰しも携帯に保存していたりする。
「ムサシとコムサシがいるのよね。」
「あぁ、これとこれな。」
「何かムサシはずんぐりむっくりしていて可愛いのね。コムサシの方はキリっとしてて、シュッとしてる。」
何となく褒められた気分のリュウノスケである。
何かを思い出したように、先に進むリュウノスケ。
「確かに当時の顔認識技術はまだ未完成で、『素顔の八代亜紀問題』とか言われていたりもしてたよ。」
「何、その『素顔の八代亜紀問題』って?」
ご存じの方も多いかと思うが、八代亜紀とは「舟唄」などで有名な美人の演歌歌手である。しかし、派手な顔立ちからであろうか、化粧が濃いともっぱらの評判であった。それを嘉門達夫という関西出身のお笑い系のフォークシンガーが洒落で、「♫誰も知らない素顔の八代亜紀♫」という歌というか、ネタというか、その中間みたいなものを発表し、大うけしたものである。
「だから、素顔の八代亜紀は顔認識できないって言うの?それって、八代亜紀って人に失礼なんじゃないの?」
半分本気で怒る房江である。
「いや、だから、冗談だってば。でも、顔認識の初期は本当にそんな問題が、まことしやかに囁かれていたことは事実なんだぜ。」
「本当に?何か、失礼しちゃうわね。」
「でも、化粧や髪型で人の印象って変わるもんだよな。」
「特に女の人はそうかもね。」
「そうだよなぁ、女は変わるって言うからな。」
と、リュウノスケがふと口をつぐむ。
沈黙。
「何よ?何が言いたいのよ?」
「いや、で、何話していたんだっけ?」
「えぇと、顔って人それぞれで違うねって話から、顔認識の話しになって、八代亜紀、かな。」
「あぁ、そうだ、元々は顔って人それぞれだねって話だ。」
ようやくリュウノスケが本題に戻ったようだ。
椅子に座り直し、改めて房江の顔を見つめると、
「だとするとだよ、それって何時からなのか、気になるよなぁ。」
と、当然のことのようにリュウノスケは話を続けた。
「気になるのかなぁ、、、」
「もしかするとさぁ、立って歩く前からってことも、、、」
「え?何?直立歩行する前から、顔が違っていたってこと?」
「あぁ、もしかするとね。」
「と言うことはぁ、、、サルは似たような顔だけど、人間はその当時から違った顔をしていた、、、」
ちょっと考えてから房江は答えた。
「え?それはちょっとないんじゃないの。」
「俺も最初はないかなって思ったんだけど。因みに房江は何でないと思うの?」
逆にリュウノスケが聞いて来る。
「だって直立二足歩行って、丁度牙が犬歯になった頃でしょ。」
「あぁ、そうだな。人間が攻撃性をなくして牙が今の犬歯になったのは、直立二足歩行をし出したのと同じ時期だと言われているな。」
確かに二人の認識の通り、直立二足歩行と時を同じくして、人類は牙を失ったことは確かなようである。また、それが人類とサルを分ける進化の分岐点ともいわれている。これらは定説だが、今話そうとしているのは人の顔の事である。これがどう繋がっていくのだろうか、二人の話を聞いてみよう。
「で、その直立二足歩行と顔が違うことがどう関係するんだよ?」
「いや、何となく、牙があったら顔はなかなか変わりづらいかなって思って、かな、、、」
「確かに、それは一理あるなぁ。」
房江は牙があると表情が変えづらい、だから牙が犬歯になってから顔が一人一人で変わる様になったと言いたいようである。みなさんはどうだろうか?
