第7話 私が好きになった人

沢山失敗して怒られて泣いちゃったあの日。

私は家に帰ってから何故か本田君の事ばかり考えていた。


正直今日初めてちゃんと会話した。


今までも挨拶はしっかりしてくれるけど、話をした事はなかったと思う。

もちろん嫌っていたわけではない。

好きでも当然なかったけど。


いつもなんか人を拒絶するような雰囲気だったし、見た目だって正直カッコ悪い。

太っちょだし、センスの悪い服をいつも着ているし。


でも今日話してみて……凄く気になっていた。

同じ年なのに、なんかすごい年上みたいに感じていた。


「はあ」


私な犬みたいな変なぬいぐるみを抱きしめ、ため息をついた。

小さいころからずっとあるこのぬいぐるみはもうボロボロで、学校で習った家庭科の授業で覚えた拙い裁縫技術で何度も直したけど、もう限界が近づいているようだ。


私はぬいぐるみに話しかける。


「ねえ、なんだろ、この気持ち。……なんかモヤモヤする」


経験があればきっと恋の始まりだったと私は理解できたのだろう。

でもちょっとずれていた私はこのモヤモヤの正体に気づくことができなかった。


そして三日後にシフトが入っていた私はバイトに向かった。

その日は少し曇っていて、雨が降りそうだったんだけど、わたしはいつものように自転車で向かっていた。


「おはようございます」

「おはようございます……高坂さん、落ち着いてね。今日は正社員さんもいるから大丈夫だよ。頑張ってね」


びっくりした。

本田君が私に声をかけてくれた。


この前失敗した私を心配してくれていた。

私はそれだけのことでドキドキが止まらなくなっていた。


この日は問題なくちゃんとレジ打ちの仕事をこなすことができた。


本田君の言う通り、またあの怖い常連さんのおじさんが私のレジに並んで、ちょっと緊張したけど「この前は済みませんでした」って言ったら、本当に真っ赤な顔で、すごく喜んでくれた。

