二十五 多惠の素性

 かつて、香具師の元締めの藤五郎が主だった田所町の亀甲屋は、廻船問屋だった。そして今、亀甲屋は与三郎たちを捕縛するための囮の店、藤正屋であり指物問屋である。

 本来、大工町にあるべき指物の店が田所町にあるのを大工や指物師はふしぎに思うが、口入れ屋の与三郎は田所町の指物問屋の藤正屋を何も奇妙に思わなかった。明らかに、口入れ屋が仮の商売だと示しているようなもので、間抜けというしかなかった。


 文月(七月)二十六日、夕七ツ半(午後五時)。

「加賀屋の土蔵から盗んだ五千両はどこだ。言えっ」

 町方に捕縛された与三郎たちは、大伝馬町の自身番で、与力の藤堂八郎の詮議を受けた。

「・・・」

 与三郎たちは黙秘している。

 藤堂八郎は 今後、与三郎たちがどういう取り扱いを受けるか説明した。

「これからおまえたちは、茅場町の大番屋で吟味与力による厳しい吟味を受ける。黙っていれば仕置きを受ける。まあ、石の二つも抱けば、話す気にもなろう」

 石を抱くとは、断面が三角形の角材を敷き詰めた座所の上に正座させて、膝の上に石塔のような切石を何枚も乗せて自白を強要する拷問だ。これをやられると脛の皮膚は裂けて骨は砕け、死罪になる前に苦しみながら死ぬのが落ちだ。


「いずれ、死罪だ。死ぬまでに苦しむか、素直に吐いて楽に死ぬかだ。

 阿久津。今回が初めての盗みだなどとの言い訳は通用せぬぞっ」

 藤堂八郎は与三郎たちを睨んだ。

 どんな理由があろうと、窃盗は死罪だ。この大伝馬町の自身番での自白の有無にかかわらず、与三郎たちは茅場町の大番屋で吟味与力による厳し吟味を受けた後、伝馬町牢屋敷送りになって死罪になるのはまちがいない。

「待ってくれ。死罪なら苦しまずに死にてえ・・・」

 与三郎と安吉が覚悟を決めて話しはじめた。与三郎はこれまでの犯行を全て自白して、盗んだ金の在りかを語った。阿久津は黙ったままだ。


「加賀屋の女房とお前たちの関係は何だ」

 藤堂八郎の問いに、与三郎は、藤堂八郎の思いもよらぬ事を話しはじめた。

「多惠は卯月(四月)初旬にふらりと現れて、上女中として雇ってくれと言った。そして・・・」

 卯月(四月)初旬。加賀屋菊之助の女房八重が他界した。

 菊之助は八重にべた惚れだったため、多惠が加賀屋に奉公すれば、菊之助は多惠に夢中になり、加賀屋の金蔵を襲撃する手筈を菊之助から聞けるはずだと多惠が話した、と与三郎は藤堂八郎に説明した。


「加賀屋に浸入する手筈を整えたのは、多惠か・・・」

 吟味に同席している唐十郎は、藤堂八郎が驚きを隠せぬままそう呟くのを聞いていた。



 暮れ六ツ半(午後七時)。

 藤堂八郎と同心たちと町方が、与三郎たち五人を茅場町の大番屋へ連行して入牢させた。

 同心たちと町方が帰宅の途につくと藤堂八郎が言った。

「唐十郎さん。多惠の事をいかが思うか。

 八重さんが亡くなった頃に、多惠が口入れ屋に現れた。

 唐十郎さんが言ったように、

『八重さんに瓜二つの多惠がいて、山王屋与三郎は多惠を使って加賀屋に夜盗に入った』

 のであろうか・・・」

「結果はそうなるが、加賀屋の夜盗を持ちかけたのは多惠ですね。

 与三郎の話では、多惠は事前に加賀屋菊之助をよく知っていたため、加賀屋に錠前を商った獅子堂屋の番頭の安吉を夜盗の一味に引きいれた。

 八重さんを亡き者にして、多惠が上女中として加賀屋に入ったと推測しましたが、多惠が事前に加賀屋菊之助をよく知っていた事から推察して、八重さんと多惠は同じ人物のような気がします。