「逆にリュウノスケは、何でその前からだって思うの?」
「話せば長くなるんだけど、良いかなぁ?」
「勿論だけど、取りあえずお昼休みの残りは後十分ね。」
房江が腕時計を見ながら確認する。
「じゃぁ、まず人間の誕生のところだけかな。」
「え?そんなところから話すわけ?」
「まぁ、そう言うなって。取りあえず後十分何だから仕方ないだろ。」
「そうね、取りあえず十分ね。」
そう言って、リュウノスケが房江に昼休みの残りの十分で話したのは、次のような内容だった。
サルから人間が進化した時に牙は退化し犬歯になり、それと同時に直立して二本足で歩くようになった。これは確かにサルと人間の大きな違いである。しかし、それと同じかそれ以上に大きな違いもある。何だと思われるだろうか?お気づきの方も多いことだろう。一言で言おう。
それは知性だ。
サルと人間の違い、勿論サルも含めた他の動物と人間の違い、それは知性があるかないか、とも言うことが出来る。いやそもそも数多ある地球上の生命体の中で、知性を持っているのは人間だけである。知性を持ったこと自体奇跡とも言える。そういう意味では、知性こそ最大の進化論上の謎と言えるのであろうが、その知性こそが進化論を考える主体でもあるわけだ。進化論上の謎が進化論自体を考えているのだから、何と言えばいいのやら。自業自得なのか因果応報なのか。まぁ、それを何と呼ぶにせよ、ある時点で人類は知性に目覚めたことだけは確実である。
では、何で人類は知性に目覚めたのか?何でそんなことが必要になったのか?リュウノスケと房江の昼休みに戻ろう。
「俺は思うんだけどさぁ、ある日あるサルが思いつくんだ、『あれ?今日のボスザルは機嫌が悪いみたいだぞ。』って。」
「何、それ?」
房江は皆目分からないという表情だ。
構わずリュウノスケは続ける。
「すると、そのサルは機嫌の悪いボスザルには、その日は近づかない。一方、何も考えない普通のサルは、機嫌が悪いのに何も考えずに近付くから、こっ酷く怒られるわけ。」
「ふーん、で?」
「すると、次の日そのサルは、ボスザルが機嫌が良いのに気が付く。それにいの一番に気が付いて、他のサルよりも先に近付いて、毛繕いとかするのさ。」
「へー、そうすると、どうなるの?」
「そのサルは、そんなことを繰り返して見事ボスザルに気に入られる、というわけ。」
「気に入られるわけね。」
「そうさ、気に入られるのさ。すると気に入られるって、結構いいことがあるって気が付くんだよな。」
「結構いいこと?」
「そうさ、良いことさ。良いことにも色々あると思うけど、気に入られると、なんと言っても格段に生活が楽になるよな。」
「生活が楽になるぅ?」
「だってサルの社会は集団の階層構造になっているから、ボスザルに気に入られると何かと便利なはずなんだよ。」
「エサの分前にありつくとか?」
「そうだろうね、そこら辺が一番だろうけど、トラやライオンといった捕食者から逃げる時とか、サルの群れ同士でのケンカの時とかにも。」
「それなら、ヘビと出会った時とか、グループ内の対立とかも?」
「そうだね、そんな時もきっとボスザルにくっついていただろうから、有利だったんじゃないかな。」
「なんか、腰巾着って言うか太鼓持ちって言うか、所謂お調子者ね。」
「まぁ、最近流行りの言葉で言うなら忖度しまくりって感じだろうな。」
「ふーん、忖度ねぇ。」
「でも、そうやって忖度して気に入られると生活が楽になる。するとそんなのを横で見ている奴から、『なら、俺もやってみようかな。』って輩が出て来るわけだよ。」
房江が目を悪者を見る目にして言う。
「出てくるのか、そういう輩が。」
「そう、そう、そういう輩が出てきちゃうわけ。」
「忖度はお得って訳ね。」
何故かハイタッチをする二人。
「で、そういう輩が出て来ると、そういう輩の中である日更に気が付く奴が出ちゃうわけ。」
「何に気が付くの?」
「何だと思う?」
「え?何?」
リュウノスケは、自分の顔を自分の人差し指で指差し、
「これ、これ。『自分』って奴に気が付くのさ。」
「『自分』、って自分?」
房江も自分を人差し指で指差しながら、リュウノスケに聞き返した。リュウノスケは大きく頷いて、自分をもう一度指差し、
