第15話 来客の多い日

 アストラル王国と魔族領。隣り合わせに存在するこの2つの国は昔から仲が悪い。

 その原因は今よりずっと昔に起こった些細な喧嘩からだそうだ。 


 元々2つの国は隣同士という事もあって普通に国交があった。

 両国の王同士の会談も定期的に行われていたのだが……その際の会食でちょっとした口喧嘩が起きた。 

 そこからだんだんとこじれていき、口喧嘩の規模が大きくなり――一時は戦争にまでなるくらい関係は悪化していたらしい。


 今でこそ、そこまで行ってはいないものの、勇者を送り込むくらいの事はしているので、相変わらず関係は最悪のままだ。

 もっとも魔族領側も「魔王ってそういうもの」というふわっとした理由で、ロザリーを攫っていたので、どっちもどっちかもしれない。

 ……なんて、当事者である僕が言えた事ではないのだけどね。


 だからこそ、マリアンヌさんが見せてくれた新聞記事の内容が良くない・・・・

 魔族領側でも、あの写真が僕の作戦——つまり戦争を引き起こそうとしているのかもしれないという懸念を抱いたのが、現実のものになってしまうかもしれない。

 国民の感情を煽るだけ煽って魔族領に攻め込む。そんな事を考えている人間がいるかもしれないという事だ。


 僕個人の評判は、それこそもう地の底なので、今更どう噂されようが構わない。

 けれど魔族領へのイメージが悪くなると、魔王にだけ任されていた魔王討伐のような仕事が、民間組織にまで依頼されるようになるかもしれない。そんな事になれば大きな争いの種になってしまう。


 僕が王国へ戻って事情を説明したところで信じてはもらえないだろうし、下手な事を言えば逆上されて、もっとまずい事になってしまうかもしれない。

 とすると、どうすれば良いか……という話なんだけど。

 攻め込んで来るアストラル王国側の人間を追い返しつつ、地道に噂を上書きしていくしかないなかと思う。


 信頼できる相手から、信ぴょう性の高い噂を流してもらうのが一番だろう。

 何人か思い当たる人物はいるから、連絡を取って頼んでみる……事はしたいんだけど、果たして今の僕の言葉をどこまで信用してくれるだろうか。

 僕の存在が火種になってしまったので、何とかしたいんだけど、どういう手段を取るべきか……。

 そんな事を考えていたら、

 

