第七信:月のもたらすもの

 ここで少し説明しておきたい。一体、私達が月と称している物とは何なのか? 今日に於いては、地球の周りをグルグル廻っている巨大な砂の塊と云う事で意見が一致している。加えて、これこそが絶対の真実であると、それに異を唱える物には白痴呼ばわりの迫害が用意されているのだ。

 しかし、過去に於いて、月はその様なケチ臭い物では決してなかった。ある者はそれを、空に貼り付いた金貨であると考えた。またチーズの塊であると信じられていた時代もあったし、魔人の目だた言う者も居た。そして、私の場合の様に空に空いた穴であり、その向こうには私達の想像の及ばない世界が広がっている、とそう主張する者もあった。

 何れにしても、それらが信じられていた時、確かに月は、金貨であり、チーズの塊であり、魔人の目であり、空の穴であったのだ。それぞれの月の数だけ世界があり、人々は自身の夢を月に託し、また月もそれらを受け入れるだけの神秘と謎を孕んでいた。どんなにその実態に迫ろうとしても、月はそれら全ての手を擦り抜け、変わらず謎めいた部分を残した存在であり続けて来た。人々は、却って其処に世界と自分達との繋がりを見い出していたのだった。


 今は違う。月は最早、夢の受け皿ではなく、どころかそれらを無残に引き裂く虚無の砂漠としての相貌を露わにする。しかし、それは月の罪ではない。私達が月をその様に見做す様になってしまった事に原因があるのだ。

 もう人々は夢を見ない。今では、夢と云う言葉は単に世俗的な成功や、或いは眠っている時に見るだけの、極めてお粗末な物でしかない。

 もう、その先には何も無い。人は自身の周りにある物全てを、としてしか見る事が出来ずに、遂にはその視線は自身に向かう。全くの袋小路。


 そんな中で、私が今、月を通り抜けると云うのは、一体どう云う事になるのだろうか。

 それは、先にも書いた様に、最早動かし難いまでに凝り固まってしまった所謂現実なる物に、無理に風穴を開ける、そんな行為であるのかも知れない。

 それは、ある意味で危険な行為であるのかも知れない。先程は散々に扱き下ろしたが、現実とは一種の足場だ。人はその上に立って生き、その上を歩き、更にその先に進む為の、文字通りの足掛かりとなっている。もしかしたら、私のした事は、その足場を土台から覆す行為なのかも知れない。月を通り抜けたその先、その全く未知の世界に足を踏み入れると云う、言ってみれば、虚無の海の真ん中にいきなり放り出される様なものだ。


 そして、その世界は、その様な不安に相応しい形で、私の前に現われたのであった。

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