「そう、その通り。忖度しているジ・ブ・ン。」
そして、その指を今度は房江に向けながら、
「と、その忖度しているア・イ・テ。」
房江はちょっと唾を飲んでから、リュウノスケに言い返した。
「『自分』と『相手』というものを理解したのね!?」
「そう、忖度している自分というのは『自分』だし、忖度の対象の相手は、『相手』なんだということを理解したのさ。」
「『自分』って考えが生まれたのは、忖度からってことなのね。」
半ば呆れ顔で、しかし半ば納得が行ったかのように、房江の口から感嘆の溜息のようなものが零れた。
「言い換えりゃぁ、アイデンティティーだよな。」
「アイデンティティーの獲得かぁ、、、」
そして、
「ということは、それが人類の知性の始まりでもあると、、、」
房江は改めてリュウノスケの顔を見つめた。無言で頷くリュウノスケ。
ただ、視線を宙に浮かせると質問を続けた。
「で、顔の話はどう繋がるの?」
と二人が話している時に、ガラッと扉を開けて入ってきたのはビーカーこと三枝である。すると、ほどなくチャイムが鳴った。
「キーンコーンカーンコーン」
どうやら午後の一番は生物の授業のようである。
二人の話はそこまでで、後は持ち越しとなった。
その日の夜。
房江は時計を確認した。そろそろリュウノスケとのZoomの時間である。ノートパソコンの横に開いた原稿用紙に、栞を挟む。
「結構行けたかなぁ。」
例のおじいちゃん原稿のデジタイズ作業をしていたらしい。気が付けばもう後半に差し掛かったようだ。
「それにしてもおじいちゃん、本当に相対性理論が好きだったのね。」
会ったことのない祖父を想像する房江。
「もうちょっと待っててね。」
そう言って原稿用紙を閉じて、大事そうに棚に乗せてから、ヘッドセットを手にした。
一方のリュウノスケもその頃、Macのノートを開くと、Zoomの画面を立ち上げていた。ミーティングを選択すると、画面の向こうにはヘッドセットをいじっている房江が映った。すると房江はこちらに気が付いたようで、
「はーい!映ってる?こっちは見えてるよ。」
そう言う声が聞こえると、画面の向こうで房江が手を振っている。
こちら側には、リュウノスケの隣に洋平もいる。
「あぁ、こっちでは洋平も参加しまーす。」
リュウノスケがそう伝えても、房江はそれには反応せず、
「あれ、こっちの声聞こえてる?こっちには何も聞こえてこないんだけど。あれ、、、」
などと言っている。
気が付いた洋平が、
「おい、ミュートになってないか?」
その声にリュウノスケも気が付き、すぐにミュートを解除した。
「ごめん、ごめん、これで聞こえた?」
「はい、はい、聞こえる。洋平君も一緒なんだね。こんばんは。」
房江の声が、リュウノスケ側のMacにも伝わった。
「どうも、よろしくお願いします。」
洋平は、リュウノスケのZoomにお邪魔する形だ。まぁ、三人で繋ぐのもありかとは思ったが、今日のところは、何となくリュウノスケと房江で繋ぐことにした。必要であれば、リュックからノートを取り出して参加すればいい。最近はノートPCさえ持ち歩けば、どこからでもZoomでミーティングができる。思えば便利になったものである。
「では、顔の話の続きだよね。」
リュウノスケが画面の房江に話しかける。
「知性の始まりが、忖度ってところまでだったよね。」
覚えておいでかと思うが、房江とリュウノスケは人類の知性の始まりについて話していたのだった。
「そう、そう。ボスザルに忖度するサルが出て、忖度すると気に入られて、何かと生活し易くなるって話。」
「はい、はい。そこまでは了解しました。」
「じゃぁ、その先に行きますね。」
そう言うと、リュウノスケは飽くまで確定している話ではないとことわってから、次のような話をした。
忖度するサルが出ると、それを真似するサルが続々と現れた。何故なら、そのサルはボスザルに気に入られて、何かと生活が楽になったからだ。そこから、忖度している『自分』と忖度する『相手』というものが生まれて、それが知性となっていった。