私もすごくうれしかった。


そしたらその常連さんが、

「いやあ、本田君に怒られてさ。女の子にあんな言い方ダメですよってな。ごめんな怖がらせて。また来るよ」


ニコニコしながら帰っていくお客さんを見て、わたしはたまらなくなってしまった。


「あの、すみません、4番いいですか?」


レジが空いて来たタイミングで、正社員の小野さんに私は声をかけた。

因みに4番は、トイレとかの事。


「うん、いいよ。慌てなくていいからね」

「すみません。すぐ戻ります」


私は慌ててバックヤードへ走っていった。

どうしても今すぐ本田君にお礼が言いたくて。


そして私がバックヤードへ行くと本田君が目をはらして涙を流していた。

私の心臓が聞こえるくらい大きく動いた。


反射的に私は声をかけていた。


「本田君、どうしたの?大丈夫?」


本田君はビクッとして、慌てて涙を拭いて、私を見た。

そして無理やり笑顔を作って優しく問いかけてきてくれた。


「高坂さん、休憩?あー、ごめんね、何でもないんだ。……内緒にしてくれると嬉しいかな」


そして振り向いて立ち去ろうとした本田君の背中が、なんだかとても辛そうで、わたしはがむしゃらに彼の腕を掴んでいた。


今でも不思議だけど、あの時はそうしなきゃいけないって必死だった。


「なっ!?どうしたの高坂さん、また何か…」

「ちがう!本田君こそ、どうしたの?……教えてよ、わたしも力になりたい」


本当になんであんなこと言ったのか、今でもわからない。

思い出すだけで顔が赤くなるくらい恥ずかしい。


でも、多分運命だったんだと今なら思う。


本田君はすごく緊張していて、真っ赤な顔で、なんか泣きそうで、でも、優しく話してくれた。


「うん。ありがとう。でもさ、今まだ仕事中だからさ。……高坂さん9時までだよね。俺も今日9時で上がらせてもらうから、その後でいいかな」


「うん、わかった。……約束だよ」

「っ!?……うん、ごめん、俺、女の子慣れてなくて……特にかわいい子は…あう…」


二人で真っ赤になってフリーズしちゃったんだよね。

ああ、恥ずかしい。


そのあとどうやって仕事したのか分からないくらい私は緊張していた。

ミスは……してないと思う。


そして9時に仕事を上がって、二人で駐車場にある自動販売機の前で話をした。


「高坂さん、甘いのがいいかな」


そう言って彼はココアを買ってくれて……

彼はコーヒー。


「ありがとう。……それで、どうしたの」

「うん。…友達がいたんだ」

「うん?」

「小学生の頃からのね。そいつ一昨日、亡くなったんだ」


私は何も言えなかった。

国道を走る救急車の音がいつもより大きく聞こえた。


「俺だけだったんだ」

「……」

「そいつさ、生まれたときから心臓が悪くて、10歳くらいまでしか生きることできないって言われていてさ」

「……」

「でもすごく頭が良くて、大人で、カッコよくて……憧れていたんだ」

「……うん」

「小学校の頃はね、そいつたまに学校に来られたんだよ」

「だけど成長していくと心臓への負担が大きくなっていってさ、中学からはもう来られなくなっていた」

「……」

「最初はさ、クラスの皆とか結構遊びに行ったんだよ。あいつすごく頭もいいし面白い奴だったから」

「うん」

「でもさ……良くも悪くも、結局他人なんだよね」

「……」

「中学3年の頃には、もう俺しかあいつに会いに行かなくなっていた」


本田君の目から涙が零れ落ちる。

私もつられて涙がにじんできた。


「俺はさ、すげー貧乏でさ。……父さんが騙されて借金負って、死んじゃってさ。いま母さんと二人なんだけど、母さんも体が弱いんだ」


「うん」

「だから俺、人生ってなんて不公平なんだろうって、拗ねていたんだよ」

「そんな時、誰よりの辛いはずの、俺の友達、大輔がさ、笑いながら言ったんだ」

「馬鹿だなお前は。そんなの当たり前だろ。いいじゃんか、お前には時間があるんだから。頑張る資格があるんだからさって」


「グスッ、…俺…情けなくて……ヒック……ごめん……うああ……」


暫く彼は子供みたいに泣いていた。

もちろん私も。


「ごめんね、その、こんな話……帰ろっか」

「ダメだよ。全部教えて」

「でも……」


私は真っすぐ彼の目を見つめた。


「お願い。おしえて」


彼はため息をついて口を開いた。


「分かった。けど、俺絶対に泣くからね。もう我慢できないから……いいね」

「うん」


「……高校に入ってから大輔の体調はどんどん悪くなっていってさ、実は去年一度意識を失ったんだ」

「でもさ、何とか意識が戻って、驚くほど体調が良くなって、また自宅での療養になったんだ。俺慌ててお見舞いに行って、そしたらさアイツ『おれもう16じゃん?6年以上得したわ』ってあっけらかんと言うんだよ。心配した俺の気持ち返せーって思わず言ったくらい」


寂しそうに笑う本田君を見て、わたしは何だか悲しくなっていた。


「俺はさ、あー、こいつには絶対敵わないやって思ったんだ。きっと笑いながら死ぬんだろうなって」

「………」

「そして先月、お見舞に行ったんだ。……結局それが最後だった」


本田君は空を見上げ涙を拭いていた。


「お見舞が終わって俺が大輔のお母さんと話してたら、いつも寝ているあいつが急に起きてきてさ、真剣な顔で俺に言ったんだ。『来週から入院する。暇なら来てほしい』って。初めて言われた。だから俺、驚いたけどいつもみたいに『ああ、またな』って言って、別れたんだ」


「…うん」


「もちろん病院の場所も聞いたし、行くつもりだった。でも、母さんの弟が急に事故で亡くなってさ、お葬式になったんだ。母さんの実家は長野で遠いし、おじさんだからね、当然行くでしょ。母さん体弱いから俺が連れていかなくちゃって」


本田君の目から、色が消えていく感じがした。


「俺は冷たい人間なんだよ。葬式があったり母さんの病院の付き添いとかで忙しくても、本当に心配なら大輔に会いに行けたのに……」


「連絡がこないことを言い訳にして、結局行かなかったんだ。それで昨日俺は大輔の家に電話したんだ。お母さんに聞こうと思って。そしたらあいつ一昨日死んだって」


本田君はポロポロ涙を流していた。


「そしてさ、グスッ、おかあさん、ヒック…ありがとう、…うう…って…俺が…いてくれて…グスッ…大輔…ヒック…しあわせ…だったって…うああ、ああああああああ」


国道を走る車の音が、本田君の鳴き声を消していく。

私も声をこらえながら大泣きしていた。


二人でずっと泣いていたんだ。


ふと本田君が話し始めた。


「アイツさ、最後まで『俊則が来てくれる』って『だから負けない』って『病気になんかぜったに負けない』って……そして死んでいったんだ。……俺はどうしようもないクズ野郎なんだよ。親友の最後の頼みすら聞けない、ダメな人間なんだ」


わんわん泣く本田君は、太っちょで大きい体なのに、まるで小さい子供もみたいに見えたんだ。

どのくらい泣いていたんだろう。

彼の目はもう真っ赤になっていた。


「……ごめんね、変な話してさ…ああ、もうこんな時間だ。………高坂さん、家どこ?良かったら送っていくよ」


この人は……なんて優しい人なんだろう。

どうしてこんな悲しみを一人で背負おうとしているんだろう。

そしてきっとこの人は……


※※※※※


自転車の車輪が回る音が、二人の足音と一緒にあたりに響いていく。

まるで自分しかいないんじゃないかと思うくらい、二人は無言で歩いていた。


「ねえ、本田君」

「ん、なに?」


私たちは並んで自転車を押しながら歩いて帰っていた。


「私ね、たぶんあなたが好き」

「っ!?えっ……な、なんで?だって、俺、あんなに、泣いて、その…」

「そしてね、今のあなたは大嫌い」

「えっ、……ああ、そ、そう、だね……うん…俺、カッコ悪い…」


しょんぼりと俯く本田君。

私は自転車を止めて本田君に向き合った。


「違うよ。本田君は全然悪くない。大輔さん、あなたの事、絶対恨んでないよ」

「…でも、俺は……」

「なんで自分を責めるの?今の本田君、大輔さんが見たらなんて言うと思う?」

「……」


そして私はたまらず我慢できずに声を上げて泣き出してしまった。


「ありがとうって、グスッ、絶対ヒック……うあ…言う……うああああ」

「高坂さん、ヒック…泣かないで…グスッ…ねえ…うう…うあ……うああああああ」


もうダメだった。

彼の悲しみが私とリンクした。

二人はいつまでも子供みたいに声をあげて泣き続けていたんだ。


雨が降ってきても濡れながらずっと、ずっと……

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