「レオ、悩み事?」


 と、至近距離からロザリーの声が聞こえた。

 あれ、と思って顔を向けると、僕の立っているカウンターの向かい側から、ロザリーがひょっこりと顔を覗かせている。

 考え事に没頭していたせいでロザリーが来た気配に気付けなかったようだ。

 さ、さすがにこれは勇者失格……。いや、そもそも失格になったからここにいるんだけど……。


「いらっしゃい、ロザリー。ごめんね、気付かなくて。いつから来ていたの?」

「ついさっき。準備中って書いてあったから、一応ノックをしたけど、返事が無かった。そうしたら『星降り』がいいよって入れてくれた」

『呼びかけても全然反応しなかったぜーレオー』


 どうやら『星降り』の声にも気が付かないくらい、僕は考え事に没頭していたらしい

 カフェの中だったから良かったけれど、これが外だったらまずい。だいぶ気が緩んでいるようだ。

 気を付けないとなと思いながら僕が頬を指でかく。


「ごめんごめん。ちょっと考え事をしていて」

「考え事? 何かあった?」

「うん、ちょっとね」


 さすがにロザリーの前で、新聞記事について話すのは少し考えてしまい、曖昧に誤魔化してしまった。

 けれどロザリーは首を傾げるくらいで、深く追求してくる事はなかった。

 ……良かった、と少しほっとする。


「そっか。でも、私に何か手伝える事があったら、言ってね。レオの手伝いしたい」

「ありがとう、ロザリー。その時は頼りにさせてもらうね」

「うん。……ところでレオ、さっきから何を作っているの?」


 ひょいとロザリーは僕の手元を覗き込んで来る。

 そうそう、今ね、クッキーを作っているところだったんだよ。料理をしながら考え事をするのが一番捗るんだ。

 今回作っているのはシンプルなプレーンクッキー。寝かせる時間が終わったから、生地を伸ばして型抜きしようと思っていたところなんだ。


「あ、これはね、クッキーだよ。これから型抜きしようと思って」

「…………」


 するとロザリーが、興味津々という目でクッキー生地を見つめていた。

 食べてみたい……と言うよりは、作ってみたいというような感じもする。

 ちょっと聞いてみようか。


「ロザリー。良かったら一緒にクッキー、作る?」 

「いいの?」


 僕がそう聞くと、ロザリーは目をキラキラ輝かせてこちらを見た。

 素直な反応が可愛くて、くすりと笑って、


「うん、いいよ。それじゃあ……よいしょっと。この中から好きな型を使ってクッキー生地を……」


 と言いかけた時。

 カフェのドアが勢い良く開かれて、今度はディが飛び込んできた。


「楽しそうな話が聞こえた! ずるいぞ! 俺もやりたい!」

「ディ、ドアは静かに開けようね」

『そうだぞー、静かに開けるんだぞー。びっくりするからなー』


 僕と『星降り』がそう言うと、ディはハッとした顔で「すまん!」と謝ってくれた。こちらもこちらで素直である。

 元気な二人の声に、悩んでどんよりとしていた気持ちが軽くなる。

 つられて笑顔になりながら、僕は二人に予備のエプロンを渡して着てもらった。もちろん手洗いもしっかりしてもらったよ。

 それからカウンターの内側に来て貰うと、二人にクッキー型を見せる。


「それじゃあ、この中から好きな型を選んでね」

「丸いのとか、星型のとか、色々あるね。……これは何?」

「それはマンドラゴラだね。そっちのはドラゴン」

「なら俺はそのドラゴンが良い。かっこいいからな!」


 ディはウキウキした様子でデフォルメされたドラゴンの型を手に取った。分かる分かる、かっこいいよね、その型。

 そう言えばディってば、ランプストーンの町でもドラゴンのランプを推していたっけ。何となく彼の好みが分かってきたぞ。


「……私はこれにする」


 ロザリーは少し考えてから、ハートの型を手に取った。


「あ、いいね。かわいい」

「お前、ハートって柄か?」


 あ、こらディ。またそういう、余計な事を言って……。


「ディの頭髪をハート型にする事が決定した」

「やめろ! 決定するな!」


 ディは大慌てでヒメから距離を取った。

 でもこの間は丸刈り予定だったから、髪が残る分は良かったんじゃないかな。

 ……いや、中途半端に残る分、大変なのか?


 そんなやり取りをしながら、僕達はクッキーの型抜きを始める。 

 伸ばしたクッキー生地に型を押し付けくり抜くだけなんだけど、これが結構楽しいんだよね。

 型に張り付いて、ちょっと崩れてしまうのもあるけど、それもそれで味がある。


「レオは丸型?」

「うん、シンプルにね。でもね、これを……」


 そう言いながら、僕は料理用に使っている針で、丸く型を抜いたクッキー生地に点を二つと、小さな半円を描いた。

 それを見てろざりーが「あ」と目を瞬く。


「顔だ」

「うん、正解!」

「へぇ、こういうのもあるんだな。何か楽しいな、これ」


 ディも楽しそうにそう言った。

 シンプルなクッキーの、ちょっと遊び心が入ると、目で見ても楽しいよね。

 チョコやドライフルーツで飾るのも美味しいし良いよね。


 さて、型抜きを終えたら後は焼くだけだ。この焼く時間がまた好きなんだよなぁ。

 ワクワクした気持ちになっていると、再びカフェのドアが開いた。

 誰だろうとそちらを向くと、入って来たのはマリアンヌさんだ。


「お邪魔します。こちらに魔王様と姫様が……あ、いらっしゃいましたね」


 そのとたんロザリーとディが脱兎のごとく、入り口の反対側――僕の生活空間がある方へ逃げ出した。

 は、速い……! そして判断が早い!