あくまで仮定としての話ではある。反対の考え方や対立する考え方については後ほど詳しく見ていくこととなると思う。取り敢えず先に進もう。
さて、こうした知性は、そもそも忖度すること、つまりは顔色を窺うことに他ならない。言い換えるなら、忖度するサルは必死になってボスザルの顔色を窺っていたわけである。顔色を窺うとは、顔の変化を見ることに他ならない。顔の変化とは、表情と言うことになる。よって、人間は表情を豊かにするように進化した、と言うことになる。
「なるほどね。表情自体、あるのは人間だけで、他の動物って表情がないもんね。」
こちらのMacのノートに、Zoomの画面の向こうの房江の声が聞こえる。
「そうだね。サルにしたって、怒った時に牙を剝くぐらいで、それ以外は喜怒哀楽みたいなものは、表情にならないからね。」
頷くリュウノスケである。
確かに昆虫のような爬虫類に表情はない。アオカエルは可愛い顔をしているが、そう思っているのは人間で、両生類自体に表情があるわけではない。哺乳類の犬や猫に至ってようやく表情と言えそうなものは出て来るには来るのだが、人間と比べるとその差は歴然である。勿論、そうであるが故に可愛らしく見えたりもするわけだから、ややこしいといえばややこしい。
口を挟むのは洋平だ。
「確かに表情から、顔の筋肉とかが発達したのは納得がいくのだが、、、」
と、間を置くと次のように続けた。
「顔そのものを変えるようにはなるのかなぁ。」
やや間が空く。
「そうなのよねぇ。私も表情が豊かになるのは凄く説得力があると思うけど、顔が違うのがちょっと引っかかるんだよなぁ。」
そう相槌を打つのは、画面の向こうの房江である。
するとリュウノスケが意外なことを言い出した。
「そう言えば、房江って誰かに似てるよなぁ、、、」
「え?誰がKーPOPっぽい顔してるって?」
房江の冗談半分の切り返しに、思わず洋平が噴き出しそうになる。
「わぁ、洋平君、ちょっと失礼じゃぁない?」
「いや、如月さんが似てるのは、きっとブラックピンクの誰かだから、全然問題ないかなと、、、」
「もう、何言ってんのよぉ。」
「KーPOPのことを洋平に話させると長くなるからさぁ、やめとけよ。」
「え?洋平君、KーPOPに詳しいの?」
「いや、KーPOP自体には詳しくないですけど、JーPOPがダメになった経緯についてはちょっとそれなりに、あるはあるかな。」
「やめとけって、長くなるから。」
「何か、そう言われると、逆に聞きたくなっちゃうのよね。」
というわけで、ちょっと横道に逸れるが、洋平によるKーPOP、いやJーPOPのお話を聞いてみよう。リュウノスケは画面の端に移り、洋平が画面中央へと移動する。房江と画面越しにお辞儀をすると、洋平は語り出した。
「そもそもJーPOPとKーPOPでは、JーPOPがリードというか、優位に立っていたわけですよ。経済力と同じ感じといえばいいかな。」
まぁ、かつての日本は世界第二位のGDPだったこともあり、経済力という点では大きくお隣の韓国を引き離していたことは事実である。
「2000年代には安室奈美恵とか倖田來未とかで、イケイケのバリバリだったわけです。」
「あぁ、何となくわかる。あゆとかも凄かったし。」
「そうだったらしいね。」
今は遠い昔である。因みに房江が言及した「あゆ」とは、浜崎あゆみの事で、洋平がその前に名前を挙げた、安室奈美恵、倖田來未と共に、2000年代初頭のエイベックスグループによるJーPOPブームをリードした女性アーティスとである。
「そして、その頃の世界をリードしていた女性アーティストと言えば、マドンナ、ジャネット、ブリトニー、、、」
「それに、レディー・ガガやビヨンセが続いたわね。」
「なるほどね。」
リアーナがいない、アリアナ・グランデはどうだ、など言い出したらきりがないので先に進む。
「だがしかし、安室や倖田にとって、ジャネットやビヨンセは飽くまで憧れの対象でしかなかった。」
「遠い存在だったってことね。」
「まぁね、アジアと欧米だもんね。」
「そう、アジアと欧米。つまり、安室がどうの、倖田がどうのって言っても、所詮アジアの歌姫であって、世界ではないってことだった。」
みなさんはどうだろうか?
