二十四 燻り出し

 その頃。(二十六日。昼四ツ半(午前十一時))

 土蔵内の与三郎は、脇差しで塗壁戸を突き崩している手下を罵った。

「早くしやがれっ。

 阿久津っ。てめえは何をしていたっ。高い金を払って雇ってんだぞっ。

 藤正屋の用心棒如きを倒せずしてどうするっ。

 捕り縄の分銅を食らって気を失うとは、あきれた手練れだ。

 ええいっ、早く塗壁戸を崩せ」

 与三郎は罵っているだけで塗壁戸を崩そうとしない。与三郎たちが持っているのは与三郎と番頭の安吉と手下が持っていた脇座しだけた。他に塗壁戸を崩す道具は無い。阿久津真之介と浪人者の刀は、唐十郎たちによって取りあげられたままだ。


「おめえら、さんざん女を使って盗みをしたんだろうっ。

 晒し首になってまで親分子分なんぞ言ってられねえぞっ。

 ごたごたぬかしてねえで、己も手下と交代して塗壁戸を崩せっ。

 このまま、ここでくたば気かっ」

 阿久津真之介が与三郎を一喝した。阿久津は手下と塗壁戸を崩す作業を交代した。

「外へ出ても町方がいる。どうやって逃げるのだっ」

 与三郎は命令するだけだ。塗壁戸を崩す作業どころか考えようともしない。

「出てみなけりゃあ、わからねえぜっ。出るのが先だっ。

 それとも、おめえはここでくたばるのを待つのかっ」

 阿久津は脇差しで塗壁戸を崩すが塗壁戸は岩のように硬い。

 俺が口入れ屋の用心棒として夜盗に手を染めたのは今回が初めてだ。与三郎と番頭の安吉を町方に突きだせば、死罪を免れる・・・。それにしても腹がへった・・・。眠い・・・。それに土蔵の中というのに暑い・・・。


「阿久津っ。おめえ、ここを出て、町方の手を逃れる手があるんだろう。

 もしかして・・・」

 与三郎は阿久津の考えに気づいた。

「なにを言いやがる。俺がおめえを町方に突きだすと思って、その前に俺を始末しよって腹かっ。

 いいか、よく聞け。

 ここで仲間割れして誰かを殺っちまえば、その後、どうなるか考えてんのかっ。

 このくそ暑くなってきた土蔵に仏が転がったら、どうなるんだっ。

 その事を考えてんのかっ」

 阿久津は与三郎を睨みつけた。

 阿久津に痛いところを突かれて与三郎が黙った。

 浪人といえど阿久津は武士だ。刀を交えた相手は一人や二人ではない。こうして生きているのだから、刀を交えた相手は全て斬殺している。

 一方、堅気の町人たちには凄みを利かせる与三郎は夜盗の頭領でしかなく、渡世人はおろか香具師や無頼漢たちと生き死にをかけて刀を交えたことは一度も無い。口先だけで腹が据わっていない。


