二十一 千両箱

 翌日(文月(七月)二十五日)、早朝。七ツ半(午前五時)。

 与五郎は、本両替町の両替屋佐渡屋から田所町の藤正屋に、大八車で千両箱二つを運んだ。人足は藤正屋の奉公人と用心棒の総勢六名。警護に町方とその手下の計五名がついている。

 藤正屋が御店を開くのは来月葉月(八月)二十日だが、葉月初旬には上女中が藤正屋に奉公する。それまで何かと銭金が要る。千両箱は藤正屋の主の藤兵衛みずからが造ってすでにそろえてあった。


 明け六ツ(午前六時)。

 土蔵の金蔵に二つの千両箱を納めて施錠すると、主の藤兵衛は町方たちに言った。

「皆様。ご苦労様でした。朝餉もまだのことと存じます。朝餉を用意しておりますので、どうぞ、座敷へお上がりくださいまし」

 藤兵衛は町方たちを座敷に上げて朝餉をもてなした。藤正屋の奉公人同様に、町方も藤正屋が夜盗を欺く囮だと知っている。皆の口は堅い。


 朝餉の席で、与五郎は与力の藤堂八郎に、加賀屋で聞きこんだ八重の死因を報告した。

「藤堂様。八重さんの死因ですが、下女中のお加代が、

『眠り病と聞いてます。情の深い方でしたから、御店の切り盛りと、旦那さんとの毎夜の伽で疲れていたとの事でした』

 と話していました」

「眠り病とは異な事を・・・。いずれ調べようぞ。皆に報告したのか」

「はい」

「あいわかった。よくやってくれた。ひき続いて探ってください。頼みますよ」

 藤堂八郎は与五郎に礼を言った。

「藤堂様。お役に立てて光栄です」

 与五郎は藤堂八郎の言葉に礼を述べた。


 藤兵衛は朝餉をすませた町方に、

「お役目の足しにしてくださいまし」

 と心付けを渡した。

「こたびの警護はお役目なのに、あいすまぬな。では、遠慮なく頂戴します」

 与力の藤堂八郎はそう言って藤兵衛の心付けを受けとった。



 その頃。

 藤正屋の土蔵裏の塀に身を潜めて、藤正屋の中を探る者がいた。阿久津真之介だった。藤正屋に運んだ千両箱が土蔵に納められるのを確認した阿久津は、塀から飛びおりて裏長屋を抜け、新大阪町の通りへ出た。通りを北西へ走り、通旅篭町の通りを北東の千住方向へ走った。


 阿久津が土蔵裏の塀から消えると土蔵の陰から唐十郎が出てきた。唐十郎は土蔵から藤正屋の座敷に戻って、奉公人と町方に、阿久津真之介が土蔵の裏から千両箱が土蔵に納められたの探っていた事を話した。

「これで、この藤正屋に金があるのが山王屋与三郎に知れた。今夜にも夜盗が入ると思っていた方がよい・・・」

 与五郎と与五郎の密偵の沙耶が探ってきた番頭の安吉の話は、

『多惠殿は戻らぬ。

 佐恵を呼ぶ。早飛脚を使えば行きに二日、佐恵がこっちに着くのに八日。

 藤正屋が店を開くのは来月、葉月(八月)の二十日。葉月初旬に、上女中の奉公の日取りを伝えると言ってある。充分まにあう。

 多惠の始末はその後でいい。与三郎にそう伝える』

 である。

 しかし、藤正屋の土蔵に二千両の金があると知れば。上女中を送りこんで内情を探らずとも土蔵を開錠すれば金を奪える。いかにして奉公人や用心棒に気づかれずに金を奪うかである。


「では今日から怠らずに警戒します。皆、よろしく頼む。

 町方の皆さんも、よろしくお願いします」

 藤兵衛は、町方と、奉公人に扮した正太と辻売りたちに頭を下げた。

「岡っ引きの鶴次郎と手下の留造を奉公人に扮して藤正屋に入れて、見張らせようぞ」

 八重と多惠。そして佐恵・・・。いったい、佐恵という女は何者か・・・。

 藤堂八郎は、佐恵という女を探らねばと思った。


「遅くなってあいすまぬ」

 徳三郎が妻の篠とともに座敷に現れた。ふたりとも町人の身なりだ。

 唐十郎から、阿久津真之介が藤正屋を探っていた事を聞き、徳三郎は、

「『早飛脚を使えば行きに二日、佐恵がこっちに着くのに八日』

 と言うのだから、これまでの経緯を考えれば、佐恵の居所は仙台であろう・・・。

 手練れは阿久津真之介だけのようじゃな」

 そう言って徳三郎は座敷の下座に座った。座敷にいる皆がそれぞれの役割を心得ている。徳三郎の立場は書物問屋の隠居だ。隠居はさらに話した。

「ここに来る途中、浅草寺近くで、刀を一本落し差しにした殺気だらけの浪人とすれ違った。与五郎が説明した阿久津真之介であろう。

 しかしながらあの殺気。無頼の輩とは言え、それなりの手練れだ。

 唐十郎。そなたが奴を成敗いたせ。他の者は距離を置いて捕り方に徹するのだ。

 藤堂様。くれぐれも阿久津真之介とは刀を交えぬようにしてくだされ」


「日野先生の言葉、しかと受け止めました。

 先生は、夜盗がいつ入るとお思いますか」

「金があると知られたゆえ、夜盗は今日明日にも押し込んでくるであろうよ」

「では、上女中が奉公に上がって、店の内情を探る事は無いとお考えか」

「あくまで可能性の問題じゃ。警戒を怠ってはならぬ。

 また、見知らぬ者など人が尋ねてきたら、警戒せねばなぬ・・・」

「あいわかった」

 皆が徳三郎の言葉に頷いている。


「ごめんくださいましっ。ごめんくださいましっ」

 店の方で声がした。

 もう明け六ツ半(午前七時)だ。人が訪ねててきてもおかしくない刻限だ。

 それにしても、千両箱を二つ運び入れたこの刻限に人が来るとは・・・。

 皆の顔に緊張が走った。

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