「でも、それはそれで仕方がない面もある。」
「確かにね。」
「日本のサッカーにも言えるかもなぁ。」
ここに立ち入ると偉いことになるのは明白なので、敢えて立ち入らないが、日本のサッカーもアジアと世界の差を痛いほど感じさせてくれたものではある。一体何度「絶対に負けられない試合がある」にも拘らず、負け続けたことだろう。一体何度、ジェイ・カビラこと川平慈英は日本国民から恨まれたことだろう。先に進もう。
「確かに、そこまでは仕方がない面もある。安室や倖田に罪はないことも確か。でも、JーPOP はそこで終わったにもかかわらず、KーPOPは世界にまで昇りつめた。BTS はホワイトハウスを訪問し、マドンナの娘は少女時代のファンになったと噂になったりした。」
「ホワイトハウスにマドンナかぁ。」
溜息混じりに画面越しの房江が嘆く。
「JーPOP かどうかは知らないけど、日本はPPAPぐらいだもんね。」
こちら側のリュウノスケも同じ気持ちのようだ。
覚えておいでだろうか。まぁ、マドンナの娘は噂以上のものではなかったらしいが、PPAPはアメリカのみならず全世界を席巻したのは事実だ。
「それに引き換え、JーPOP はどうかってね。ジャニーズにAKBだもんね。歌も下手、踊りも下手。ファンの方だって、分かっててそれで良いって言うんだぜ。冷静に考えればただのポンコツばっかりさ。」
「まぁな、KーPOPは完成されたもの、JーPOP は育成するもの、なんて言われてたみたいだな。」
「なら、育ったのなら良いんじゃない?」
「いや、そう言って誰も育たなかったわけ。」
洋平は手厳しい。
「そりゃー、そうだよな。考えてみれば、歌えない、踊れない、のが育つわけないもんな。」
「アチャー。」
「山ピーとかって言われていた、山下何とかってのがいたけど、そいつの歌なんか、凄かったぜ、、、踊りも何つーのかなぁ、、、もうびっくらこくぐらいでさぁ、、、よくあれを人前でやる度胸があったもんだよなぁ。」
止まらなくなった洋平。
「シブがき隊なんて、そのネーミング自体、意味わかる?それに曲名だって、『スシ食くいねェ!』だぜ。しかもどう考えてもハモってなくて、音程が外れてるんだよ。もう逆にスゲェって言いたくなるよ。」
そこまで言われると、言われた通り逆に見てみたくもなるリュウノスケと房江。
「唯一、歌って踊れたのはKATーTUN だったけど見事に空中分解したしね。」
どうやら特定の芸能事務所の所属タレントへの言及のようだ。
「奇跡的な例外は岡田准一君で、あの人は日本を代表するアクション俳優になったけど、それはあの人個人の努力であって、事務所の力でも方針でもないからね。」
評価すべきところは評価しているようだ。
「挙句の果てには性加害だぜ。言っちゃ悪いけど、日本の恥だよ。」
画面の向こう側で、房江も肩を竦めるしかない。
「ジャニーズもAKBも通用したのはアジアだけ。」
「まぁ、日本の国内市場もデカいといえばデカいからね。」
「何かそこら辺も、日本と韓国の経済に似てるのね。」
経済にもそこそこ明るい房江のようである。
「エグザイルとかもいたのになぁ。」
リュウノスケがボヤく。
「まぁ、それも含めてアミューズもエイベックスも、みんな同じようなもんさ。」
「全滅ってこと?」
「全滅かどうかは分からないけど、三浦大知とかぐらいだったんじゃないのかなぁ、世界を狙えたのって。」
あくまで洋平の分析である。
「三浦大知かぁ。」
「三浦大知じゃ、駄目なの?」
そういう房江を二人が画面越しに覗き込む。
「何よ?」
画面越しに威圧される房江。
「へぇ、房江、大知君、好きなんだ!」
「好きって言うのかなぁ。まぁ、嫌いじゃないってぐらいだけど。」
「面食いじゃないってことなんですかね。」
「洋平君までそんなこと言うわけ?三浦大知って、そんなにブサイクだったっけ?」