「ほれ、交代だ。しっかり掘れよ。お前さんも交代して眠っておけよ」

 阿久津が、使っていた脇差しを与三郎に渡して作業を交代し、作業している手下を番頭の安吉と交代させた。

「くそっ。腹がへったな・・・。

 ああ、なんか、うまそうな匂いがするぜ・・・。この戸の向こう側だな」

 土蔵の外から漂う匂いを嗅ぎつけて、安吉がそう言った。

「戸の向こう側に町方が居る・・・。てえことは、掘る場所をまちがえたぜ。

 裏だ。裏を掘れっ」

 阿久津が作業を中断させた。

「くそっ、腹がへったっ。

 空きっ腹にこの匂いだ!苛々するぜっ」

「誰のせいで、こんな事になっちまったんだっ」

 夜盗たちは与三郎を罵りながら土蔵の奥の金蔵の向こう側へ移動して、土蔵内の腰板を剝がして壁を掘り崩しはじめた。



 その頃。

 土蔵の塗壁戸の外では、町方と特使探索方が交代で鳥鍋を食しながら、土蔵を監視していた。

「中の音が消えました。掘る場所を変えたようです」

 塗壁戸に耳を近づけていた同心の松原源太郎が小声で藤堂八郎と唐十郎に伝えた。

「こっちですぜ。掘っているのは裏手ですっ」

 藤兵衛が足音を忍ばせて土蔵の裏から歩いてきた。


「よし。土蔵の裏手で火を燃やせ。壁に穴が開いたら、ただちに燻り出せっ」

「わかりましたっ」

 藤堂八郎の指示で、鳥鍋を食していた同心野村一太郎と町方が土蔵の裏手で松の枝を燃やしはじめた。

「松葉をくべろっ」

 焚き火に松葉が入れられて、空へ黄緑色の煙が立ち昇った。


「壁のどこを崩しているか探れ。そこへ蛇腹の口を貼りつけろっ」

 藤堂八郎は同心たちにそう指示して、松葉を焚く町方たちを静かにさせた。同心たちは土蔵の裏手の壁に耳を近づけて聞き耳を立てている。

「ここです」

 同心岡野智永が土蔵の裏手の軒下にある、鉄格子がはまった観音開きの塗壁扉の真下を示した。唐十郎と藤堂八郎が耳を近づけると、中からコツコツ音がする。

「よしっ、ここに蛇腹の口を貼りつけろっ」

 藤堂八郎の指示で、同心たちが長提灯を連ねたような蛇腹の筒の口を土蔵の白壁に、植木職人が持ちこんだ脚立と細い丸太で固定した。

 蛇腹のもう一方の口は、松葉を燻している焚き火の傍にあり、松葉が燻る黄緑色の煙を、町方たちが大団扇で蛇腹の中へ扇ぎ入れている。

 土蔵の白壁に設置された蛇腹の筒の口から、松葉を燻す黄緑色の煙がモクモクと土蔵の白壁に吹きつけた。



 一方、土蔵の中では、阿久津たちが土蔵の壁に穴を開けようと必死に作業していた。

「そろそろ穴が開くぞ。外側の漆喰一枚を残して穴を拡げろっ。

 苦も無く通れるように穴を拡げろっ。

 いっきに外側の漆喰を崩して外へ出るのだっ」

 阿久津の指示で、手下たちは穴を拡げるために、土蔵の壁土とその中の木枠と竹格子を脇差しで切り刻んだ。

 手下たちと安吉の手は汗と血豆と壁土で黒く汚れている。阿久津の手も汚れているが刀を使い慣れているため血豆はできていない。

 かたや与三郎の手は土汚れだけだ。口先ばかりで何ら作業していないのがわかる。


「チッ、外に出たところで、大捕物の餌食だ。腹を括るしかねえぞっ」

 今になって与三郎が観念しはじめた。

「もうじき穴が開く。大捕物だろうよ。捕縛されりゃあ、おめえはまちがいなく死罪だ。

 町方は、おめえが女を大店へ潜りこませて盗みの手引をさせたのを知ってるから、こうして俺たちをはめたんだ。

 おめえは、捕縛されて晒し首になるのが恐ろしいのか。

 それなら今この場で、その首を叩き切るっ

 。そうすりゃあ、ここも静かになるってもんよっ。

 さあ、どうするっ」

 阿久津は壁土を崩す脇差しを与三郎に向けた。壁土や竹格子や木枠を壊したため脇差しは刃毀れしているが、与三郎の首の一つや二つ、まだまだ叩き切れる・・・。


 阿久津の言葉に、

「・・・」

 与三郎は沈黙した。それだけでなくガタガタ震えだした。

 状況を見ていた安吉が与三郎の狼狽ぶりに呆れた。

 日頃から偉そうなことを言いやがって、いざとなればこの様だ。

 これでよくまあ、女を使って盗みをやってこれってもんだ。

 女や手下たちが、与三郎より優れていた証ってもんよな・・・。