 もしそうなら、伯父上の推察のように、八重さんはもっと早くに亡き者にされて、多惠が入れ代っていたとが考えられます。

 あるいは与五郎が探ってきたように、八重さんに成りすました多惠が眠り病で亡くなったと見せかけて、多惠として加賀に入った・・・。

 眠り薬を使って亡くなったと見せかけるのは可能でしょう。竹原松月先生に訊けば、何かわかるはずです。

 八重と多惠の関係は、ひき続き与五郎に探ってもらいましょう」


「うむ。そうだな。そうだな・・・。

 ところで、藤正屋はどうするのだ。明日にも片づけて店終いするのか」

「今頃、皆で、店終いの仕度をしていることでしょう。

 せっかく店開きの準備をしたのに惜しいことです。そろえた指物くらいは商いたい、と藤兵衛が話していました・・・」

「私に考えがある。店終いを先延ばししてくれ。と言うのは・・・」

 藤堂八郎は加賀屋の多惠の素性を探るため、藤正屋を正規の御店と見せかけておく方が、夜盗が入ると知らせてきた、加賀屋の番頭の平助と多惠と加賀屋菊之助を欺けると考えていた。

「わかりました。与三郎についで、多惠の素性を炙り出しましょう。

 明朝、遠回りになりますが、出仕前に藤正屋にお寄りください」

「あいわかった」

「私は藤正屋に戻ります」

 唐十郎は茅場町の大番屋の外で藤堂八郎とわかれて、田所町の藤正屋へ急いだ。



 藤正屋に着くと、

「店終いは取りやめだ。前妻の八重と多惠は同じ人物かも知れぬ。

 藤堂様の指示で・・・」

 唐十郎は藤堂八郎の考えを皆に説明した。

「盗人たちを捕まえたが、盗まれた金が加賀屋に戻るのは先のことだ。

 与五郎はひき続き両替屋の番頭として加賀屋で多惠の動きと素性を、それと先妻の八重と多惠が同一人物か探ってくれ」

「わかりました」

 与五郎は八重と多惠についてお加代から聞き出そうと思った。


 八重と多惠が同じ人物の可能性は充分考えられる。しかし、安吉が話したという佐恵は何者か・・・。大伝馬町の自身番で与三郎たちをもっと問いつめるように、藤堂さんに口添えすべきだった・・・。これで、加賀屋の多惠が逃げようものなら、また何処の御店が似たように手口で夜盗被害を受けるだろう・・・。

 唐十郎は己の落ち度を悔やんでいた。



 翌日(文月(七月)二十七日)、明け六ツ半(午前七時)。

 与力の藤堂八郎が藤正屋に現れた。

「日野先生はいかがいたした」

「伯父上たちは昨日、日野道場へ戻りました」

 与三郎たちが捕縛されて大伝馬町の自身番へ連行された後に、徳三郎夫妻と日野穣之介と坂本右近が日野道場へ帰ったため、今は藤正屋にはいなかった。残っているのは藤兵衛夫婦と正太と辻売りの達造と仁介、そして唐十郎夫婦だ。