まぁ、顔と言うより実力派と言いたいのかもしれない。
「ただ、あのKーPOP男子みたく、前髪たらして髪の色染めてるのって引くわぁ。」
とは、房江の感想である。
「ハ、ハ、ジャスティンビーバーが男性から嫌われるのと、ちょっと似ている気がするなぁ。」
とは、リュウノスケの感想である。
「でも、KーPOPの本質は男性じゃないと思うんだ。」
そう言い出したのは、やはり洋平であった。
「え?何で男性じゃないの?」
と、食いつくのは房江。
「また、長くなるよ。」
と、嘆くのはリュウノスケ。
「と言うのはさ、、、」
と、待ってましたと話し出すのは洋平であった。
そこから二時間ほど洋平によるKーPOPの歴史が披露されたのだが、ここでは端折って要点だけ押さえることにしよう。
元々はJーPOP にも押されていたKーPOPだったが、韓国経済と同様、国内需要に飽き足らず、海外のマーケットへと果敢に乗り出していった。何となれば、その理由も韓国経済と同じで、韓国国内だけでは食って行けなかったからだ。一方、先を行っていたJーPOP は国内とアジアの市場規模に満足するとともに、抜きがたい欧米へのコンプレックスからか、アメリカやヨーロッパへの進出には消極的だった。この間に何も捨てるものがないKーPOPは、積極的に世界に打って出たわけである。
確かに初めは散々な目にあったものの、歌と踊りのレベルの高さと、それまで見過ごされ、まともに認知されていなかった東洋人のカッコ良さ、可愛らしさに、次第に世界の評価は上がって行った。最終的にはマドンナの娘が「少女時代」(初期のKーPOPブームを牽引したガールズグループ)のファンになってしまうという噂まで出る始末。つまりは、欧米と東洋の逆転現象まで引き起こしてしまうのであった。
「何となくさ、KーPOPって言うとホワイトハウスを訪問したBTSが有名で、男性のイメージがあるかも知れないけどさぁ、、、」
皆さんはいかがであろうか。KーPOPの男性グループBTSが、バイデン大統領からホワイトハウスに招かれたのは、確かに2022年6月のことである。米国内での東アジア系住民へのヘイトクライムに対する、米国政府の抗議姿勢を明示するためである。これ一つを見ても、KーPOPというものが、単なる芸能の一潮流というだけでなく、文化的社会的な存在として世界に受け入れられていることが、如実に示されている。卑下するわけではないが、JーPOPでこのようなアーティストは誰が想像できるだろう。失われた三十年は、確かに失われたのだ。
洋平の言葉の続きに戻ろう。
「KーPOPの本質は、女性グループで、しかもその本質の本質は、踊りの振り付けにあるんだよ。」
そう切り出した洋平の主張はこうだ。
元々欧米には歌って踊るグループというのはあまりない。女性ならスパイスガールズ、男性ならワン・ダイレクションぐらいなものだ。マイケルもマドンナもジャネットも、みんなピンである。そこに東洋系のアジアンなルックスで、しかしスタイルは欧米人と変わらない足の長さを持つ、歌も踊り上手い一群のグループが突如として現れたのだ。東方神起、BIGBANG 、KARA 、少女時代、2NE1 、、、。
初めこそ、顔がみんな同じに見えるなどと揶揄されたものの、そんなことはお互い様であり、誰か一人が良いと評価しだしてからは、あっと言う間のことであった。
「しかもだよ、それまでの欧米では、何だかんだ言っても、女性アーティストのファンは男性だ。それをKーPOPは見事に逆行したのさ。」
その通りである。KーPOPの牽引役が女性グループだとすると、その主たるファンも多くが女性だった。
「確かに男性ファンもいたにはいたよ。でも、女性が女性のファンになるなんてさぁ、しかも人種の枠を超えて、かつどちらかと言うと逆方向へ、だからね。」