 錠前にしろ、これまで与三郎が開けた錠前なんぞ、一つも有りはしねえ・・・。

 安吉はこれまで開錠した錠前を思いだしていた。

 俺の手が無けりゃあ、与三郎は単なる口入れ屋だ。

 肝っ玉のちっちぇえ、みみっちい、チンケナな口入れ屋だ・・・。

 そうか、多惠が抜けたのは、与三郎の肝っ玉を見抜いた、そういう事か・・・。

 この時になって安吉は、気の小さい、口先だけの与三郎郎の性格に気づいた。


 そうこうするうちに、手下たちは壁土を崩して掘った。壁土を支えていた竹格子を切り刻んで、それらを支えている木枠を脇差しで削った。

 壁土は土蔵の外側の漆喰い一枚とその内側の塗壁を残して、充分に人が通れる大きさに壁土が取り除かれた。

「阿久津さんっ。漆喰と壁土を支えている竹格子は、周囲を全部切り離した。

 蹴破れば穴が開く。すぐにも蹴破るか。どうするっ」

「うむ。しばらく休んで、その間に様子を見よう・・・・」

 阿久津がそう言って手下たちに休息するように話しているあいだに、

「うおおおっ」

 与三郎が雄叫び上げて、壁土を崩した穴へ突進した。


 メリメリと音を立てて漆喰と土壁が外へ歪んだ。壁土を崩した穴へ突進した反動で、与三郎は弾き戻されて土蔵内に転げた。

「壁を崩しきってねえぞっ」

 与三郎が苛立って怒鳴った。

 漆喰と土壁の間にまだ竹格子があった。漆喰と崩していない土壁のあいだに裂け目ができたが、漆喰と壁土の間の竹の格子は土蔵の外へ歪んだまま形を残している。


 漆喰の裂け目から、次々に松葉を燻した黄緑色の煙が土蔵内へ吹きこんだ。

「煙くてたまらねえっ」

 安吉たちが口々に怒鳴って、着ている物を脱いで壁の裂け目に詰め込むが、それだけでは足りない。次々に松葉を燻した黄緑色の煙が土蔵内へ吹きこんでくる。

「まったく、なんて事しやがるんだっ。

 様子を見ると言ったのがわからねえのかっ」

手下たちは与三郎を罵って殴ったた。もはや、与三郎は夜盗の親分の座から失墜している。

「てめえが馬鹿な事するからこの様だ。煙くてかなわん・・・」

 煙が染みる目で、阿久津は与三郎を睨みつけた。

 このままでは燻し出されてしまう。

 おまけに、この馬鹿は何だ。余計なことばかりしおって・・・。

 だが、この馬鹿のおかげで、外の様子がわかった。

 このままでは燻されて音を上げるだけだ・・・。

 阿久津はそう思った。


 土蔵の壁に開いた裂け目に、火消しの鳶口が突きこまれた。壁が外側から崩されている。外には町方だけでなく、火消しもいるらしい。それが証に、土蔵の屋根から人が動きまわる音が聞える。

 安吉たちが口々に叫んだ。

「おいっ、町方が来るぜっ。くそっ。煙くてかなわんっ。町方が来るぞっ」


 土蔵の壁の裂け目が拡がって、いっきに崩れた。同時に、大団扇に扇がれた松葉を燻した黄緑色の煙がどっと吹きこんだ。

 土蔵内の阿久津たちはゲホゲホ咳き込み、まぶたを腫らして涙を流した。煙はどんどん土蔵に吹きこんでくる。

「くそっ、お手上げだっ。この土蔵に金があるとわかったら、矢も盾もたまらず頭に血を昇らせて、今までの段取りを無視しおった、この馬鹿のおかげでこうなったっ

 皆、覚悟するしかねえぞっ」

 阿久津がそう言っている矢先に、

「うおおっっ」

 またまた与三郎が、松葉を燻す黄緑色の煙が吹きこむ壁の大穴へ突進した。

 だが、与三郎の姿が大穴を通って黄緑色の煙の向こうへ消えると、

「ぎゃあっ」

 すぐさま煙の向こうから与三郎の絶叫が響いた。

 与三郎は町方の捕物道具で捕まれ、叩かれ、その場で悶絶したらしかったが、土蔵内の阿久津たちには何が起ったか見当かつかなかった。


 その時、土蔵の入口の塗壁戸が開いた。ここからも、松葉を燻した黄緑色の煙がどっと吹きこみ、土蔵内は完全に黄緑色の煙で覆われた。何も見えない。

「これじゃ話にならねえっ。外へ出るぞっ」

 阿久津が不敵に笑いながらそう言った。安吉たちは腹を決めて脇差しを手にした。

「かかれっ」

 阿久津たちは二手に分れて、土蔵の入口と裏の壁に開いた大穴に突進した・・・。

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