「与五郎は加賀屋へ出かけたか」

 すでに小間物売りの与五郎は両替屋佐渡屋の番頭として加賀屋へ向っている。

「はい、出かけました。与三郎たちに関係する事は、与五郎が知らぬ方が良いかと・・・」

「そうだな。知っておれば顔に出る。出れば、多惠に気づかれる」

 藤堂八郎は納得して話を続けた。

「昨日、与三郎たちを捕縛して以来、千住の山王屋は町方が包囲したままだ。

 私はこれから山王屋へ行き、家宅改めと検分を行い、盗まれた金を探さねばならぬ。

 山王屋に残っているのは奉公人だけだ。奉公人たちは与三郎たち夜盗の事を何も知らぬだろう」

「藤堂様。山王屋の下女のおよねは、与五郎の密偵ですが、すでに山王屋から暇を取っていますので、承知しておいてください」

 与五郎が下女として口入れ屋に潜入させたおよねこと沙耶は、藤正屋襲撃の策略を書き込んだ団扇を与五郎に渡した翌日の二十五日に、すでに暇を取って口入れ屋を辞めている。

「あいわかった」


「与三郎の口から、もっと多惠の素性を訊くべきでした。私の落ち度です」

 唐十郎は素直に藤堂八郎に詫びた。

「唐十郎さん。心配には及ばぬ。私とて昨日の与三郎の自白が全てなどと思ってはおらぬ。

 大番屋の吟味与力は我が従叔父だ。今日からの吟味で、与三郎は洗いざらい話すはずだ」

 三年前に与三郎が口入れの山王屋を開いた時から大店が夜盗被害にあっている。そして、四年前に多惠が江戸に移り住んでいる。

 藤堂八郎は今までの八重への思いを捨てて、唐十郎と同じように、与三郎と多惠が大店の夜盗事件に関連していると考えていた。

「皆は、しばらく藤正屋を続けて、加賀屋の多惠を欺いてください。

 藤正屋襲撃の策略に多惠が絡んでいないか、多惠の見張りを頼みたいがいかがか」

 藤堂八郎は達造と仁介を見てそう言った。

「わかりました。ふたりとも頼みます」と唐十郎。

「がってんです。どうも、奉公人てえのは、堅苦しくて・・・」

 ほっと肩の力を抜いて笑みを浮かべ、達造と仁介は承諾した。



 朝五ツ(午前八時 辰ノ刻)。

 与五郎は両替屋の佐渡屋の番頭に扮して加賀屋の座敷で座卓に向い、大福帳の頁をめくった。

 座敷に、お加代がお茶を持って現れた。お加代は、座卓にお茶を置いて、お茶がこぼれると大福帳がだいなしになるのを気遣い、畳にお茶の茶碗が載ったお盆を置いた。

「与五さん。一昨日、藤正屋さんへお金を運んだでしょう」

 そう言ったあとで、お加代は声をひそめた。

「昨日、盗人一味が捕まったんですってね。捕物の現場に与五さんもいたんでしょう。

 一味は山王屋さんなのかえ・・・」

「おや、そんな事を何処からお聞きなすった。ずいぶん詳しいじゃないですか」

「本両替町から、田所町の藤正屋の奉公人と町方が千両箱を運んだって言うじゃないか。

 与五さんが運ぶのを手伝ってたと言うから、両替屋は本両替町の佐渡屋だって噂だよ。

 なにせ、本両替町とここ呉服町は、目と鼻の先。田所町も近所だよ」


 お加代の話を聞いて与五郎は思った。

 藤正屋に千両箱が運ばれたと聞いただけで、多惠は藤正屋に夜盗が入ると目星をつけた・・・。加賀屋の番頭の平助に藤正屋へ文を届けさせたのは、多惠が与三郎の一味である証だ。菊之助はその事に気づいているのだろうか・・・。

「ところで、御店で変った事はありませんでしたか」


「朝から多惠さんが千住の山王屋さんへ出かけた、と旦那さんが言ってましたよ」

「何だってっ」

「なんでも藤正屋さんで捕まった盗人が山王屋さんか、確かめたに行ったらしいですよ」

「多惠さんは、金を盗んだのが山王屋か否か問いつめる気だっ。多惠さんが危ないっ。

 昨日、与力の藤堂様が、今日は藤正屋にいると話していたから、知らせてくるっ」

 与五郎はそう言って急いで座敷を出た。

 多惠が逃げた・・・。どうする・・・。山王屋は町方が包囲している。今日は家宅改めがあるだろう。多惠が山王屋から金を出そうとしても、町方に捕縛される・・・。それより、なぜ、山王屋へ行ったのだろう。多惠の立場が不利になるだけだ・・・。

 土間を小走りに歩いて加賀屋を出た与五郎は、藤正屋へ走った。

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