洋平がここで悔し気に一息つく。
「J-POPも惜しかったんだけどね。安室の追っかけのアムラーが流行ったのは、K-POPの先駆けだったんじゃないかって思うとね。」
安室奈美恵と同じように、ミニスカートにブーツの格好をするアムラーと称する女性たちも流行ったりしたものだ。女性ファンに訴求する女性アーティストの登場。多分、欧米の女性アーティストには見られなかった現象ではなかろうか。そして、それが日本で流行ったのは、KーPOPより早かったはずである。
「でもそこまでだったんだ。結局、安室も倖田もアジアの歌姫止まりだった。彼女たちにとってビヨンセやレディーガガは、飽くまで憧れの対象で、競争相手とはならなかったんだろうなぁ。」
遠い目をする洋平。その気持ちがなんとなくわかる房江。
「その後は、秋元AKBと性加害ジャニーズで失われた三十年のJ-POPだからね。ポンコツもいいところさ。」
吐き捨てるように言葉をつなげる洋平。
「男では三浦大知君とISSAぐらいだったかなぁ、マジで歌って踊れるのって。EXILEの評価は色々あるとは思うけど。」
ちょっと洋平ワールドなので、言葉を挟むのをためらうリュウノスケと房江。気を取り直して先に進む洋平。
「で、J-POPがこんなことしている間に、K-POPは女性をターゲットに遮二無二世界に挑戦していったというわけなんだよね。」
女性から女性、しかもアジアから欧米である。まぁ、K-POP最大のマーケットは数字の上では日本であったが、それを差し引いたとしても、異例といえば、異例である。
「仕舞いには、マドンナの娘までファンになっちゃったって話だからね。」
飽くまで噂までの話ではある。
「多分、エキゾチシズムではなくて、普通の欧米人が普通に東洋人に憧れを抱いたのは、K-POPが初めてのことなんじゃないのかなぁ。」
エキゾチシズムではない、と言うことは、人種的な偏見なども飛び越えたということだ。この言葉には、改めてK-POPの凄さを納得させられたリュウノスケと房江だった。洋平の解説は続く。
「ここまででもKーPOPは、東洋から欧米、女性から女性、っていう逆ベクトル現象を引き起こしていたんだけど、もう一つ、革新的なものを生み出したんだよ。」
そういうと、洋平は意外な質問をした。
「それまでのダンスって言うと、誰か知ってる?」
「うーん、マイケル・ジャクソンとか?」
リュウノスケである。
「女性なら誰だ?」
洋平がリュウノスケに頷きながら、今度は房江に質問を向ける。
「えーと、レディー・ガガとかリアーナとか?」
房江が結構詳しいのに洋平が驚きながら、
「良く知ってるなぁ。まぁ、その前に遡ると、ビヨンセ、ブリトニー、ジャネット、それに大御所はマドンナといったところかな。」
そう言う洋平に、リュウノスケと房江も頷く。
「でもね、それらは、、、」
「あ、待って。もしかして分かったかも。」
そう言って遮ったのは房江である。
笑みを浮かべて答えを促す洋平。
「答えは何でしょうか?」
「全て男性向けだった、って言うんでしょ。」
「ピンポン!」
「わーい、当たった!」
改めて洋平の説明は続く。
「房江さんの言うとおり、それまでの女性アーティストのダンスは、全て男性に向けてのダンスだった。」
「そう言えば、みんなセクシーで、色っぽかったよなぁ。」
「そうねぇ。」
ビヨンセなどでは、時に女性に対する応援メッセージのような楽曲もあるかとは思うが、それらもフェミニズム的というか、古くはウーマンリブ的なものを醸し出すものであって、そう言う意味ではジェンダーというか、常に男性を意識したものといえよう。
「今、リュウノスケが言ったように、ビヨンセ、ブリトニー、ジャネット、それにマドンナといったアーティストのダンスは確かにセクシーだし、色っぽい。」