 思わず感心しているが、2人よりもマリアンヌさんの方がさらに素早かった。


「はい、捕まえました」


 ヒュン、

 と風を切る音が聞こえたかと思うと、マリアンヌさんが笑顔を浮かべ二人の首根っこを掴んでいる。


「まままマリアンヌ! こ、これは違うんだ!」

「そう。違う。理由がある。聞いて、マリアンヌ」

「ええ、分かっていますよ、魔王様。そして姫様。抜け出したという事は、よぉく分かっております」


 にこにこ、とマリアンヌさんは美しい笑顔を浮かべている。

 けれどこの笑顔はいつものそれではなく怒っているタイプの奴だ。

 ああ、これは……しっかりお説教される奴だね。


「やだー! いやだー! クッキーを食べるんだ!」

「あと少しで焼き上がる。だから先にクッキー」

「駄目です。お仕事とお説教とお説教とお説教があります」

「説教の回数多くない!?」

「大丈夫ですよ。お説教の後はお説教です」

「何が大丈夫なの!? 増えてない!? ぐえっ」


 マリアンヌさんは片方の腕にそれぞれロザリーとディを抱える。

 ……マリアンヌさんって意外と力持ちなんだなぁ。


「レオナルドさん。いつもいつも、お騒がせして申し訳ありません」

「あ、いえ……。僕としては2人が来てくれて嬉しいですから」


 それから僕は悲愴な顔をしているロザリーとディの方へ顔を向けて、


「大丈夫。クッキーが焼きあがったら、すぐに届けに行くよ」


 と言った。すると2人の表情がパッと明るくなる。


「レオ、レオ。約束」

「絶対だぞ!」

「うん。マリアンヌさんも、その時ご一緒にお茶でもいかがですか?」

「あら、良いのですか? ふふ、ありがとうございます、レオナルドさん」


 ……あ、マリアンヌさんの機嫌が少し直ったっぽい。

 これなら2人の食らう説教も少しは軽く……。


「さあ、ではしっかり、お説教しましょうね」


 ……ならないな、うん。

 でもクッキーを持って行けば、お説教の時間も少し短くなるだろう。

 頑張れと心の中で応援しながら3人を見送って、僕はクッキー生地に目を向けた。

 クッキーを焼くための鉄板を油で拭いて、そこに型抜いた生地を並べ、オーブンに入れて、焼き上がるのを待つ。


 少しすると、だんだんと香ばしい匂いが漂ってくる。

 うーん、いいな。クッキーとかパウンドケーキを焼く時のこの匂いが、僕は結構好きだ。

 ロザリーとディが頑張って型抜きしてくれたからね。美味しく出来るといいな。


 2人の事を思い出して小さく笑っていると、ドアがまた開いた。

 もしかしてロザリーたちが何か忘れ物でもしたのかな?

 そんな風に思って僕は振り返り、


「どうしたの、何か忘れ物でも……」


 ――と言いかけた時、強烈な殺気を感じた。


「っ!」


 咄嗟に横に飛びのく。

 次の瞬間、僕がいた目の前のカウンターに躊躇いなく、剣が振り下ろされていた。

 嫌な音がしてカウンターに刃がめり込む。


『レオ!』

「大丈夫!」


 焦った声の『星降り』を安心さるようにそう言いながら、僕は襲撃者から距離を取った。

 だけど。


「――――チッ、外したか」


 続いて聞こえてきた覚えのある声にギクリとする。

 顔を上げて襲撃者を確認する。

 数は3人。


「君たちは……!」


 そこにいたのは僕のかつての仲間たちだった。

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