頷く二人。
「でもね、、、」
更に頷く二人。
「難しいんだ。」
納得するようで、首を傾げもする二人。畳みこむように続ける洋平。
「難しいから、踊るのはプロのダンサーだ。」
何を当たり前なことを言うのか、といった表情の二人。
「逆に言うと、プロにしか踊れないダンスだった。」
朧気ながら、洋平の言わんとすることに気が付く二人。
「つまり、KーPOPは誰もが踊れるダンスを作ったってことかぁ?!」
「そう言えば、私も小さい頃、テレビの前で踊ってたかもしれない!」
「だろ。」
もうみなさん気が付かれたことだろう。洋平が言いたいのは、KーPOPのダンスは、全部が全部とは言わないが、基本的に多くの部分が誰でも踊れるものになっているのだ。更に言うなら、女性が踊りたくなるような振り付けになっている。男性アーティストも歌って踊るが、際立つのは何といっても女性の場合であり、かつ、セクシーさや色気とはちょっと違い、女性が好んで踊りたくなるようなコケティッシュなカッコ可愛さといったものがある。
「そうか、そう言われれば、KーPOPって、何かそんな感じがするな。」
「そうね、昔の少女時代から今のブラックピンクまで、みんな女の子が踊っているもんね。」
「だろ。」
言い換えるなら、マドンナ、ジャネットからガガ、そしてビヨンセ、リアーナに至る欧米のダンス系女性アーティストの系譜は、「普通の人には踊れないからカッコいい」だった。それに対して、K-POPは、「普通の人でも踊れるからカッコいい」に変容させたのだ。
洋平がダメを押す。
「しかも、日本のピンクレディーみたいな幼稚な振り付けは、どこにもない。まぁ、あんな子供だましじゃぁ、踊ってますなんて恥ずかしくて言えたもんじゃないけどね。」
その通りだ。UFO(1977年12月にビクターからリリースされたピンク・レディーの6枚目のシングルで彼女たちの最大のヒットなった作品。「ユーフォ!」と言いながら頭の後ろで手の平を出す振り付けは、特徴的で誰でも真似できることから、全国のちびっこ、特に幼い女子がテレビの前で必ず踊るようなブームとなった。とはいえ、まともな振り付けと言うにはあまりにも幼稚で子供だましであり、後のヒップホップなどとは比べものにはならない。)なんて馬鹿げた振り付けが通用するのは幼稚園生ぐらいまでである。そんな子供だましの踊りではないのが、これまたK-POPなわけである。「普通の人でも踊れる」「本当にかっこいい振り付け」がK-POPであり、もっというなら、「普通の女の子が踊れる」「本当にかっこ可愛い振り付け」がK-POPの本質なのだ。
「今じゃぁ、ダンスレッスンのジャンルとして、K-POPというのがあるくらいだからね。」
その通りである。K-POPというダンスのジャンルが独立して確立されているのだ。ヒップホップに並んで、女性を中心にかなりの人気だという。まさに女性ファンたちを狂喜乱舞させるものというわけである。
いかがであろうか?意外に奥深いKーPOPなのではなかろうか。念のため付け加えるが、洋平は所謂、親韓でもなければ、かと言って嫌韓でもない。そう言う意味では、ごく普通のニュートラルな高校生であり、本書の立場も同じである。
「お前、深いな。」
「そうか。」
「洋平君、凄い。」
「そうかな。」
洋平は若干、はにかむように、隣のリュウノスケと画面越しの房江に笑顔を見せた。
「じゃぁ今度は、クリス・ブラウンとハウスの関係について語ろうかな。」
「今度な。」
「今度ね。」
「じゃぁその次は、ブルーノ・マーズとヒップホップの関係について語ろうかな。」
「その次な。」
「その次ね。」
その次が何時になるのかは、誰も知る由もなかった。
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